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Vol.84
ファーストペンギンの、セカンドステージ。
北米大陸からヨーロッパ大陸へ。大西洋を渡った日本アイスホッケーのパイオニアが切り開く新境地。

平野裕志朗
プロアイスホッケープレーヤー/デュッセルドルフEG

北米大陸からヨーロッパ大陸へ。大西洋を渡った日本アイスホッケーのパイオニアが切り開く新境地。前編
2025/09/24

日本アイスホッケー界におけるファーストペンギンとして、つねに新たな地平を切り開いてきた平野裕志朗。昨シーズンからはその主戦場を、北米大陸からヨーロッパ大陸へと移した。2024年7月に中央ヨーロッパの国際リーグ「ICEホッケーリーグ」に所属するHCインスブルックへの入団が決まると、シーズン途中の2025年1月にはドイツ2部リーグのクレーフェルト・ピングイーネへと移籍。そして来シーズンからは、かつてはドイツ1部リーグで5度の優勝を誇る名門ながらも今シーズンは2部で降格してしまった古豪・デュッセルドルフEGから「救世主」となるべく熱烈なオファーを受け、移籍することが決まった。

20代最後の年を迎え、ベテランの域に達してきた平野選手が、新天地で始めた新たな挑戦や日本代表での役割の変化など、2025年夏の平野裕志朗の現在地を彼らしい率直な言葉で語ってもらった。

北米から欧州のリーグへの移籍。その決断の背景にあった真実。

NHLをめざすうえで2部リーグであるAHLでの1way契約にこだわっていた平野選手は、数多くあったAHLチームからの2way契約でのオファーを蹴って、ついに北米を離れ、ヨーロッパのリーグへの移籍を決断したのだった。そのなかでオーストリアのチームでドイツとオーストリアの国境近くにあるインスブルックHCへの移籍を決めた理由は、もっとも熱意を持ってオファーしてくれたからだという。

アメリカ・カナダというアイスホッケーにおける本場にして最前線から、ヨーロッパリーグへの移籍。NHLでの活躍を誓い、北米で死闘を繰り広げてきたパイオニア・平野裕志朗にとって、正直なところ最初は複雑な心境だったという。

平野「やはり、これまで自分がめざしてきたメインコースからそれてしまった、というネガティブな感情になってしまう部分はあったと思います。でもすぐさま『これはまったく新しい、別の旅が始まったのだ』と捉え、前を向くことにしました。そして、この新しい旅での目的を自分自身の中に見出すことに着手しました。これまで自分がやってきたことに関しては何も恥じるものはない。いま自分が立っているこの場所での経験が、何年後かに必ずプラスになったと未来の自分に言わせられればよいだけじゃないか。そう自分に言い聞かせました」

そのようにして平野裕志朗2024-2025シーズンはスタートしたのだった。その後、年を明けて2025年の1月にドイツ西部の小さな街、クレーフェルトに本拠を持つクレーフェルト・ピングイーネへと移籍。ドイツではアイスホッケーはサッカーの次に人気のあるスポーツということもあり、アメリカやカナダとはまた違う環境の充実ぶりを感じたという。

平野「やはりアメリカやカナダにおけるアイスホッケーは、ビッグビジネスとしてしっかり成立しています。選手にしても年間で何十億と稼ぐ選手がいます。しかしヨーロッパではビジネス規模が北米に比べて小さいことは否めません。選手の年俸もトッププレイヤーで1億から2億といったあたり。しかしそのぶん、ジムなどの環境面であったり、移動時にストレスを感じさせない工夫であったり、選手ひとりひとりの生活やその後の人生のサポートなど、スポーツ文化としての成熟度という面においては、ヨーロッパも負けず劣らず優れたものを持っていると感じました」

そうしたアイスホッケーカルチャーの違いは、選手ひとりひとりのプレースタイルや競技に向き合う姿勢にもあらわれているという。基本的にアメリカやカナダ北米でプレーしている選手は、トップオブトップであるNHLとの契約を目標に、ビッグサクセスを夢見て戦っている。いっぽうでヨーロッパの選手は家族のためにプレーしているといい、そのため私生活や生活環境の充実を重視したいと考える選手が、アメリカやカナダにくらべて多いのだそうだ。また、トップ戦線からは降りたもののできるだけ長く現役でプレーしたいと願う選手、あるいはいろんな国のリーグを経験したいといった選手も見られるという。

もしかしたら平野選手自身も、多様な国の多様なリーグでのアイスホッケー環境を経験することで、より広い視野を獲得するチャンスを得たといってもいいのかもしれない。なぜなら彼にとって2025年は20代最後のシーズンでもあり、中堅からベテランの域へと達しようというなかで、平野裕志朗というアイスホッケープレイヤーに求められる役割が、所属チームにおいても、そして日本代表にとっても、変わりつつあるからだ。

日本代表での役割にも、すこしずつ変化が生じ始めた

ヨーロッパへの移籍とほぼ時を同じくして、デンマーク・オールボーで行われたミラノ・コルティナダンペッツォ五輪最終予選の日本代表に選出された平野選手。奇しくも自身の拠点を移したヨーロッパの舞台で、ふたたび日の丸を背負っての戦いに挑むこととなった。

迎えた最終予選では、4チームすべてに勝てば五輪出場が決まるという状況。しかし結果は残念ながらノルウェー、デンマークに連敗。続くイギリス戦でも敗退して、出場権を逃した。それでも内容は、とくにデンマーク戦と英国戦ではともに2-3と僅差での敗退だったこともあり、国内外から日本代表の戦いぶりを評価する声も少なくなかった。

しかし、平野選手始め代表メンバーの誰ひとりとして、それで満足していなかった。

平野「今回、日本代表よくやったと言われるんですけど、自分たちの実力がまだまだ世界レベルに届いていないことは、選手たちみんなが感じています。たしかにスコアはタイトでしたけど、相手に攻められている時間もすごく長かったし、なんとか守ってカウンターで一点取ってというスタイルで接戦に持ち込んだとしても、10回やって1回勝てるかどうか。今後もそれでいいのかというと決してそうではないので、そこの自分たちに何が足りないのかっていうものはたくさん見つかったと思います」

選手たち全員が「勝ちたい」と思って戦ったからこそのスコアであることだけは間違いない。また多くの選手がケガで傷ついているにもかかわらず、身体を張って闘っていた。その姿から「ここから日本代表は変わる」、そういった予感と手応えを選手全員が感じた大会ではあったのだと彼は振り返る。すくなくとも気持ちの部分で選手たちの中では日本代表が今後どこを目指していくべきなのかというのは見えた大会だったのではないか。そのうえで、あの悔しさを次へとつなげるために、日本代表はなにをめざし、今後どうすればいいのか、全員が考えさせられる最終予選だったと平野選手は分析し、総括していた。

代表メンバーでも若手選手が増え、ベテランに近い存在になりつつある平野選手。今回の代表での練習や試合を通じて、コミュニケーションについて多くの学びがあったと語る。そして、いまは個人でしっかり結果を出しつつも、これまで以上に次世代に思いやスキルを繋げていくことを考えるようになったということだった。日本のアイスホッケーをどう盛り上げるか、そのために自分にはどんなことができるか。そうした面での視野を広げるためにも、このタイミングでヨーロッパというまったく未知の環境へと新たに身を置くことになったことは、ある意味では必然だったのかもしれない。

欧州市場でのサン・クロレラの知名度アップに貢献できれば。

これまで在籍してきたアメリカやカナダのチームからドイツのチームに移籍し、拠点もヨーロッパへと移った。それによって気になるのは食事や栄養管理だ。聞くところによればアメリカやカナダではチームシェフが細かく栄養管理をしていたそうだが、はたしてヨーロッパのリーグでもそうした食事面での環境に変化はなかったのか。また不安はなかったのか。そのあたりを尋ねてみると、基本的には変わりはなく、とくに問題も感じなかったとのことだった。

平野「まず朝と昼は基本的にはチームが出してくれるので問題ありません。チームにシェフがいて、栄養管理などもしっかり考えられているもののなかから、自分が好きなものをチョイスして食べることができるようになっていましたから。夜は基本的に自炊です。試合のあとは炭水化物とタンパク質をしっかり摂るように気をつけてメニューは自分で考えていましたし、とくにお肉は鶏肉を中心に多めに買って冷凍庫に保管するかたちで調整していました。あとは吸収を考えて水分をしっかり摂るとか、野菜をきちんと食べるためのメニュー開発、どのタイミングでどのくらい摂取するのがいいのかなど、知り合いに栄養士さんがいるのでその人とも相談したり、これまで自分で学んできたことも参考にしたりしながらやっています」

以前のインタビューで平野選手は、アメリカではチームメイトと外食に行くとなると脂っこいものが多くて大変だったという話をされていたが、ヨーロッパでは外食に出掛けてもそこまで困ることはなかったということだった。それでもやはり日本に帰ってくると、日本の飲食店のクオリティの高さにはあらためて感動するという。とくに日本のお米はほんとうに質が高く、ごはんだけを食べていても感動すると語ったほどだ。

いまもサン・クロレラのパウダーを毎日朝と夜、水に混ぜて一気飲みする、そのスタイルに変わりはないという平野選手。「街のモールなどでもサン・クロレラ製品が販売されているアメリカと比較すると、ヨーロッパでのサン・クロレラの知名度はまだまだという印象がある」と話し、移籍先のデュッセルドルフは日本人の人口がおよそ6,500人とヨーロッパでもロンドン、パリに続き3番目に多い街だということもあり、「ぼくが営業活動もやりましょうか」とおどける。もちろんジョークではあるが、しかし実際に彼がデュッセルドルフでの新シーズンに活躍することで、スポンサードしているサン・クロレラの知名度向上に貢献することはたしかである。もちろん主たる動機はそれではないが、新天地でともに成長し、新たなフィールドを切り開くパートナーであり続けることは、とても誇らしいことではある。