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vol.15
Own the moment
アスリートとして、母として
山本美憂(総合格闘家)
Own the moment 前編
2020/01/09

10代前半からレスリング日本女子選手権を連覇し、後に世界選手権では史上最年少優勝を果たす快挙を達成。その後、惜しまれながらも若くして引退するが現役復帰し、さらには40代にしてMMA(総合格闘技)のリングに戦場を移した。こうした山本美憂の経歴から、世間では「奔放」というイメージを持たれているかもしれない。しかし実像も本当にそうなのか? インタビューに答える彼女の言葉からは、真逆の「愚直」でひた向きな思いが滲み出ていた。

アクシデントに見舞われ、経験不足を痛感

2019年10月、山本は「RIZIN」のリングでハム・ソヒと対戦した。山本のタックルに対し、キックボクシング出身のハムが打撃で返す攻防となり、第1ラウンドは拮抗したまま終了。その均衡が崩れたのは第二ラウンド開始から1分が経った頃だった。もつれてロープ際に倒れたところにハム選手がパウンドを連打し、山本選手の右耳の上をカットした。試合は続行されるも金髪がみるみる赤く染まっていき、それとともに山本の動きが精彩を欠いていく。遂に第2ラウンド終了間際にはパウンドの十字砲火を浴びせられ、レフェリーストップによりTKO負けを喫してしまった。それまで4連勝と勢いに乗り、さらにこの試合は女子スーパーアトム級ベルトへの挑戦権を賭けた闘いだっただけに、非常に残念な結果だ。

「第1ラウンドはテイクダウンもとっていたし、そのまま最終ラウンドまで泥仕合にもつれ込めば、スカッとするような試合運びじゃなくとも勝機はあったと思います」。しかしカットのアクシデントで平静を失ってしまった。昨年、同じRIZIN.13のリングで闘ったチームメイトの選手が同じくカットし、ドクターストップで負けたのを目の当たりにしていたから尚更だ。「私の傷は大したことはなくて、試合後も縫合どころかテーピングもしなかったぐらい。でもチームメイトを見ていたから『このままだと止められちゃう』って焦ってしまって。それでハム選手が研究してきた私の動きを、そのままワンパターンに繰り返してしまいました」。普段はあまり使うことのないキックを繰り出し、2度脚を掴みとられる場面もあった。「私はレスリングとボクシングをミックスしたタイプ。ジャブで間合いを測るスタイルなのに、キックを出すなんて相当焦ってたんだなと思います。勝負の最中に同じミスを2度も繰り返している時点でアウトですよね。そういうところにまだまだ経験値というか、レベルの差を感じます」。

敗戦は強くなるためのステップでしかない

MMAでは出血の経験がなかったため冷静に対応できず、経験不足が試合結果に表れてしまった。この事実を受け止めたうえで、山本はあくまで前向きだ。「自分自身が経験して、痛い目に遭って、そこで『あのときと同じことを繰り返したいのか?』って自問自答する。そういう経験がないと、私は強くなれないのかな。特にMMAを始めてからここまでエリートで来たわけではなくて、負けて負けて勝ってっていう選手生活を送っているので、負けてもそこで終わりじゃない。もっと強くなって次は勝てると思っています」。とは言え山本は否が応にも目立つ存在だ。自身は敗戦を糧とし、すでに次戦に向けて足を踏み出していても、観衆の捉え方は違う。そのギャップに思うところはないのだろうか。「見られる立場にありますし、いろいろな見方をされるのは間違いないです。でもわたしは自分が経験したことを吸収して、次の試合にどう生かすかしか頭にありません」。キッパリと言い切る山本の言葉から感じるのはただ単に強靭な精神力だけではなく、ましてや周囲を気にも留めない傲慢さとも違う。それは恐らく「強くなるために何が必要か」という一点だけを見つめるひた向きさだろう。試合後の会見でも「強い選手と闘えたことは、人生の中ですごくラッキーなこと。この試合を経験してさらに強くなれる自信がつきました。すぐに帰ってトレーニングを始めたいです」とコメントしていた。選手である限りは、純粋にただ強くありたい。それだけを求めているのだ。

世界チャンプのもとで進化を図る

インタビューを行ったのは2019年11月の上旬。この頃、山本は関西に滞在していた。三階級を制覇した元ボクシング世界チャンピオン・長谷川穂積のジムでトレーニングするためだ。山本はもともとボクシングファンで、選手時代の長谷川を応援していた。テレビ番組の収録現場で顔を合わせる機会があったときは大喜びしたそうだ。その現場で「ボクシングをしたかったらいつでも言ってください」と声をかけられ、以来交流を続けてきた。「試合に負けると、次は勝つために自分に何が必要か、何を変えないといけないかいろいろ考えます。だから今しかないと思って」。思い切ってコンタクトをとり、出稽古が実現した。「長谷川さんはサウスポーで、私もサウスポー。だから長谷川さんのスタイルは見ていて勉強になります。それに私が本来は右利きのサウスポーだということに気づいて、右利きサウスポーのためのコンビネーションや打ち方をいろいろ教えてくださいました。スタイルがマッチしていたというだけでなく、どんなタイプの選手でもその個性を見極めて、それぞれにあった教え方ができるという感じですね。ほんとに細かいところまで見ていて、選手としては言うまでもありませんが、トレーナーとしても超一流の方です。長谷川さんが教えてくださることすべてが勉強になりますし、体に刷り込んで教えていただいた通りに動けるようになりたいです」。ボクシング×レスリングは山本にとって相性がいい。打撃の威力強化はもちろん、フェイント、タックルにつなげるコンビネーションなど、戦略のバリエーションが大幅に広がるだろう。

効果的なトレーニングをするためには、メニュー内容だけでなく体調の管理も必要だ。そのために山本は朝やトレーニング後に『サン・クロレラA』を飲んでいる。「ハードなトレーニングをしてもこれを飲むと翌朝体調がいいです」。長谷川のもとでトレーニングを重ねながら、次の試合に向けてのプランも立てている。「長引くことを前提に試合を組み立て、そのための技術とスタミナ、メンタルも練り上げていかないといけません。前回の経験を踏まえて、主導権を握りながら第3ラウンドまでもつれ込む展開になるよう試合をコントロールしたいと思っています」。経験を消化して血肉とし、新たな武器も身につけた。次戦ではさらに進化を遂げた山本の姿が見られるだろう。

 

山本美憂
ミュンヘンオリンピックレスリング代表だった父親・日本体育大学教授山本郁榮により小学生のころから弟の山本“KID”徳郁、妹の山本聖子とともに、レスリングの英才教育を施される。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。1991年、17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。

2011年全日本女子オープン選手権 48kg級 優勝
2011年NYACホリデー・オープン国際大会 48kg級 3位
2011年全日本選手権 48kg級 二回戦敗退
2011年全日本選抜選手権 51kg級 二回戦敗退
2012年カナダ・カップ 48kg級 3位
2013年ノードハーゲン・クラシック大会 51kg級 優勝
2014年カナダ・カップ 48kg級 3位
2015年カナダ・カップ 53kg級 4位

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