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vol.22
穏やかに、誰よりも熱く
スペインに渡った少年がゴールの先に見る夢

岡田大河
(バスケットボールプレーヤー /Zentro Basket Madrid・SHIZUOKA GYMRATS)

穏やかに、誰よりも熱く 前編
2020/09/11

バスケットボールを学ぶため、若干15歳にして海外に挑戦した少年がいる。その名前は岡田大河。近年、アメリカに次ぐバスケ大国として頭角を現すスペインに渡り、現地のクラブチーム「Zentro Basket Madrid(セントロ・バスケット・マドリード)」に所属。渡邊雄太や八村塁に続く、世界に通用する日本人プレイヤーとして成長が期待される存在だ。なぜその年齢で海外へ。そして、なぜスペインへ。まだあどけなさが残る少年の言葉には、世界へ挑戦する鉄の意志と、謙虚で内省的な眼差しが共存していた。

幼い頃からバスケがすぐそこに。父という大きなきっかけ

岡田大河と父

父:岡田卓也氏と

「日本のごはんが美味しくて、いっぱい食べちゃいました」。2020年7月初旬、一時帰国中に行われた取材で彼は嬉しそうに笑った。昨年10月から単身スペインへ渡ってバスケを学んでいる岡田だが、バスケを始めたきっかけには父の存在がある。岡田の父は、埼玉ブロンコスを経て、アメリカの独立バスケットボールリーグ・ABAでも活躍する岡田卓也。「いろんなボールが身近にある環境で育ったので、自然と球技が好きになってました」と言い、父に連れられて体育館へ通ううちに、気付けばバスケに夢中になっていた。小学1年の頃から父が主催するバスケスクールに通い、ミニバスのチームにも所属。幼い頃からバスケ一色の毎日を過ごしていた。

中学校への進路選択では「バスケが強い私立へ進学する選択肢もあったんですが、父からバスケを教わりたくて」と、強豪校ではなく一般の中学校へ入学することに。というのも、進学するタイミングで父・卓也氏が、世界で戦う人材育成を目的としたバスケットボールクラブ「SHIZUOKA GYMRATS」で教わりたいと思ったからだ。「クラブでの父は超厳しかったです(笑)。中学1年の頃から高校生と試合をしていて、体格が違うからよくハジかれました…。それでも父はレベルを下げず、常に高いレベルを求めました。僕もそれに応えるために練習して、少しずつ高校生よりも点数が取れるようになってきて」。

では、中学校では勉強だけに専念していたのかというと、実はそうではない。バスケットボール部に入って、静岡県の県大会優勝という実績も残している。「父は『部活はやらなくてもいい』って言ってくれたんですけど、ボールを触る時間が増えるかなと思って」。そんな気持ちで入部した部活が、精神面で彼を大きく成長させるきっかけになる。

勝つために必要なのは、スキルではなく仲間の存在

岡田大河選手の中学時代のチームメイト 写真提供 ジュニアアスリート静岡

岡田が通った中学はいわゆる進学校。それだけに、バスケ部の練習は強豪校ほど厳しくはない。「勉強は頑張らなければいけないけど、バスケ部に入ると決めた以上、絶対に手は抜けない。なんとか時間を作って練習しました」と、早起きしての朝練や放課後の自主練など、能動的にトレーニングを重ねた。中学1年が終わりに近づく頃、メイン選手として試合へ出場できるように。「責任を持って勝たせようと心の中で誓いました。だから、ただ試合に出るだけでは意味がない。一試合で何点取るかノルマを決めてました」と、強い責任感と覚悟で試合に挑んでいたという。

自ら得点を重ねることで、苦戦を続けていたチームにも勝ち星が付き出した。勉強の息抜き感覚で参加するチームメイトも多かったというが、岡田の熱いプレイはチームメイトの心を変えていく。「仲間が『大河がやるなら協力するよ』って言ってくれて。決して1対1のスキルは高くないんですが、みんな頭が良いから考える力がある。頭を使ったプレイに助けられました」。自身の積極的なプレイで得点をもぎ取り、仲間がそれをサポートする。一つにまとまったチームは快進撃を重ね、みごと静岡県大会で優勝。素晴らしい結果を残すことができた。

チームを勝利へ導いた岡田だが、入部当初は練習しない仲間に憤りを感じたこともあったという。「けど、落ち着いて考えたら、みんな自分みたいに本気でバスケをやりたいのかなって」と、当時の心境を振り返る。岡田は将来もバスケを続けると決めていたから、打ち込む理由があった。だが、進学を目指す仲間にはその理由がない。孤独さえ感じてしまう気付きの中で、彼は一つの答えにたどり着く。「自分の考えを押し付けても、それは自己満足でしかない。みんな楽しくないし、チームとしての良さも出ないと思ったんです。バスケは一人じゃできないし、自分だけ頑張っても勝てないですから」。仲間を尊重し、信頼関係を築くこと。そして、各自の自発的なプレイを引き出すよう、チームのモチベーションを向上させること。独りよがりではなく、仲間と共に試合に挑む大切さを学ぶことができた。

スペイン流の“バスケIQ”世界と戦う武器を求めて

スペイン留学のきっかけとなったクラブ・バスケット・ホスピタレットでの試合

バスケ選手としてのキャリアパスを考れば、強豪の高校・大学へ進み、本場アメリカへ留学というのがスタンダードだろう。しかし、彼は高校進学の段階でスペインへ渡ることを選んだ。その決断には、父に連れられて行った海外での経験が大きく影響している。中学1・2年のとき、スペインの「Club Basquet L´Hospitalet(クラブ・バスケット・ホスピタレット)」というクラブチームの遠征に参加。そのときに見た同世代の海外選手のレベルに衝撃を受けた。日本人では適わない恵まれたフィジカル。そのうえ、高いスキルも兼ね備えた選手が当たり前のようにいる。「U-16、17、18と年齢が上がるにつれて、海外選手は一気にレベルも上がる。このまま日本にいたら置いていかれるんじゃないかって…。海外へ行くべき。むしろ、行かなくちゃいけないと感じました」と、視界には海外へ挑むビジョンが見え始めた。

NBAがある本場アメリカではなく、スペインを選んだ理由については「スペインで“バスケIQ”を学びたかったから」と話す。実はスペインは「FIBAバスケットボールワールドカップ2019」で、アメリカを抑えて世界一の座を獲得したバスケ大国。そのスタイルは、1対1の個人技に頼るのではなく、フォーメーションや連携を磨き上げた組織的なプレイが強み。フィジカルで強みを発揮できない岡田にとって、強く魅かれるものがあった。「頭を使えばフィジカルの差を埋められる。それをスペインが証明したんです」。また、憧れの八村塁選手と話す機会を得たときに、海外で活躍するためにはどうすればいいか?と質問した。「そのとき『バスケIQが必要だよ』ってアドバイスをもらったんです」。世界を知る選手の言葉がスペインへの思いを加速させた。

中学3年の夏に部活を引退。チームメイトがそれぞれの道へ進むなか、自分はどうするか……。「スペインに行きたいと父に相談したら、『挑戦してみたら』って言ってくれて」。自らもプレイヤーとして世界と戦う父・卓也氏は、息子の熱い思いを応援してくれた。遠征に参加したClub Basquet L´Hospitaletのオーナーに相談したところ、クラブチーム「Zentro Basket Madrid」を紹介され、同クラブへ行くことを決意。2019年10月、少年はスペインへ渡った。