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Vol.35
届け、世界のリンクへ
氷上の戦士が歩む2つの道、指導者とプレーヤーが夢見るもの

佐藤優(アイスホッケープレーヤー/Lincoln Stars)

2021/08/24

「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケー。日本では馴染みが薄いかも知れないが、競技⼈⼝は世界で約 180 万⼈、北米4大プロスポーツに数えられる競技だ。2021年7月23~25日に開催された「OHS × サン・クロレラ サマーアイスホッケー スキルキャンプ2021 in 京都宇治」。その会場で、主催である「Okita Hockey School」の代表兼ヘッドコーチ・大北照彦氏、世界最高峰のリーグ・NHLを目指す佐藤優選手の二人に話を伺った。なぜ、11歳にしてロシアへ渡ったのか? 海外での戦いや、その先に見つめるものとは? 爽やかな笑顔と力強い眼差しが印象的な若者は、飾らない言葉で自身を語ってくれた。

11歳にして歩んだ海外挑戦への道

2002年生まれの19歳。現在はアメリカ「Lincoln Stars(リンカーン・スターズ)」でプレイしている佐藤だが、アイスホッケーを始めたきっかけは父の影響だった。「父がホッケーショップを経営していて、ジュニアチームのコーチもしていたんです。3歳からそのチームで練習していました」。小学3年生で低学年チームのキャプテンになり、出場した大会は全て優勝。小学4年生で埼玉県初の全国大会出場を成し遂げるなど、同世代では日本トップクラスの実力を誇っていた。

小学5年生のある日。地元・埼玉栄高校アイスホッケー部のコーチであり、元ソ連代表でもあるワシリー・ペルウーヒン氏が佐藤に声をかける。「ロシアでプレイしてみないか?」と、思いもよらぬ誘いだった。とはいえ、まだ11歳。海外挑戦には早いと考えるのが一般的な感覚だが、「全く迷わなかったです。幼い頃からNHLに入るのが夢。父も『プロになるなら海外へ行った方がいい』と言ってくれて」と、挑戦を決意する。

後日、ロシアへ渡ってトライアウトに参加。「ありえないほど上手い選手がたくさんいて、これが世界かと(笑)。不安はあったけど、ここでやりたい!と思いました」と、より海外挑戦への気持ちが強まったという。トライアウトの結果はみごと合格。ロシアの名門チーム「Krylia Sovetov(クリリア・ソビエトフ)」に所属することが決まった。

ロシアで感じた日本との圧倒的な違い

晴れてロシアへ渡ることになったが、まだ幼いゆえに単身留学とはいかず、ビザの関係で滞在できるのは3ヵ月のみ。佐藤の父が共にモスクワへ渡って3ヵ月暮らし、一旦日本へ帰国して、次は母と共に3ヵ月……。数年はそんな生活が続いたという。

また、「Krylia Sovetov」の選手構成はロシア人のみで、欧米の選手さえいない環境だった。「最初は寂しかったですけど、そのおかげで現地の子と仲良くなれたし、ロシア語も早く覚えられました」と、大きなハードルにならなかったのだから驚きだ。小学校まではモスクワの日本人学校へ通い、卒業後は現地の中学校へ。「現地校は所属チームと連携していたので、試合のためなら早退もOK。むしろ『頑張ってきて』と送り出してくれるんです」と、アイスホッケーに専念できる土壌があったと語る。

名門チームでのプレイについては、「日本よりも遥かにレベルが高くて、入った当初は試合に出られるかギリギリのライン。みんな体格も大きいし、そもそも骨格が違いますよ」と笑うが、スキルでもフィジカルでも日本との差を痛感。さらに、日本では週1回程度だった練習が毎日あり、ジュニアリーグの公式戦も週2回開催されるなど、充実した育成プログラムをはじめとする環境の違いにも衝撃を受けたという。チーム練習後に自主練を行い、フィジカルの差を補うために持ち味のスピードを活かすなど、佐藤は地道な努力と工夫を重ね続けた。その結果、5年後には主力選手に選ばれるまでに成長する。

偶然の出会いが繋いだNHLへの切符

15歳の時、大きな問題が起こる。プレイしていたジュニアリーグから、その上のカテゴリであるジュニアプロリーグに上がろうと考えたが、そこにはロシア国籍の選手しか入れない規則があった。佐藤にとってロシアに残れるラストイヤー。他国へ移るか、日本に戻るか……、今後の動きに頭を抱えていたところ、あるエージェント(選手に代わってプロチームと契約交渉などを行う代理人)と出会いによって、フィンランドのチームへ移籍が決まったという。

そのエージェントの名前はイゴール・ラリオノフ。NHL、オリンピック、世界選手権の全てで優勝を収めたロシアの英雄だ。「突然電話がかかって来て、出てみたらあのレジェンド選手から! 落ち着いて話を聞いてみると『君はNHLに行ける素質を持っている。俺がサポートするけど、どうかな?』って」。他の選手の視察に来ていたイゴール氏は、偶然にも佐藤のプレイを目撃。その動きに光るものを感じてコンタクトを取ったのだ。

ここからの佐藤はイゴール氏のサポートのもと、ハイペースで海外を渡り歩く。フィンランドでは「Kiekko Vantaa(キエッコ・ヴァンター)」に所属し、U-18ジュニアリーグでポイント王を獲得。移籍から1年後にはその活躍が目に留まり、世界最高峰のジュニアリーグであり、NHLへの登竜門とも呼ばれるカナダ・CHLの外国人枠ドラフト候補へ選出。アジア人初となる指名を受けて「Quebec Remparts(ケベック・レンパーツ)」へ移籍した。そこは世界中から強者が集まるリーグだけにレベルは圧倒的。また、北米ホッケー特有のプレイスタイルにも戸惑ったという。「ロシアやヨーロッパがパスホッケーだとすれば、北米は当たりが激しい戦闘的なスタイル。リンクが小さいから展開も速いし、これまでやってきたホッケーは通用しませんでした」と振り返る。

カナダに移って約1年。北米ホッケーにも慣れ、結果を出し始めた頃に起こったのが新型コロナウィルスの世界的流行。その影響でリーグ戦が中止される事態になってしまった。佐藤にとって試合に出られないことは、成長が鈍ることと同じ。その状況に危機感を覚え、2020年8月、成長できる環境を求めて現在所属するアメリカ「Lincoln Stars」へ移籍。CHLに次ぐジュニアリーグ・USHLで、今も戦い続けている。

若き挑戦者を支える言葉と、見つめる未来

19歳にして4ヵ国に住み、4つのチームで結果を残してきたということは、その度に文化の違い、言葉の違い、プレイの違いを乗り越えてきた証拠。順応する秘訣はあるのだろうか?「大切にしていることが二つあるんです。一つ目は『プレイで信頼を得る』こと。試合で結果を出さないと信頼されないのは当たり前ですから。二つ目は『コミュニケーション』。チームメイトと意思疎通できていないと良いプレイはできないですし、監督とコミュニケーションしなければ、チームの目標や自分に何が求められているか分からない。どちらも欠かせません」。また、海外生活で大切な体調管理については、「偏りがちな栄養をサン・クロレラで補っています。体調を崩しにくくなりましたね」と健康への配慮も怠らない。

NHLを目指して戦い続ける佐藤には、今も忘れられない言葉がある。「イゴールさんに体格に恵まれない選手はNHLに入れないのでは?と不安をぶつけたことがあるんです。すると『そんなものは関係ない。小さい選手だからこそスピードや俊敏性で補える。体の大きさは必須じゃない』って言ってくれて。その言葉で、日本人でも通用する! NHLに行けるんだ!と、信じられるようになりました」。人生を変えるきっかけをくれたレジェンドの言葉は、佐藤の挑戦を静かに支えている。

「NBAで八村塁選手や渡辺雄太選手が活躍して、日本でもバスケが盛り上がってますよね。僕もNHLで活躍して、日本のアイスホッケーを盛り上げるきっかけになれたら」。日本アイスホッケー界を担うであろう若者は、そう未来を語って取材を締めくくった。幼くして海を渡り、厳しい道を真っすぐに歩く姿は、頼もしく、そして清々しい。その力強い足跡は、後を追う挑戦者を導く確かな道標になるに違いない。