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vol.31
オリンピック初代女王を目指して
弱さと向き合うたびに強くなる、新しき挑戦者

中村安寿
ノルディック複合女子日本代表

オリンピック初代女王を目指して 後編
2021/04/21

スキージャンプとクロスカントリースキーの両方の成績を合計して順位を決めるノルディック複合競技。この過酷な競技に果敢に挑戦し、2020年に初めて開催された女子W杯(ワールドカップ)で見事3位に入ったのが、東海大学の中村安寿(なかむらあんじゅ)だ。彼女が世界との戦いの中で何を感じ、どう変わっていったのか。そして、今どこを目指そうとしているのだろうか。

3位と4位、その大きな違い

 ノルディック複合(ノルディック・コンバインド)女子競技は、2026年冬季五輪での正式種目採用を目指している。その弾みとすべく、2020/21年シーズンに初のW杯シリーズと世界選手権の開催を予定していた。中村はこのシーズン、「W杯総合ランキング3位以内と世界選手権金メダル」を目標に掲げていた。

しかし、世界中が新型コロナの影響を受け、試合は軒並み中止や延期になってしまう。
「女子コンバインドの飛躍のシーズンになるはずだったのに、国内外の大会が次々キャンセルになってしまって、気持ちがググッと沈みましたね。どこを目指せばいいのかわからなくなって。その時に、SNSで海外の選手が合宿や練習をしているのを見て、ああ、自分は環境のせいにしている。強い選手は環境のせいにしないで、今やれることをやっている。そこから、私も試合が行われるかもしれない、とにかく準備だけはしておこうと、兄と一緒にトレーニングを工夫しながらモチベーションを保つようにしていました」

そんな思いが通じたのか、急遽W杯の開催が決まり、日本チームも参加を決定した。
「W杯はこれまでの大会とは全然雰囲気が違って、テレビ局が入ったりカメラの数がすごかったりして、選手たちもみんなそわそわしていました。そんな中で、コーチからは『結果より経験だから』と言われて、すごく落ち着いて臨めました」
前半のジャンプは、本人曰く「失敗ジャンプ」ながら3位につけ、後半のクロスカントリーはトップから約32秒差の3番手スタート。得意のクロスカントリーで逆転優勝も見えていたが、なかなか追いつけずにそのまま3位でゴール。女子初のW杯で銅メダルを獲得した。
「3位と4位の差ってすごく大きくて、3位になったことでメディアの扱いも大きくなり、海外の人も声をかけてくれたり、SNSをフォローしてくれたりして、表彰台に上がるってすごいことなんだと実感しました」
自他共に認める日本のコンバインド女子の第一人者となった中村だが、それは同時に大きな責任と重圧をも背負うことになる。

不安、緊張、弱さとの戦い、世界選手権

 W杯後、コンチネンタル杯の3連戦に出場し、結果は2位、2位、失格(スーツ規定違反)。いよいよ残すところ世界選手権のみという状況で、中村の調子は狂い始めていた。
「ジャンプの波が激しくて、ジャンプがわからなくなってしまった。その上に自分の武器であるクロスカントリーの方もおかしくなってしまって、どうやって走ったらいいかわからなくなって。もうスキーを履くのも怖くなってしまった」
慣れない長期にわたる海外遠征で調整方法も手探りで、疲労も溜まっていった。加えて、知らず知らずに日本のエースとしてのプレッシャーも感じていたのかもしれない。
「それで、目標を世界選手権優勝から『メダルが取れたらいいな』くらいに下げてしまった。そこが自分の弱いところです」
徐々に大きくなる不安と戦いながら、中村は世界選手権に臨んだ。

現地入りしてからも、緊張と不安は大きくなるばかり。「もしメダルを獲れなかったらどうしよう」「ジャンプで大失敗したらどうしよう」と、マイナスのことばかり考えていた。
試合前日の朝も不安のあまり泣いていた中村は、「オリンピックや世界選手権で活躍する選手ってすごい。それに比べて自分はなんてちっぽけなんだろう」と感じ、なんとか自分を奮い立たせようとした。泣くだけ泣いて、ふと目の前を見るとテントウムシがいた。ヨーロッパでは幸運を呼ぶ虫と言われており、「救われたというか、なんか不思議な感覚になって、ようやく『よし頑張ろう』と前向きな気持ちになれましたね」と笑う。

コンバインド女子競技初の世界選手権。その前半のノーマルヒルジャンプがいよいよ始まった。緊張で喉がカラカラになる。先に飛ぶ選手たちが次々といいジャンプをして飛距離を伸ばす。さらに緊張感が高まる中村。「大丈夫、焦るな」と気持ちを落ち着かせ、踏み切りから思い切り良く飛び出した。飛距離はK点を超える96.5メートル。
「あの緊張感の中で飛んで、自分の技術からすれば悪くない出来だったと思います」
前半のジャンプは6番手。トップとの差は50秒、3位とは26秒差だった。まだまだメダル圏内、優勝だって狙える位置だ。
後半の5kmのクロスカントリーは、2.5kmのコースを2周する。50秒差でスタートした中村は、最初の1周で二人を抜いて4位に上がり、トップと約42秒差まで追い上げる。だが、そこからタイム差がなかなか縮まらない。3位の選手の背中も見えているが、だんだん体力も息も苦しくなる。そこでまた弱気な面が顔を覗かせる。
「こんなに頑張っているし、このまま4位でいいんじゃない?って、悪い自分が囁くんですよ。途中はそんな弱い自分との戦いでした。でも、コーチをはじめ周りの人がたくさんサポートしてくれているのに、ここで諦めてどうするんだって、とにかく最後まで必死で走りました」
中村はそのまま4位でフィニッシュ。トップとの差は39.9秒、3位とはわずか15秒差だった。
「メダルを目標にやってきたのに4位。とにかく一番悔しい結果でした」
中村は悔しさのあまり、世界選手権のため現地に来ていたジャンプ男子日本代表の兄・直幹(なおき)にすぐに電話をした。直幹から「世界選手権で4位は立派だよ。悔しいと感じているなら、必ず成長できるから、次に繋げなよ」と言われ、中村はまた号泣した。直幹が代表に選ばれてもなかなか試合に出られず、たくさん悔しい思いをしているのを知っていたからだ。小さい頃から身近にいて常に努力し続ける兄の存在は、中村にとって一番心強い味方であり、尊敬できるアスリートなのだ。
「今回の世界選手権で、やっと競技の難しさを知りました。コンバインドはジャンプの瞬発系とクロスカントリーの持久系の真逆の2つのことをやらなければいけない。その両方のバランスを取る難しさと大切さを初めて実感した。そして途中で目標を下げてしまったことが何より悔しい。そんな弱いメンタルでは、到底世界1位にはなれないと思い知らされました」

人間的にも強くなって、勝ちたい

 中村に次なる目標を聞いてみた。
「2026年に女子コンバインドが正式種目になって、そこで金メダルを獲ることが一番の目標です。でもただ優勝したいわけじゃなくて、今回みたいな負けや失敗といった経験を全部踏まえた上で、自分の弱さを克服し人間的にも強くなって、そうやって成長した中で勝つことができたら、本当の達成感を得られるのかなって思っています」
とても怖くて辛い競技なのに、なぜこれまで続けてこられたのだろうか?
「そうですね。絶対できない、とは思えないから。やれば世界チャンピオンに届きそうな気がする。時には、優勝が遠く感じることもあるんですけど、でもまたやれると思える光がいつも見えてくる。だから頑張れるのかもしれません」
そんな、ゆるやかな、けれど最後にはしっかりと前を見据える姿勢も中村の強みかもしれない。

海外遠征も多い中村だが、体調管理には気を使うようになったという。
「やっぱり競技に勝つためには、栄養バランスの良い食事を心がけています。あと、サン・クロレラAパウダーを、日本ではきな粉と蜂蜜を入れた牛乳と一緒に、海外ではヨーグルトと蜂蜜を入れたシリアルと一緒に欠かさず摂っています。すごくコンディションが整い、不安なく試合に臨めます。パウダーは軽くてかさばらないので、携帯しやすく、遠征の時にもとっても便利です」

最後に、女子のコンバインド競技の魅力を聞いてみた。
「始まったばかりだからこそ、競技の成長スピードが早いんです。年々レベルが上がり、強い選手がどんどん入れ替わっている。今は誰が勝つか予想できない面白さがあります。自分も競技の魅力を伝えながら、ただ強い選手じゃなくて、常に努力とチャレンジができる、応援したいと思えるような選手になっていきたい!」
コンバインド選手としての競技歴はまだ6年。その伸びしろや可能性は大きく広がっている。彼女が持つ強みをさらに磨き、弱さと真摯に向き合い、それを克服した時、コンバインドのオリンピック初代女王の座は必ず見えてくるはずだ。中村安寿のこれからの飛躍から目が離せない。

中村安寿(なかむら あんじゅ)
2000年1月23日生まれ。北海道札幌市出身。5歳の時、周りに影響され距離競技(クロスカントリースキー)を始める。東海大学附属札幌高等学校へ入学し、高校からコンバインドに転向。その後、東海大学へ進学し、2018年から全日本ナショナルチームに選出。2020/21シーズンに女子複合の初のW杯が開催され、見事3位の銅メダルを獲得。21年に行われた初の世界選手権では4位入賞。日本の第一人者として世界の頂点を目指している。兄はスキージャンプ日本代表の中村直幹(なおき)選手。
Comment
2020年の秋頃から、サン・クロレラAパウダーを愛飲しています。毎日朝食と一緒に摂るのが日課。日本にいるときは牛乳にパウダーときな粉、蜂蜜を入れて飲んでいて、海外ではヨーグルトにパウダー、蜂蜜、シリアルを混ぜて食べていました。飲み始めてから本当に体調のサイクルが整って、競技にもいい影響が出ています。