髙橋藍
バレーボールプレーヤー
髙橋塁
バレーボールプレーヤー
髙橋塁、藍。野球好きの父が名付けたその名前。しかし、兄弟が選んだのはバレーボール。小学校時代に競技を始めた二人だが、そのきっかけは、兄の塁選手がある選手のプレーに魅了されたことだった。
同じ競技で夢に向かって歩み続ける二人。後半は、兄と弟の対談で兄弟、家族の絆を語る
高校まで同じチームで切磋琢磨。お互いついて
――小学校からバレーボールを始めて東山高校まで一緒のチームでプレー。それぞれの特徴は?
髙橋塁(以下、塁):藍のプレーですごいなと思うのはサーブレシーブも含めたレシーブ力。もともとリベロをやっていたこともあるかもしれません。
小学校、中学校時代は、身長が小さかったよね。160㎝くらいだった?
髙橋藍(以下、藍):中学1年生のころは160㎝なかったかな?(全日本中学大会プログラムによると、塁選手182㎝、藍選手160㎝)。
塁:当時、同じ中学校で全国大会に出たときは、アタッカーは僕ともう一人エースがいるくらいだったので“二人が決めるから、とにかく拾ってくれ”みたいな感じでしたね。
藍:確かに、レシーブばかりやっていた印象があります。
塁:そうそう、思い出した。この前、母から小学校時代の映像が送られてきて、藍を見たら、コートをぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねてるんですよ。
藍:大喜びで(笑)たまたま自分がスーパーレシーブして、塁が決めた動画なんです。たぶん自分の中でめちゃくちゃうれしかったんじゃないかな? 画面からはみ出すぐらいコートを走り回っていました。
塁:(笑) このコロナ禍で、久々に藍とも長い時間一緒に過ごしたね。僕は去年、左膝をケガしてしまって半月板を手術して、秋季リーグに向けて体をしっかり戻していこうと思った矢先、ちょうどコロナ禍で春季リーグも東日本インカレもなくなってしまった。さらに緊急事態宣言も出て東京の状況がさらに深刻化した4月下旬にチームが解散して、実家に戻って…そこで10年ぶりくらいに家族が集まったよね。
藍:いつもバレーボール中心で、試合や遠征で家にいないことが多かったからほんとうに久しぶりだった。
塁:一日中、家族みんなで一緒にいるのは、幼稚園のころに戻ったような感じで、新鮮だったね。もちろん自粛期間中もできることはやろうと、身体を動かすことも忘れずに。
藍:家の近くを散歩したりとか、公園で妹と3人でパスしたり。
塁:空いた時間で春高の映像を見直して…。時間がいっぱいあったから、いろんな話をしました。とにかく濃かったです。
藍:これまで、バレーのこともなかなか話さなかったしね。お互い、大学生になってよく話すようになった気がする。
塁:正直、いろんな話をしているときに“あんなに小さかった藍がこんなに大きくなって”と、思ったよ(笑) 身長差もめちゃくちゃあったのにいつの間にか抜かれてしまった。藍が高校の後半のころかな? 完全に抜かれたのは。
藍:高校3年かな?
塁:まだ、東山高校で一緒にやっていたときは、ぎりぎり2~3㎝くらい僕のほうが大きかったもんね。
それに…身長だけでなく、春高で藍たちが優勝してから、自分の中で初めて悔しさが出てきて複雑な思いがあるな。もちろんめっちゃ応援してる。だけど、同じくらい悔しい気持ちが出てきた。そのときに気づいたんだ。もしかしたら藍は、僕らがバレーを始めてきてからずっとそういう気持ちだったんじゃないかなって。
藍:確かに。兄のほうが、絶対に先に結果が出るので、例えばインターハイ3位(2016年)なったのを見て、悔しいと思ったりね。だから“いつか絶対やってやろう”というライバル心はずっとある。
塁:今、高校生の妹も相当悔しいと思う。
藍:たぶん、そうかな。この前、3人でパスできたのはよかったな、すごく印象に残っている。僕も大学進学で春から東京に出てきたから、塁とは会おうと思えば会えるけど妹は難しいし。
塁:僕は藍に何かあったら飛んでいくと思う。すぐ行きます(笑)
藍:兄はすごく頼もしくて、自分のことが情けなく感じるくらいしっかりしていて、家族にも頼られる性格。小学校からずっとキャプテンを任されたり。反対に自分は頼られないほう、家族の中でも(笑)
塁:血液型の問題? 僕がA型で藍がO型。もともとの性格もちょっと違うよね。
――食べ物などの好みは違いますか?
塁:好みは全然違います、僕は超甘党。何で大きくなったの?と、聞かれたら“甘いもので大きくなりました”と答えるくらい(笑)
藍:僕はどっちかというと肉食なので。お肉だったらなんでも大好き。
塁:僕は、無理ですね。焼肉が食べられるようになったのは高校に入ってからかな。小さいときは、牛丼ですら食べられなかった。超食わず嫌い
藍:こだわりが強かった。
塁:そうそう。それで、ものすごく親に迷惑かけた。でも、藍は何もないよね。放っておいて大丈夫という感じで。
藍:僕は好き嫌いも全然なかったし。今もバランスよく食べることを心掛けているよ。日本代表合宿でも体調管理や食事に関して先輩方から学ぶことも多かったし。
けれど試合や遠征などに出かけると、どうしても、食事が偏ってしまうことが多いので、“今日野菜がとれてないな、バランス悪かったな”と、思うときには必ずサン・クロレラAを飲むようにしている。体調とも相談していて、その日の疲れ具合、朝起きたときに“今日はちょっと体だるいな”というときは朝昼晩飲んだりとか。とにかくクロレラを飲むのが好きなんです。サン・クロレラAに自分のパフォーマンスを支えてもらっています。練習でパフォーマンス上げないと、レベルアップにもつながらないので、めちゃめちゃ頼りにしてます。今後、海外遠征とかも増えると思うので、助かりますね。
バレーボールを始めたきっかけ、二人で練習した少年時代
――塁さんは、藍さんが日本代表に選ばれたことについてどう思われましたか?
塁:とにかくすごいなあ、って思います。優勝した春高ももちろんそうですけど、飛び級みたいな感じがする。この前、日本代表の紅白戦をリモートで見たけど、石川祐希選手と一緒のチームで戦っていて“うわーすごい!”とびっくりしました。
藍:日本代表での経験はすごく勉強になりました。ベテランの清水さん、福澤さんにも質問したり、石川選手に世界やイタリアリーグのことを聞いたり。今後について、とても参考になりました。
塁:福澤さん、清水さんは、僕ら小学生のころVリーグを見にいって「サインください!」って、色紙持ってお願いしたりしたよね。
藍:そうそう。応援していたよね。今では直接アドバイスをもらうなんて信じられない(笑)
塁:バレーやっていてよかったと思いますね。そもそも、僕らがバレーを始めたきっかけは、栗原恵さん(元日本代表)の試合を見たこと。小学2年生のとき、テレビで栗原さんの試合をたまたま放送していたんです。バレーボールのバの字も知らないようなときに“あ、この人になりたい”と、僕が思ったのがすべての始まり。
藍:で、塁が始めたので自分もとりあえず始めて。
塁:最初、藍は“やらない”って言っていたけど、練習についてくるなら…。
藍:やったほうがいいよみたいな感じに言われてね。
塁:強制的にね(笑)気づいたら一緒にコートでやっていた。
父親が野球をやっていたので、草野球を見にいったりしていたけど、僕らは野球場でバレーボールをしていた(笑) それぐらいはまってしまって。始めたころもね。そこらへんにあったボールを持って、藍に「おい、パスするぞ~」って。
藍:朝早く6時から公園に行って二人でパス。めちゃめちゃ嫌だったんですけどね(笑)
塁:パスは一人ではできないから無理やりつきあわせていました。その後、親にバレーボールクラブを探してもらい、小学3年になって正式に入部。ほんとうに練習が楽しくて楽しくて。試合に勝つことよりも。ひたすらバレーが楽しかった。そのときの監督さんがめっちゃおもしろくて、今回も春高、見に来てくれたんだよね。
藍:そう!自分のバレーを見て感動したって言ってもらえた。それだけでうれしくて、また次頑張ろうって思えるんだよね。
自分は、兄とは反対に、高校でバレーボールが好きになりました。中学くらいまでは全然、小学校のときもバレーが嫌いというのではなく、友達と遊びたい気持ちが強かった。でも、中学時代、京都府で優勝したりと結果が出始めてから、自分自身の成長、バレーの技術も上がってきて、高校で毎年格段とレベルアップしていったので、バレーが楽しいという気持ちになりましたね。
塁:確か、藍、中学上がるときに親にも“本当にバレーでいいの?”違う競技やりたかったらほかでいいんだよ “と、言われていたよね。
藍:そう。いろいろ考えましたね。でも、ほかにやりたいこともなかったし、今更ほかの競技というのもなあ、と。結局、バレー部に入って。でも、春高で優勝することができて、今年は日本代表も経験させていただいたので、ほんとうにバレーやっていてよかったなって思います。
それに、自分ひとりでは何もできなかった。塁のおかげで日本一も取れたと思っているので、感謝しかないです。
塁:いやいや、こちらこそありがとう。春高に連れていってくれて、さらに、東山高校に取材に来た栗原さんにも実際会わせてもらったので(笑) 実は、春高前に東山高校に栗原さんが取材にくるというのを聞いて、母親に言われて初めてファンレター書きました。
藍:それを僕が渡したんです(笑) めっちゃ嫌だって言ったんですよ。「なんで俺が?」みたいな感じで。
塁:本当にありがとう。その後、春高でごあいさつできてうれしかったなあ。
支えてくれる両親へのメッセージ、そして、未来への思いとは?
――高校まで、兄弟で一緒のコートに立っていらっしゃいました。思い出の試合は?
塁:やっぱりインターハイ予選の決勝じゃない?
藍:ああ、逆転で勝った試合!
塁:成績としては国体3位(2017年)が最高ですが、同じ年のインターハイ予選、洛南との決勝戦での逆転劇。あれがいまだに忘れられない。試合の中でいちばん緊張しましたね。
1セット目取られて、2セットも19-24で負けていて、みんな一回終わった、負けた、と、思ったけれど、そこから覆して勝った試合。
藍:確かにあれはすごかったね
――お互いに、ここは絶対に負けないというプレーは?
塁:僕は藍と比べて高さがないけれど細かなプレーは勝負できるかなと思っています。
藍:確かに。小さいころからクロスへの打ち方とか器用で、ブロックのかわし方がうまい。
自分は高さがあるけれど、そこが得意ではないから。自分が勝てるかなと思うのはレシーブ。レシーブしてからスパイクに入るスピードは、自分の特徴です。
塁:藍はほかのスポーツやらせてもすぐにパッとできるタイプ。僕は、バレー以外はそんなにできないし、コツコツ練習するタイプ。
藍:(笑)バレーやる前はお父さんとずっとキャッチボールしていたので、投げるのは得意。もしバレーボールをやってなかったら、野球を選んでいたんじゃないかなと思いますね。
塁:野球の道に進んでいたらどうなっていたんだろうね。
藍:やめたいって思ったかもしれないなあ(笑)
――お二人を支えてくださっているご両親へメッセージと今後の抱負を。
藍:中学でバレーをやめようか迷っているときに、話を聞いてくれて思いとどまらせてくれたのが両親。もし違う道に進んでいたら春高優勝もなかった。あのときバレーボールを選んだから今の自分がいる。生活面でも指導してくれたことが今も役立っているのでほんとうに感謝しかないですね。
塁:僕も一緒ですね。感謝。バレーに限らず、習い事など、やりたいと言ったことを文句ひとつ言わずにやらせてくれた。そして、バレーボールに出会ってから、どんなときも見守ってくれた。高校時代、練習時間も長かったので、夜、帰りがどれだけ遅くなっても、絶対に起きて待っていてくれたし。
藍:朝から弁当作ってくれてね。
塁:相当すごいなと思うし、いつもありがとうと思っています。
藍:自分は、オリンピックに出て、そこで活躍することで今までの恩返しができるかなと思っています。オリンピック選手をずっと目標にしているので、その舞台に立って、両親、祖母、親戚、みんなに恩返ししたいなと思いますね。
そして、いずれは海外でプレーもしてみたい。なるべく早い段階で行きたいと思います。
塁:僕は、バレー始めたときに、清水選手たちのVリーグの試合を見に行って“この舞台に立ちたい”と思っていたので、プロのバレーボール選手になって、自分のサインボールを母親に投げにいきたいですね。お互い頑張ろう。
藍:大学では絶対に負けたくはない。敵ではあるけれど、もちろん兄なので頼りにしているし、これからのほうが人生について話す回数も増えると思うので、そういう部分でも頼りにしてるよ。
塁:(笑)大学ではネットを挟んで、将来はプロで一緒のコートでやれたらいいなって。それを目標に頑張ります。
バレーボールを始めた小学校時代から、パスでつないできた二人の夢、そして絆。 支えあい、それぞれの高みを目指し一歩ずつ階段を上り続ける髙橋兄弟が、バレーボールという競技で輝く一等星になる日は、もうすぐそこだ。