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vol.15
Own the moment
アスリートとして、母として

山本美憂(総合格闘家)

Own the moment 後編
2020/01/09

10代前半からレスリング日本女子選手権を連覇し、後に世界選手権では史上最年少優勝を果たす快挙を達成。その後、惜しまれながらも若くして引退するが現役復帰し、さらには40代にしてMMA(総合格闘技)のリングに戦場を移した。こうした山本美憂の経歴から、世間では「奔放」というイメージを持たれているかもしれない。しかし実像も本当にそうなのか? インタビューに答える彼女の言葉からは、真逆の「愚直」でひた向きな思いが滲み出ていた。

引退、復帰、そしてMMAのリングへ

山本がレスリングのトレーニングを本格的に始めたのは小学6年生のとき。もちろん父であり、ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表・山本郁榮の手ほどきを受けてだ。13歳で全日本選手権に出場。第1回目の全日本女子選手権が開催された年でもある。「今はジュニア、カデットと年齢別になっていますが、当時は中学生以上はみんな一緒。小学校を卒業したばかりの子どもが大学生や社会人と試合しないといけないんです」。聞くだに恐ろしい話だが、そんな圧倒的不利な条件にも関わらず山本は44kg級で優勝。さらに以降5年連続優勝を成し遂げた。

17歳で初めて出場した世界選手権では史上最年少優勝を果たすなど輝かしい成績を残してきたが、21歳で世界選手権を優勝したのち、結婚を機に引退している。その後も現役復帰と引退を何度か繰り返し、長いときでは7年ものブランクがあったという。「やめるときは『もう十分やりきった』と自分が満足したから。復帰するきっかけは、妹の聖子のトレーニングパートナーとして駆り出されて、自分も動けるようになっていつの間にか試合に出ているというのがいつものパターンです(笑)」。

MMA参戦を決めたのは、カナダ代表としてリオデジャネイロオリンピック出場を目指すも書類手続き等の関係で叶わず、失意に暮れていたときだ。「オリンピックを目指して復帰して、結局出られなくて、それでもせっかく再開したから練習を続けていたけど、以前のような集中力がないことを自覚していました。そんなときにRIZIN創立者の榊原さんから声をかけていただいて、『これだ!』と思って」。同じくレスリングで活躍した弟の山本“KID”徳郁が挫折や決断を経て、それでもMMAの華々しい舞台で活躍し、観客を魅了する姿に憧憬もあった。入場曲に合わせてダンスしながら花道を歩き、コンセントレーションを高める今のスタイルも彼の影響だ。「それまで自分がMMAをしたいと思ったことはありませんでした。むしろ痛い・怖いイメージが強くて、長男のアーセンがMMAを始めたときも試合ギリギリまで大反対でした。まさかその10ヶ月後に自分も始めるとは思ってもみませんでしたね(笑)」。

一瞬をものにして成長・勝利につなげる

現役とブランクを繰り返しながら、それでもまだ選手であり続ける理由はなんだろうか。「よく聞かれますが、やりたい、できるという気持ちがあるからとしか言いようがないですね。先のことはわからないし、いつ大怪我するとも知れない。計算外のつまずきに振り回されるのも嫌だし。いつの間にかライフプランやセカンドキャリアみたいな計画・目標を持つよりも、自分がやりたいと思ったことをする、そのかわり100%打ち込むという考え方に変わりました。MMAでベルトを巻く日はもちろん楽しみですけど、今はちゃんとそこに到達するために強くなることだけを考えていますし、そのプロセスのすべてに意味があると思います」。一見波乱に満ちた歩みだが、山本にとってはそうせざるを得なかっただけにすぎない。またその足取りは決して浮き足立ったものではなく、一歩一歩を全力で踏みしめてきた。そんな山本の座右の銘は『own the moment(その瞬間を自分のものにする)』という言葉。「カナダにいたときのコーチに言われた言葉です。自分のペースで試合を組み立てる、一つひとつの経験・勉強を余さず吸収するなどいろんな捉え方ができますが、自分に合っている言葉だなと思います」。

山本にファイターとして理想的なスタイルを聞いてみた。「自分の得意な技術やペースを試合で発揮できること。どんなに強い選手でもピンチに陥ることがあると思いますが、そんな場面でも自分の型に持っていって勝ちにつなげられる選手になりたいです」。そのためには引き出しを増やすための経験が必要だが、「私の年齢だと、はっきり言って20戦もしているような選手と同じ経験を今からするのは難しいでしょう。だから一戦ごとに人の倍の経験を吸収しないといけない。吸収するためには1分1秒も無駄にできません」。試合のみならずトレーニング、日常すらもガチンコで挑む姿勢。まさに『own the moment』な生き方を自身に課しているようだ。

選手としての姿を見せることが、母としての務め

山本には3人の子どもがいる。母であることは、選手としてのファクターの1つでもある。「サブミッションを極められても絶対にタップしないとか、リングで死ねたら本望とか、悲壮な覚悟で試合に臨んでいる選手もいると思いますが、私はそうじゃない。試合には全力で臨みますし、トレーニングでも絶対に手を抜かないです。そういう覚悟の選手よりもトレーニングをしている自信があるぐらい、毎日自分を追い込んでいます。ただ、母である限り試合では死ねません。選手生活のために子どもを振り回している部分もあるのに、試合で何かあったら子どもにとってフェアじゃないでしょ。だから必ず試合後は元気なままリングから降りると決めています」。前回の試合の退場シーンも、悔しさを滲ませながらもダメージを感じさせない足取りだった。そして試合後のインタビューでは晴れやかなほど笑顔を見せていた。それらは子どもたちに向けた「また今日も元気に家に帰るよ」というメッセージだったのかもしれない。

山本は現在グアムを拠点とし、親子4人で暮らしている。「トレーニングや試合で家を空けることが多いので、食事以外の家事は子どもたちが当番制で回してくれています。アーセンは皿洗いをサボって弟妹に押し付けることがあるみたいですけど(笑)」。母が一所懸命に頑張る姿を見て、家族みんながそれを支える。それはとても素晴らしい、理想的な家族の1つのかたちだ。「子どものうちから人が懸命に何かを成し遂げようとする姿を見るのってすごく大事。私はよく家事を失敗するし、何かを作り上げて残すような仕事に就いているわけでもない。レスリングやMMAでしか、子どもたちに頑張る姿を見せられないんです。だからせめて自分自身が楽しんで、好きだからこそもっと上手くなりたい、レベルアップしたい、そのために何が必要かと考える。子どもたちにはそういう過程も学んでほしいです。スポーツに限らず、どんな分野でも必要なことですよね。それができれば自分自身の力で視野を広げ、人としても成長できるはずです」。闘うことが仕事であり、好きなことであり、子育てでもある。山本の闘いには、生きることのすべてが包含されているのだ。

 

山本美憂
ミュンヘンオリンピックレスリング代表だった父親・日本体育大学教授山本郁榮により小学生のころから弟の山本“KID”徳郁、妹の山本聖子とともに、レスリングの英才教育を施される。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。1991年、17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。

2011年全日本女子オープン選手権 48kg級 優勝
2011年NYACホリデー・オープン国際大会 48kg級 3位
2011年全日本選手権 48kg級 二回戦敗退
2011年全日本選抜選手権 51kg級 二回戦敗退
2012年カナダ・カップ 48kg級 3位
2013年ノードハーゲン・クラシック大会 51kg級 優勝
2014年カナダ・カップ 48kg級 3位
2015年カナダ・カップ 53kg級 4位

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