新郷礼音(しんごうれおん)/グローボーラーズ
新郷礼音。横浜市立豊田中学校に通う15歳の少年だ。先ごろ行われたJrウインターカップにも出場し、身長188cmの体格とその長い手足、スピードと独特のリズム感を持つプレーに注目が集まっていた、バスケ界期待のニュースターだ。同時に彼はサン・クロレラが2020年から開催しているグローボーラーズプロジェクトで、最初のスカラシップを獲得し、アメリカへのバスケ留学挑戦の権利を手にした“選ばれし子”でもあるのだ。
9月からは夢の舞台であるバスケの本場アメリカでの高校生活とNBAに向けたアカデミーでのトレーニングがいよいよ始まる。そこで今回は新郷礼音という若き天才バスケットボールプレーヤーが何者なのか?そしてどんな夢を抱き、どのようにチャレンジをしてきたのか?パーソナルな彼の内面にも迫り、とくに前編ではこれまでの彼の歩みと、15歳の少年から見た現在の景色を語ってもらった。
ジャマイカ生まれ、横浜育ちの天才が歩みはじめた“新しい道”。
バスケット界に颯爽と登場した次世代スター・新郷礼音は、父の祖国でもあり、ウサイン・ボルトの出身地でもあるカリブ海に浮かぶ島国・ジャマイカで生まれた。レゲエの母国でもあるこの島から、メキシコ半島を飛び越え、太平洋を渡り、東アジアの島国・日本の横浜へと移り住むことになったのは、彼が5歳のころのことだった。
彼がバスケットを始めたのは小学校1年生のとき。彼の姉が始めたのをきっかけに一緒に小学校のチームに入部したのだという。しかし当初、じつはあまりバスケットが楽しく思えず、学校の友だちと遊ぶほうが楽しいからと辞めたいとさえ思っていた。それでも続けているうちに、少しずつ試合に出してもらえるようになり、また年上の先輩とプレーする機会が増えたことで秘められていた才能が覚醒。恵まれた身体能力やアスリートとしてのポテンシャルを遺憾なく発揮していく。ハイレベルなプレーが思い通りにできる解放感や、その自分のプレーが周囲から認められる喜びで、新郷礼音はバスケットの楽しさに目覚める。
新郷選手「小学校5年くらいのときに、テレビでNBAの試合を初めて見て、なんてかっこいいんだろうって、めちゃくちゃ感動したんですよ。いつか自分もここに立ってプレーしたい。アメリカでプロのバスケットプレーヤーになりたい。その瞬間から、それがぼくの夢になったんです。だからこのグローボーラーズのプロジェクトを知ったときは、チャンスだと思いましたね。これはもう自分のためのプロジェクトだと。そう思ってチャレンジすることにしました」
“To the New Path”、新しい道へというコンセプトで始まったグローボーラーズは、サン・クロレラ社が主催するU15の将来有望な若手バスケット選手を発掘し、本場アメリカでの武者修行へと送り出すプロジェクト。およそ350名もの若者が日本全国から集まったトライアウトを見事勝ち抜き、その後行われた国内合宿を経て、わずか6名まで絞り込まれた選抜メンバーに、新郷礼音は選ばれたのだった。
アメリカのほうが自分に向いていると確信したひとつの事件。
その6人の選抜メンバーは2022年9月に行われたアメリカ・ロスアンゼルスでの遠征に参加。まずは中学卒業後にアメリカの高校でのスカラシップ(奨学金)を獲得することが目標となる。そのため彼らはまずプレップスクール(大学進学を前提とした高校)であるサザン・カリフォルニア・アカデミーへと赴き、サリバン・ブラウンコーチの行うワークアウトに参加。その後アメリカNCAA(全米大学体育協会)の最上位であるDivison1に所属する強豪・南カリフォルニア大学を見学。新郷礼音選手は、大学なのにまるでプロチームが使用しているアリーナのような巨大な体育館があることなど練習環境の充実ぶりに、バスケの本場アメリカの圧倒的なスケールを思い知らされることになった。
その後、サザン・カリフォルニア・アカデミーに戻り、いよいよ同年代の現地の選手たちとの合同練習が行われたのだが、最初の練習でも彼は、早速アメリカと日本の違いを知ることになる。アメリカではドリブルなど基礎練習のメニューを徹底的に繰り返し、完璧に仕上げることが求められた。いっぽう日本の中学校ではレイアップシュートの練習や対人でのパス練習が中心で、こうした基礎練習は小学校までしかやらないという。できてあたりまえの基礎技術を徹底的に磨き上げて底上げすることの大切さを学んだと新郷選手は語る。
ようやくアメリカでの練習環境にも慣れて、グローボーラーズのメンバーのあいだにも幾分リラックスした雰囲気が出てきた矢先、ある事件が起こる。
新郷選手「アカデミーでぼくらを指導してくれていたDashコーチから、めちゃくちゃ激しく怒られたんです。『ここは仲良しサークルじゃない。うまくなりたくて来ているんだろう?手を抜いたり、慣れあったりするヤツはこの場には必要ない。いますぐに帰れ!』って。それも、バスケはストリートとかヒップホップの文化もあるから、現地のスラングも混じったいわゆる“Fワード”満載でしたね。日本だとこんなに激しく怒鳴られたりすることはないから、最初はびっくりしました。でもぼくにとっては、それで目が覚めたというか、こういうカルチャーのほうが自分には合っているなと感じました。絶対に上に行く。有名になってやる。そういう決意を持った選手たちしかそこにはいませんでした。だから日本から来たぼくらがぬるく見えたんじゃないかな。実際にぼく自身、日本でまだ甘えがあったんだなと気付かされました。そしてやっぱり1日でも早くアメリカで練習やプレーをすることが、自分の夢であるNBAに近づけると、この遠征で確信しました」
コーチの言った「遊びに来てるんじゃない」という言葉のリアリティは、現地の同年代の選手たちのプレーからも感じられた。激しい接触プレーはもちろん、ときには肘打ちやプッシングなどファールも厭わない。汚い言葉で相手を威嚇する「トラッシュトーク」も仕掛けてくる。とにかく勝つためにはなんだってやってやる、という思いがビンビン伝わってきた。でも彼はそれを楽しんでいた。これが自分のやりたかったことだ。いるべき場所なんだ。そう思えた。新郷礼音だけでなく、グローボーラーズのメンバー全員が、アメリカに来たばかりの時とくらべて、明らかに練習に向かう姿勢が変化し、なにより顔つきが変わった。あどけなさの残る15歳の少年から、いっぱしのバスケットプレーヤーらしい表情を覗かせるようになっていた。
まだあどけなさの残る15歳の天才少年が立つ現在の地平。
そのいっぽうで、バスケを離れればまだまだ中学生である新郷礼音選手。オフに街を散策しているときの話になると、本場のハンバーガーのサイズに驚いたエピソードや、ショッピングモールでコーラを買ったらお店の人から7.5ドルだと言われて半信半疑でそのまま支払い「あれはぜったいにボッタクリだ!」と憤慨する失敗談まで、とたんに表情が柔らかくなって、中学生の表情に戻るのだった。
そして先日、いよいよ彼はグローボーラーズにおける最終選考において、ただひとりの選手だけが手にすることができるスカラシップを勝ち取り、アメリカのエージェントとマネジメント契約を交わし、9月からアメリカの高校で学ぶこと、そしてアメリカのアカデミーで正式にバスケット選手としてプレーすることが正式に決まった。
新郷選手「ここに辿り着くまでに、たくさんの人にサポートしてもらった。グローボーラーズというプロジェクトを開催してくれたサン・クロレラさんはもちろん、うまくいかない時にいろんなアドバイスをしてくれた中学やグローボーラーズのチームメイト、そしてなによりアメリカに行きたいというぼくの気持ちを誰より知っていてだからこそ、いつもそばで支えてくれた母や家族にも感謝したいです」
そう話す彼はインタビュー中に通りかかったサン・クロレラ中山太社長から「とにかくチャレンジを楽しめばいいよ」と声をかけられる。彼はニコッと笑いながら固い握手を交わしたあと、思い出したように横浜から持ってきたというお土産を中山社長に手渡した。その律儀な礼儀正しさと、「これじつはお母さんが買ってきたやつなんですけど」とつい口走ってしまう幼さの残る率直さとが同居しているところが、いまの新郷礼音の現在地なのだろう。後編では彼が思い描く未来図について語ってもらうことにする。