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Vol.20
ラクロスに夢を乗せて
日本ラクロスのパイオニアが語る、その魅力と夢のカタチ

山田幸代
プロラクロスプレーヤー

ラクロスに夢を乗せて 後編
2020/07/15

「ラクロス」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか?ファッショナブルなイメージを持つかも知れないが、それは事実と大きく異なる。「地上最速の格闘球技」と呼ばれるほど、速く、激しい競技なのだ。そんなラクロスにおいて、日本初のプロ選手として活躍するのが山田幸代選手。日本代表としてワールドカップに出場し、2007年9月にプロ宣言。その後、強豪のオーストラリアチームに移籍し、2017年にはオーストラリア代表としてワールドカップに出場を果たした、日本ラクロス界のパイオニアだ。

サン・クロレラは、世界最高峰のプロラクロスリーグであるアメリカ「PLL(Premier Lacrosse League)」と、彼女が主催するエキシビジョンマッチ「WORLD CROSSE 2019」をスポンサード。日本で誰よりもラクロスを知り尽くす山田選手に、さまざまな疑問をぶつけてみた。後半では「日本ラクロスの未来像」について、山田選手の普及活動を交えながら語っていただいた。

トップ・オブ・トップを本気にさせろ。

――日本と世界トップ層との間にある大きな差。それを実感するのはどんな時でしょうか?

私は「トップ・オブ・トップを本気にさせないと、本気の経験はできない」と思っています。アメリカと日本が練習試合をしたとき、日本チームが健闘して「点差が広がらなかったね」と喜ぶことがあるんですが、それは彼ら・彼女らが本気になっていないから。

――日本はまだ本気を出す相手だと認められていないと。

それほどの実力差があるんです。金メダルを争うようなチームに対しては、勝つためにラフなプレイをしてくるほど目の色が変わります。そんな経験は、私が日本代表だった時でも得られず、オーストラリア代表として戦ったときに初めて経験しました。トップ・オブ・トップの本気のプレイを経験しない限り、日本は世界と戦えない。私が日本代表の強化指定選手や早稲田大学のチームをコーチングしている理由でもあります。

――やはり世界のトップ・オブ・トップはアメリカなのでしょうか?

その通りです。世界最高峰のプロリーグはアメリカの「PLL(Premier Lacrosse League)」。2020年に2年目を迎えた新しいリーグなんですが、世界中のプレイヤーが競うトップ・オブ・トップです。

――「PLL」とは、どんなリーグなのでしょうか?

アメリカには、以前から「MLL(Major League Lacrosse)」というプロリーグがあります。けれど、そこでプレイする選手は、ラクロスだけでは生活が成り立たず、別の仕事を持ちながらプレイしていました。そんな状況を変えようと、有名プレイヤー・Paul Rabilと彼の兄弟・Mike Rabilによって立ち上げられたのが「PLL」。不満を持っていたトップ選手約120人が一気に移籍し、ラクロスシーンに大きな変化を起こしました。

――トップリーグであり、最も勢いのあるリーグなんですね。注目する選手はいますか?

男子だと、今年MLLから移籍してきたRob Pannell。アメリカ代表のアタッカーであり、世界最高のアタッカー。PLLでも活躍すること間違いなしです。あとは、Jojo Marascoも注目のアタッカーの一人。ボールを持った後のスピードとテクニックは見応えがあって、力強いシュートの中にも繊細な技術が光るプレイで魅せてくれます。ディフェンダーでは、“BIGコアラ”の異名を持つオーストラリア代表のCallum Robinson。強靭な肉体から繰り出されるパワフルなスティックチェック(ボールを奪うプレイ)は大迫力です。女子選手では、女子版PLLである「WPLL(Women’s Professional Lacrosse League)」で活躍するDana Dobbieは、世界一のテクニックの持ち主。アイスホッケーのカナダ代表に選ばれ、男子リーグでも活躍した経験があるほど、フィジカルとテクニックを兼ね備えた選手です。

Rob Pannell(左)、Jojo Marasco(中)、Callum Robinson(右)

全てのチャレンジは夢の実現のために。

――山田選手自身への質問に変わりますが、日本人初の試みでもあるオーストラリアへのチャレンジは、やはり苦労が多かったのではないでしょうか?

全く英語が喋れないまま渡豪したので、言葉の壁には苦しみましたね…。楽観的な性格なので「なんとかなるか!」の気持ちだったんですが、なんとかなりませんでした(笑)。試合も出れない、英語も喋れない、誰に頼っていいのかも分からない。何もできないことが悔しくて、1年目はドン底でした…。けれど、そんな私を救ってくれたチームメイトがいるんです。ケイトと言うチームメイトで、その子はオーストラリアとドイツのハーフ。「私もドイツ留学のときに大変だったから」と言って、私が伝えたいことを、私に代わってチームのみんなに喋ってくれたんです。それから周りとの関係が変わって、チームに溶け込むことができました。逆境に苦しんでいた私に、光や道を作ってくれたケイトには心から感謝しています。

――素晴らしい仲間に出会ったことで人生が変わったんですね。ちなみに、オーストラリアへ渡ったのは、やはり世界のトップに立ちたかったからでしょうか?

そうではなく、「ラクロス選手になることが、日本の子ども達の夢になること」という夢のためなんです。昔から子どもが大好きで、保育士になりたいと思っていたくらい。では、どうすれば子ども達にラクロスを知ってもらえるだろう?日本のラクロスが強くないと、知ることすらない。では、どうやったら日本が強くなるか?私が世界を経験してきて、日本の監督になるしかない。そう考えてオーストラリアへ渡ったんです。

――子ども達への思いが全ての原動力なんですね。

今も夢へのチャレンジを続けている最中で、その一つが「WORLD CROSSE」。「PLL」と「WPLL」から約40名のトップ選手を日本に呼んで、日本チームとエキシビジョンマッチを行う大会です。開催した理由は「トップ・オブ・トップを見て欲しい」と考えたから。私自身がオーストラリアでトップ選手を見て、学んだときに、自身の急速な成長を感じたんです。同じ体験を日本の選手達にもして欲しくて。2017年の第1回は、選手に直接メールや電話をしたり、アメリカまで会いに行って選手を呼びました。スポンサー集めや企画運営、スケジューリングも全て私が行っていたので、倒れるかと思うほど大変でしたが(笑)。2019年の第3回では、私の思いに賛同してくれた「PLL」がパートナーシップを結んでくれました。

――日本チームはどんな選手が出場するのでしょうか?

トライアウト形式で選出しています。男子のトライアウトには200人近いプレイヤーが挑戦してくれて、世界を肌で感じたい若者が多いことを実感できました。誰でも挑戦できるこの仕組みは「WORLD CROSSE」が大切にしている部分。これから回を重ねていっても、オープンなトライアウトは残したいと思っています。

――「WORLD CROSSE」では、子ども達へのプログラムも行われるのでしょうか?

「英語を使ったコミュニケーション」もテーマに掲げていて、「PLL」の選手と共に開催地の学校へ訪問しています。ラクロスを軸にした国際文化交流として、子ども達には英語で選手とコミュニケーションを取ってもらうんです。英語での会話に挑戦した子ども達に、選手から「今日の君達のチャレンジはカッコよかったよ。明日はおれ達が試合でチャレンジするから見に来てくれ」と、翌日の試合に子ども達を招待するんです。子ども達がラクロスをやってみたいと思うきっかけになればいいなと。

先駆者が思い描く日本ラクロスの未来像。

――これまでの普及活動を通じて、夢に近づいて来た実感はあるのでしょうか?

「WORLD CROSSE」に参加した大学生の男の子が、ラクロスのためにカナダへ渡りました。大学卒業後、大企業へ就職していたんですが、挑戦のために仕事を辞めてまで。私も全力で応援していますし、チャレンジの結果が出るまで応援し続けたい。自分ができることはやっていきたいですね。

――今までやって来られたことの成果の一つですね。今後の目標はありますか?

みなさまの協力のおかげで「WORLD CROSSE」は第3回まで開催でき、2000人近い方に来場いただきました。この大会が目指すゴールは、サッカーの「FIFAクラブワールドカップ(旧トヨタカップ)」。ラクロスにはクラブ同士が競うトーナメントが存在しないので、世界のクラブチャンピオンシップに育てたいですね。そうなれば、子ども達により知ってもらえるし、町中の子どもを呼んで会場をいっぱいにできれば最高ですね。

――2028年ロサンゼルスオリンピックの新種目候補になったとありました(前編参照)。オリンピックに向けての思いは?

ありがたいことに世界のラクロス協会の選手会理事と、オリンピックルールを決める委員会でチェアパーソンをさせて頂いていて、正式採用に向けて全力で動いています。これまでラクロスの世界大会はワールドカップだけでしたが、オリンピックが加われば選手の目標が増えますし、新しいチャレンジを生む力になるはずです。「WORLD CROSSE」をきっかけにラクロスを始めた子どもが、2028年にオリンピック日本代表監督になった私のチームに入ったりしたら…それは、もう、感無量です(笑)。

――山田選手の夢が実現する瞬間ですね。最後にメッセージをお願いします。

私はラクロスを通じて多くのことを学んできました。次は私がお返しする時だと思っています。まだまだ何も返せていませんが、私を救ってくれたケイトのように、いろんな人を助ける光や道を作ってあげたい。今も進んだり、戻ったりを繰り返していますが、私の夢はたった一つ。「ラクロス選手になることが、子ども達の夢になること」を目指して、挑戦していきたいと思います。

山田幸代
1982年生まれ。滋賀県出身。中学・高校時代はバスケットボール部に所属し、3年連続で全国大会に出場。チームのキャプテンも務めた。大学時代にラクロスを始め、2005年には日本代表としてワールドカップに出場を果たす。2007年9月にプロ宣言し、翌年には強豪オーストラリアのチームに移籍。2017年、オーストラリア代表としてワールドカップに出場し、翌月のワールドゲームズではアジア人初となる世界大会銅メダルを獲得。長期的な目標は「ラクロス選手になることが、日本の子ども達の夢になること」。競技者として活躍する一方、コーチングや強豪国を日本に招いてクリニックを開くなど、競技の普及にも尽力する。
公式サイト:https://sachiyoyamada.com
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