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Vol.3
目指すは自転車世界最速の五大陸走破
日本縦断ギネス記録を皮切りに、世界五大陸へ打って出る
Team Sun・Chross ナガセキヒロキ
目指すは自転車世界最速の五大陸走破 前編
2019/03/22

世の中には、挑戦することで生き続けられるような人がいる。ギネス記録保持者になっても落ち着くことなく、むしろ新たな挑戦へと次を急ぐように生きる人。永関博紀は、いまも挑戦の最中にいる。

彼が保持するギネス世界記録は、自転車による日本縦断の最速記録。2018年7月、北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬までの2,700kmを7日と19時間37分で走りきった。それまでイタリア人が保有していたギネス記録を21時間近く大幅に更新した。これは、毎日およそ350kmを走り続けたことになる。

1日で350kmとは、時速25kmで走っても14時間かかる距離だ。食事や休憩、睡眠の時間を除けば一日中サドルの上で、しかもそれが1週間以上続く。さぞかし過酷な挑戦だっただろうと感想を聞くと、「2回目でしたし、世界に出る前哨戦のつもりでした」と涼しげな答えが返ってきた。

どん底の日々から世界を走る挑戦者に

そう、永関の日本縦断は2回目だった。実は2017年の10月に最初の挑戦を行っている。永関が自転車で世界を走ろうと思い立ったのは7月10日。定職もなく過ごす毎日の中で、くすぶっていた内なるエネルギーは発散の機会を求めていた。インターネットで日本縦断のギネス記録を知り、世界を走る前段階として、まずは日本で記録を打ち立てようと動き始めた。

その時点まで、永関のスポーツ自転車経験はゼロ。それに準備期間は3ヶ月だけという、あまりにも無謀な挑戦だった。そしてやはり挑戦は、苦戦を強いられた。前半は冷たい雨が続き、2日目にしてすでにアキレス腱は通常の3倍までに膨れ上がった。福井県の鯖江に至る頃には、膝の痛みで走り続けるのも困難になった。

最後の2日間は、400kmを漕いで、20分だけ仮眠してまた300kmを走った。フィニッシュタイムはギネス記録より40分早かったが、証拠不足でギネスの世界記録認定は見送られた。しかし初めての挑戦にして、永関は走りきった。なかば意地で、だがそこには喜びもあった。

「とにかくそれまでの2年間が僕にとってどん底の期間でした。何も生み出せなかった後悔と、自分の不甲斐なさが募って、久しぶりに挑戦できることが嬉しかったんです。この機会をカタチにしたくて、死に物狂いでゴールしました」
非公認となったが、やり遂げたことがひとつ永関の自信になった。そして今度こそはギネス記録を公式に達成したいという思いは強くなる。サポート体制を求めスポンサー企業を探す日々の中で、永関はサン・クロレラの門を叩いた。

チーム「SUN・CHROSS」の結成、そして世界記録樹立

「北海道の学生時代から、『サン・クロレラクラシック』というゴルフの大会で名前を知っていました。健康飲料と体づくりは密接な関係がありますし、スポーツに理解のある企業だと信じてスポンサードをお願いしたんです」

挑戦に生きる永関の姿に、サン・クロレラはスポンサードを決定。ギネス記録の申請に必須となる証拠(エビデンス)を集め、活動を動画に記録し配信するためのサポートスタッフからなるチーム「SUN・CHROSS」が結成された。

最初の日本縦断から9ヶ月後、チーム「SUN・CHROSS」のサポートを受け再び永関は北海道・宗谷岬を走り出した。「SUN・CHROSS」のメンバーとしてサン・クロレラの広報スタッフも同乗した。自身の一挙手一投足を追いかけ、記録してくれる心強いバックアップを得て、永関は快走をみせた。

心強いといえば、各地のサン・クロレラ社員が沿道に駆けつけて応援してくれたことを永関は述懐する。本州と九州をつなぐ関門トンネル人道では、下関営業所のスタッフが永関とともに九州まで渡って応援してくれたという。予期せぬ応援もまた、彼に心理的なサポートをもたらしたようだ。

そして2回目の日本縦断は成功裏に終わった。「SUN・CHROSS」のサポート体制もあり、ついに待望の世界記録を達成することになる。しかし日本を走りきった彼の視線は海の向こう、アメリカ大陸を見据えていた。すでに次の挑戦に燃えていたのだ。

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