渡邊雄太
プロバスケットボールプレーヤー/千葉ジェッツ
2013年9月に渡米。以降、NCAAに所属する大学でアメリカデビューを果たすと、2018年にNBAグリズリーズと契約。晴れてNBAプレーヤーとなった渡邊雄太選手。そこから6年のシーズンを経て、昨年Bリーグ・千葉ジェッツと契約。日本への凱旋帰国を果たした。
去る6月に、日本でのファーストシーズンを終えた彼がサン・クロレラ本社を訪れ、日本の子どもたちの前で、現在の思いと、そしてこれまでの挑戦の軌跡を語るトークイベントが行われた。NBAの舞台に立つことを夢見る約50人もの子どもたちが固唾を飲んで見つめるなか、重いドアが音もなく開かれ、渡邊雄太選手がいよいよ登場する。会場内に低いどよめきと大きな拍手が広がった。そして彼はゆっくりと中央の席に着き、会場の子どもたちに挨拶をすると、MCの問いに答えるかたちで、いまの自身の心境を静かに語り始めた。
日本での“プロデビュー”となった、今シーズンを振り返って
MC「今シーズンは日本に戻ってきて、Bリーグでの最初のシーズンでした。振り返っての感想をお願いできますでしょうか」
渡邊雄太「そうですね、やっぱりNBAとは環境も求められる役割もまったく違うなかで1年間プレーしてみて、個人としてはシーズンを通してバスケを楽しめたとは思っています。あとやっぱり日本に帰ってきて、アメリカに行く前といまとでいちばん変わったと感じたことは、日本のバスケットボールの試合でお客さんがこんなにたくさん入って、こんなに盛り上がるようになったんだということ。これはとても感動的でうれしいサプライズでしたね」
MC「シーズンを通してバスケを楽しめたと言うことでしたが、いっぽうでケガに悩まされたシーズンでもありました。そのあたりのメンタル面での難しさはあったのではないですか?」
渡邊雄太「さあシーズン一年がんばろうという最初の開幕シリーズ(2戦目)でいきなり捻挫して、自分としても出鼻を挫かれた思いだったし、なによりファンの期待を裏切ることになったことについては正直なところ落ち込みました。でもケガそのものは誰のせいでもないし、自分自身もケガしたくてしたわけではない。いわば事故みたいなものなので、とにかくリハビリを一所懸命やって1日でも早く復帰する。もうそこはすぐに切り替えていました。ぼくがつねに心掛けていることでもあるのですが、ケガをしてしまったときはケガをしてないときよりもハードにトレーニングをするようにしています。足をケガして動かせないときは上半身を、肩や背中を痛めたときは下半身を、というかたちでとにかくいまやれることにフォーカスして、ポジティブに捉えるように意識しています」
子どもたちに向けて語った、自身の子どものころの話
MC「今日は将来プロバスケ選手に憧れる小中学生がたくさん来てくれています。渡邊雄太選手が子どものころはどのくらい練習していましたか?」
渡邊雄太「練習量はかなり多かったと思います。もちろん当時は親からも『NBA選手になりたいんだったらもっと練習しなきゃいけない』と毎日厳しく言われていたこともあります。早朝から自宅の前で毎朝ドリブルの練習をしていたら、近所迷惑だと通報されて警察が家に来たこともありました(笑)。それからは小学校が家から近かったので5時半に学校に行ってドリブルやシュートの練習をしていました。でも学校のグラウンドにゴールがなかったので電信柱に向かってシュート練習していました。電信柱に向かってシュートを打ったとき中心に綺麗に当たるとまっすぐ自分のところに戻ってくる。そうしたら1点という独自ルールを設けて、父親と先に10点取ったほうが勝ちというゲームをしながら練習していました。土日も午後からチーム練習、夕飯食べたあとはまた小学校のグラウンド行って練習。だからもう一日中ずっと練習していましたね」
MC「やっぱり当時から身長は大きかったのですか?」
渡邊雄太「いや、もちろん大きいほうではあったと思いますけど、小学校のころはまだまだぼくより大きい子はいましたよ。小学校6年生のときで150cm後半くらい、中学入学するころで160cmくらいでしたから。ただ、そこから毎年10cmずつ伸びていったので、高校生になるころには190cmくらいになっていました。だからいまそんなに大きいほうではない子たちも、まだまだこれから身長は伸びると思います」
日本人選手がアメリカに挑戦するために必要なこと
MC「アメリカに挑戦するうえでもっとも大切なことはなんだと思いますか?」
渡邊雄太「やっぱり強いメンタルじゃないですかね。自分に自信を持つこと。これがものすごく大事だと思います。とくにアメリカ人選手は、つねに自信に満ち溢れている人ばかり。でもその強いメンタルの裏には、それだけ自分は努力をしてきた、だからオレがこのコートでナンバーワンなんだ、という自負があるんだと思います。もしこのなかにもいつかはアメリカでプレーしたいと考えている子がいたとしたら、まずはそういうメンタリティーを持つこと。そのためには誰よりも練習をして、その努力のぶんだけ自信を持ってコートに入る。そういう姿勢を日本にいるときから心がけてほしいと思います。もともと日本にいるころはぼくもどっちかというと消極的なタイプで、自分を前面に出すことが苦手だったところがあったし、そこが自分の弱点でした。でもアメリカでは自分が誰よりも努力をしてきたんだ、だから自分が誰よりも上手いんだ、という強い気持ちを持つことが大事だと思います」
MC「アメリカで苦手だったことを乗り越え、逆境を跳ね返してきたということですか?」
渡邊雄太「そうですね。やっぱり逆境のときにその人の本質が出る。その人の本当の強さが出る。そう、ぼくは思っているので。だって調子がいいときだったら誰だってがんばれますよね。でもツラいときにがんばれるか、がんばれないか。そこで大きく差が出てくるんです。だからぼくはこれまでも、ツラいときこそ人一倍練習しなきゃと思って取り組んできました。たとえば2019-20シーズンのコロナ禍でオーランドでの集中開催(バブル)時のチーム練習や試合が終わったあと、夜8時以降にチームごとに個人で練習させてもらえる時間があったのですが、ぼくは必ずやるようにしていたんです。最初はぼく以外にも4人くらい一緒に練習する選手がいたんですけど、そのうちどんどんやめていって最後は自分ひとりになっていました。そのくらい他の選手よりもストイックに練習には取り組んでいたと思いますね」
MC「チームでのコミュニケーションにおいて英語力も大事になってきますよね?」
渡邊雄太「もちろんです。じつはぼくはアメリカに渡って大学に入ってから英語を本格的に勉強したのでかなり苦労しました。ですから、将来もしアメリカに行きたいのであれば日本にいるうちにちゃんと勉強しておいたほうがいいと思います。英語学習のコツは、あくまでぼくの経験から言わせてもらえば、まずは単語の量を増やすことだと思います。理由はまずちょっとした隙間時間でもひとりでできるというのと、単語だけでもわかっていればある程度文法は後まわしでも意図を伝えることはできるから。あとはやっぱり英語ネイティブの外国人と話して発音に慣れておくことかな。いくら日本で英語の授業を受けても、現地で耳にするネイティブの発音がまったく違うので聞き取れないことが多くあるので」
体調管理の秘訣は「プロ歴=サン・クロレラ歴」
MC「体調管理にサン・クロレラの製品を愛用されているとのことでした。いつごろから飲んでいらっしゃるんですか?」
渡邊雄太「サン・クロレラさんにはプロ1年目からサポートしていただいているので、プロバスケットボール選手のキャリアと、サンクロレラ愛飲歴はほぼ同じ。以来、1日あたりで3袋くらいは飲んでいると思います。とくに遠征先だと飲む量が増えるんですよ。というのもふだんは食事で栄養バランスのよいものを選んで食べることができますが、遠征先ではそうもいかないので、自分の体調をキープするために遠征先ではとくによく飲みますね。ぼくはパウダーを水に溶かして飲んでいますが、粉タイプが苦手な人には粒タイプのものもあるので、ぜひ試してもらいたいです」
MCとのトークは終始一貫、和やかな雰囲気のなかでおこなわれた。目の前にキラキラと目を輝かせるバスケ少年の姿があったためか、いつもよりリラックスした表情で、ひとつひとつの言葉を丁寧に選びながら話す渡邊雄太選手。NBAの舞台を経験したトップオブトップでありながら、遠い存在だというふうには感じさせない、優しい眼差しと穏やかな語り口が印象的だった。
さて、このあとはいよいよ子どもたち自身が直接、渡邊雄太選手に質問を投げかけることができる質疑応答の時間へと移っていく。子どもらしい素朴で純粋な疑問から、思春期らしい将来に悩むすこし生々しい質問まで、スポーツメディアではあまり語られることのない話も多く飛び出した。その模様は後編でお伝えしたい。