佐藤将光
総合格闘家
プロになってからも、佐藤将光はあと一歩のところまでは行くものの、真の栄光を掴むまでには至らなかった。しかし、修斗の世界王座を獲得してから一気に覚醒。たとえ辛酸を嘗めさせられても、佐藤将光は必ず這い上がる。
初戴冠。「ホットしたという気持ちが一番」
キャリア初期の佐藤将光は「あと一歩」という印象が強い選手だった。パンクラスの『ネオブラットトーナメント』ではベスト4。格闘技のビッグイベント『SRC』(SENGOKU RAIDEN CHAMPIONSHIP)では2連勝してバンタム級アジアトーナメントに出場するというチャンスを掴んだが、田村彰敏に敗れベスト8止まりだった。
2014年秋から主戦場をパンクラスから修斗へ。2017年3月24日には石橋圭太が保持する修斗の環太平洋バンタム級王座に挑戦したが、1-0のドロー。念願のチャンピオンベルトを巻くことはできなかった。
とはいえ、佐藤はリマッチにめっぽう強い。その7カ月後、石橋と修斗の第10代世界バンタム級王座を5回戦で争い、3-0の判定で初戴冠に成功した。
佐藤は「その前に一回コケているので、あのときはホッとしたというのが一番」と思い返す。「何か形になるものを残せたというのも良かった」
その一方で、初戴冠までの3年間は不安との闘いだったと打ち明ける。
「これだけやっているのに、俺は何も残せずに終わってしまうんじゃないか」25歳から27歳にかけ、佐藤はそう思い続けていた。
「修斗に参戦する頃が一番モヤモヤしていたと思う」
転機となったのは、その時期に初めてアメリカのMMAジムで練習する機会を得たことだった。すでにMMAの中心地は日本からアメリカに移行しており、そのレベルもすでにアメリカの方が上といわれていた。
MMAの最前線で練習することで佐藤は「こういう練習をしているんだ」と感心した。日本との大きな違いは何だったのだろうか。
「プロ練になるとコーチが横からずっとアドバイスしてくれることが違いましたね。練習が終わったあとも『こうした方がいい』という感じで声をかけてくれる」
佐藤はアマチュア時代に柳澤があれこれアドバイスしてくれたことを思い出し、心の中で呟いた。「アメリカに届かないわけではない」と。
評価を高騰させたハファエル・シウバ戦
この頃になると、試合内容にも如実に変化が現れる。再浮上するきっかけとなったのは、14年10月4日のVTJ6thで小野島恒太をパウンドによるKOで下した一戦だった。
「あのあたりからたまたま上がってきた感じがする。理由は……やっぱり経験ですかね。MMAはやることがいっぱいあるので、その頃からようやく自分の闘い方が決まってきた気がする。(対戦相手がどう出てきても)対応もできるようになってきた」
戴冠後、ノンタイトル戦で斉藤曜に手痛い判定負けを喫したが、すぐリベンジに成功した。そして2019年5月10日からはアジア最大の格闘技プロモーションであるONE Championshipへ。同団体では3連勝をマーク。しかも全てKOか一本によるオールフィニッシュ勝利だったので、一躍スポットライトを浴びるようになった。
中でも、対戦前は「絶対的に不利」と予想されながらも、TKO勝ちを収めた東京大会でのハフェエル・シウバ(ブラジル)戦は佐藤の評価を一気に高めた。
「僕もシウバとの試合が決まったときには、正直きついなと思いました。だからこそムチャクチャ練習したし、ムチャクチャ相手の映像を見ました」
ONEで勝ち続けるようになると、待遇面も良くなった。
「ONEはファイトマネーが全然違う。それこそ1本かKOで勝つと、ボーナスマネーをもらえるのでもらえる額はさらに増える。そうなったら、もう格闘技に専念してもいいかなと思いますよね」
だからといって、ファイト一本に絞る気配はない。現在佐藤は坂口道場を主宰する元MMAファイターで、現在はプロレスラーとして活躍する坂口征夫が経営に関わっていた水道管工事会社に長い間正社員として務める傍ら、2018年には都立大学に自ら運営するジム『FIGHT BASE』を立ち上げ、指導にあたっている。佐藤は、なんと二足の草鞋ならぬ、三足の草鞋を履いているのだ。当然、時間が足りなくなるときもある。ジムをやるようになってから水道管の方の仕事はちょっと減らしてもらったという。
「週5回だったのを週3回にしてもらいました。いまは正社員ではなく、アルバイトという扱いです。最近はもうちょっと時間が欲しいと思うようになりました」
コロナ。そしてONEでの初敗北
新型コロナウイルスの影響で、2020年1月31日のクォン・ウォンイル(韓国)戦以降、実戦の舞台から遠のいた。佐藤はいつでも闘えるように臨戦体勢を整えていたが、大会そのものが開催されない時期もあったのでオファーを待つしかなかった。
今年2月5日には、ようやくONEシンガポール大会でファブリシオ・アンドラージ(ブラジル)戦が組まれた。ファブリシオはMMAとキックボクシングの二刀流ファイターで、過去中国の格闘技イベントで闘った経験を持つ。結果は佐藤の判定負け。3-0の完敗だった。
「悔しかった。ちょっと届かなかった」
1R、アンドラージはスタンドの打撃戦で強いプレッシャーをかけてきた。佐藤にとってはある程度予測できた展開だった。
「最初はサウスポー(の構え)で来るかと思ったんですけどね。過去の試合映像を見ると、MMAをやっているときはだいたいサウスポーなんですよ。なので、ずっとサウスポー対策をしていました」
ただ、オーソドックスで来るならそれなりの対応もできると思っていた。
「それからは僕が先に出たところ待たれ、全部カウンターを合わせられていた」
組んで倒せばいいとも思っていたが、そうした佐藤の戦術をアンドラージはしっかりと読んでいた。
「僕は左差しなんですけど、そうしたら相手は左差しを巻いて頭を入れ、ヒジ打ちで削ってきた。その動きが徹底されていたので、試合中に『参ったな』と思いました。自分の腕を巻かれているので、タックルにも行けない」
ムエタイでのキャリアもあるアンドラージを相手に首相撲の攻防は分が悪いと思い、その体勢になってもヒジ打ちを使わなかったことも、結果的にマイナスに働いた。
「腕を巻かれていたら行けばよかった。僕はもっとスクランブル(ポジションの取り合いでもつれた状態)を作りたかった。足関節も狙っていたけど、ずっと腕を巻かれていたので行ったところで足は遠い。相手が来てくれないとできない技が結構あって、そこが難しかった。試合前はスイープ(グランドの攻防で下の状態の選手が上から攻める相手をひっくり返して上になるための技術)とか結構作れると思っていたんですけどね」
3R、佐藤は2度ほどグラウンドに行くチャンスを掴んだが、フィニッシュまでには至らなかった。スタンドの相手のバックをとり、おんぶの状態になったときにはすぐ前方に振り落とされた。
「僕はあの入り方が得意。あの体勢をキープして、チョークをとったりして勝つ。あるいはコントロールして削る。でも、アンドラージは自分がバックから乗ってくることを見越したうえで落していましたね」
勝てば、次はタイトルマッチという流れだったが、佐藤はまたしてもチャンスを逸してしまった。それでも足踏みには慣れているので、必ずもう一度這い上がってくれるはずだ。
「もう負けたんだから仕方ない。またやるしかない。シンガポールの滞在中は(コロナの感染防止の一貫として)ずっと部屋にひとりで隔離されていたので、試合後は『やっちゃったな』と呟きながらずっと考えていました。自分と向き合う時間でしたね」
日常生活の中で佐藤はプロテインの類を一切口にしない。
ただ、ほんのりと甘いので減量期にスイーツ代わりに口にする程度だ。食事の面でもさほどアスリートという部分にこだわらない性格ながら、サン・クロレラAパウダーだけは毎日飲んでいるという。
「僕は2020年に出会ってからずっと飲み続けています。飲み続けたらコンディションがいいので、毎日飲んでいます。シンガポールで試合があるときも現地に持っていきました」
佐藤には、リベンジという言葉がよく似合う。アジアの頂きは、手の届くのところにまで近づいている。