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vol.31
オリンピック初代女王を目指して
弱さと向き合うたびに強くなる、新しき挑戦者

中村安寿
ノルディック複合女子日本代表

オリンピック初代女王を目指して 前編
2021/04/23

ノルディック複合という冬季スキー競技をご存じだろうか。
スキージャンプとクロスカントリースキーを行い、その両方の成績を合計して順位を決める競技で、ノルディック・コンバインドとも言われる。そしてヨーロッパでは、その勝者のことを「King of Ski(キング・オブ・スキー)」と呼ぶ。
以前は男子のみの競技だったが、4年前から女子の国際大会も開催。この過酷な競技に果敢に挑戦し、2020年に初めて開催された女子W杯(ワールドカップ)で見事3位に入ったのが、東海大学の中村安寿(なかむら あんじゅ)だ。彼女はなぜこの新たな競技に挑み、そして何を目指しているのか。屈託のない笑顔で明るく話す彼女の中に、挫折と葛藤、そして強い意志を垣間見ることができた。

手っ取り早く世界に行けそう

 中村は、5歳の時にクロスカントリースキーを始める。ただそれは「積極的に」ではなく、保育園の友達がクロスカントリースキーの少年団に入っており、先に兄・直幹(なおき)が始めていて、それについて行く形で始めたのだ。
「すごく楽しいというわけではなく、みんながやっているからやっている感じ。辛かったし、サボることばかり考えていました」
それでも、ピアノや水泳、バレエなどの他の習い事は何ひとつ続かなかったのに、なぜかクロスカントリーだけは続けていた。
「小さい頃って、練習すればするほど走れるようになってタイムが上がっていくんです。大会で表彰台に上がってトロフィーをもらうのが、とても嬉しかったですね」
だが、中学生になると一度スキーから離れてしまう。通う中学にスキー部がなく、知り合いのスキーの先輩がいるソフトテニス部に入部。冬場だけ少しスキーに乗るが、あとはソフトテニスの練習ばかり。それが中3の夏まで続いた。そして冬になり、ようやくクロスカントリーの練習を本格的に再開し、大会でも5位に入賞する。それでも、高校で続けるかはまだ迷っていた。クロスカントリー強豪校の練習に参加してみたが、キツくてついていけない。もうスキーは辞めて「普通の女子高生ライフを楽しみたい」とも思うようになった。
そんな時に、幼い頃から一緒にクロスカントリーをやっていた子が、女子のコンバインドを始めると聞いて、「え、あの子がジャンプ?」と衝撃を受けた。実は中村の兄と弟がジャンプをやっており、中村の方が身近にジャンプの環境があった。「私もやってみようかな」と、兄や仲の良い後輩に相談すると「絶対ハマる!楽しいよ!!」と背中を押され、高校入学と同時にコンバインド競技に取り組むようになる。
「半分は逃げなんですけど、クロスカントリーだけをずるずるやるよりも、新しくできる女子のコンバインドの方が手っ取り早く世界に行けるんじゃないかなって思ったんです」

小学生たちと一緒にジャンプの練習

 コンバインドの選手は小さい頃にジャンプをやっていて、後からクロスカントリーに取り組むケースが圧倒的に多い。そんな中で中村は、高校生になって初めてジャンプに挑むことになる。まずは最も小さいスモールヒルのジャンプ台で、小学生たちと一緒になって飛び始める。最初は「ただ飛べばいいんでしょ」と簡単に考えていたが、いざジャンプ台の上に立つと、小さな台でもとにかく怖い。飛ぶというよりただ落ちる感じ。「周りは自分より小さい子ばかりなのに、すごくうまくて。本当に恥ずかしかった」と振り返る。
その後、次のクラスのミディアムヒルジャンプ台に進むが、とにかく転倒などが多く骨折をはじめ怪我ばかりしていた。それでも、主要な大会はノーマルヒルを飛ばなければならず、中村はクロスカントリーの練習はさておき、ただがむしゃらにジャンプを飛び続けていた。
ジャンプ練習に時間を費やす分、クロスカントリーの練習が疎かになり、当然走力は落ちてしまう。ジャンプは飛べない、クロスカントリーも思うように走れず、周りの選手にどんどん置いていかれているような気持ちになる。「コンバインドを始めたのは間違いだったかも」と思い悩むこともしばしば。高校時代はほとんど結果を残せずに時間ばかりが過ぎていった。
それでもコンバインドを辞めようと思わなかったのはなぜか。
「負けず嫌いというのもあったけど、クロスカントリーから逃げてコンバインドを選んだので、もう逃げられないという思いでした」

周りのサポートがあってこそ、できること

 高校3年の時、一つの転機が訪れる。コンバインド女子の日本代表チームができたのだ。好成績を残せば、そのナショナルチームに入れる機会があった。コーチから「お前は気持ちで負けている。絶対怖くないから、気持ちで負けんな!」と叱咤された。吹っ切れた中村は、ジャンプで今まで後ろ重心だった姿勢を思いっきり前に突っ込んでみせる。一つ間違えば危険な賭けだったが、なんとこれまでのシーズンで一番いいジャンプとなった。おかげでタイム差も少なくクロスカントリーを走ることができ、5位に入賞。ナショナルチームに選ばれることになった。ナショナルチームに参加してジャンプを猛特訓。代表コーチから動作の流れ、力の伝え方、空中での重心の置き方などを指導され、中村のジャンプは日に日に良くなっていった。

 東海大学に進学し、世界の舞台でも戦うようになった中村。しかし、その成績はなんとも浮き沈みの激しいものだった。
2019年世界ジュニア選手権で3位入賞したかと思うと、全日本選手権でも3位。
「世界で3番、日本でも3番ってどういうこと?ってなりました(笑)」
翌シーズンは国内2大会に連続優勝し、オーストリアで行われたW杯の下部大会コンチネンタル杯でも優勝。その後も入賞し、「自分は強いかも、と思っちゃっていました」。
中村にとって年齢的に最後となる世界ジュニア選手権。ここでも当然優勝と、意気込んで臨んだ結果が、まさかの9位。
「ジャンプが狂っていて、クロスカントリーもうまく走れていなかったのに、その修正もせずに『自分はできる、なんとかなる』と思ってしまって。どうして自分はすぐ調子に乗るんだろうと、すごく落ち込みました」
しかしその二日後、ミックス団体戦(男子二人・女子二人)に抜擢され出場することに。
「ジャンプで私が足を引っ張ったんですけど、クロスカントリーでは7位でバトンをもらい、なんとか4位まで上がった。そしてアンカーが頑張ってくれて3位になってメダルが獲れた。今まで個人競技として一人でやってきたと思っていましたが、その時にコーチや仲間など周りの人の支えがあってこそできる競技なんだと実感しました」

中村安寿(なかむら あんじゅ)
2000年1月23日生まれ。北海道札幌市出身。5歳の時、周りに影響され距離競技(クロスカントリースキー)を始める。東海大学附属札幌高等学校へ入学し、高校からコンバインドに転向。その後、東海大学へ進学し、2018年から全日本ナショナルチームに選出。2020/21シーズンに女子複合の初のW杯が開催され、見事3位の銅メダルを獲得。21年に行われた初の世界選手権では4位入賞。日本の第一人者として世界の頂点を目指している。兄はスキージャンプ日本代表の中村直幹(なおき)選手。
Comment
2020年の秋頃から、サン・クロレラAパウダーを愛飲しています。毎日朝食と一緒に摂るのが日課。日本にいるときは牛乳にパウダーときな粉、蜂蜜を入れて飲んでいて、海外ではヨーグルトにパウダー、蜂蜜、シリアルを混ぜて食べていました。飲み始めてから本当に体調のサイクルが整って、競技にもいい影響が出ています。