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Vol.35
届け、世界のリンクへ
氷上の戦士が歩む2つの道、指導者とプレーヤーが夢見るもの

大北照彦(アイスホッケーコーチ/Okita Hockey School)

2021/08/31

「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケー。日本では馴染みが薄いかも知れないが、競技⼈⼝は世界で約 180万人、北米4大プロスポーツに数えられる競技だ。2021年7月23~25日に開催された「OHS × サン・クロレラ サマーアイスホッケー スキルキャンプ2021 in 京都宇治」。その会場で、主催である「Okita Hockey School」の代表兼ヘッドコーチ・大北照彦氏、世界最高峰のリーグ・NHLを目指す佐藤優選手の二人に話を伺った。後編は大北氏のインタビュー。日本のアイスホッケースクールの先駆けであり、U-18日本代表チームリーダーも務める人物の過去・現在・未来。そこには、日本アイスホッケー界を切り開こうとする力強い歩みがあった。

怪我から始まったプロコーチへの道

「指導者になるのが夢だったんです」と開口一番に語る大北。その夢を実現させた一つの形が「Okita Hockey School(以下OHS)」だ。東京を拠点に全国各地でキャンプやスキルクリニックを開催しながら、小学2年~高校3年の子ども達にアイスホッケーを教えている。

指導者を志したきっかけは、アイスホッケーの名門・駒澤大学附属苫小牧高校でプレイしていた高校2年生のとき。「腰椎分離症を患って競技から8ヶ月も離れたんです。それまでは、日本リーグで活躍するのが夢だったんですが、このままイチ選手を目標にするよりも、その先に何をしたいのか悩むようになって。本当に自分がやりたいことを考えたとき、教える方が向いているのでは?と感じたんです」。不本意な故障ではあったが、自身を見つめ直す時間が生まれたことで、指導者というビジョンが見え始めたという。

高校卒業後はアイスホッケーの強豪・法政大学へ。当時の大北は、大学でプレイしながら教員免許を取り、日本リーグで経験を積んだ後、学校教師としてアイスホッケーを指導する将来を描いていた。しかし、在学中に知ったのが、海外における指導者の実情。厳格なコーチライセンス制度が設けられ、職業としての「プロコーチ」が存在していた。日本や教師という既成の枠を越え、本当に目指すべき指導者像が明確になった瞬間だった。

国内トップクラスのプレイと指導を経験するために、大学卒業後は古河電工アイスホッケー部に所属して日本リーグでプレイ。全日本選手権において最優秀新人賞を獲得する活躍を見せるが、入部から1年でチームが廃部になることに。「日本に残る選択肢もありましたが、海外へ挑戦して、世界の指導法を知りたいと思って」と1999年に海外へ。そこから4年間、北米やヨーロッパを中心にプロプレーヤーとして経験を積んだ。

子ども達に向き合うための3つの価値観

「海外ではこんな教え方があるんだ!と驚きの連続。特に言語化された指導によって、スキルが向上していく体験は素晴らしいものでした。その経験を日本の子ども達に伝えたくて」と、2000年にOHSを創立。その当時、日本にはアイスホッケースクールがほぼ存在していない時代。アイスホッケースクールの先駆けとして、20年以上も活動を続けている。そこでは日本や海外の経験を活かした指導を行っているが、指針とする3つの価値観があるという。

一つ目が「プロセスの価値」。「何かに挑戦して失敗したとしても、どれだけ頑張れたか? 成長できたか?に価値があると思っています」。結果だけで判断せず、プロセスを評価すること。この姿勢は全スタッフにも共有している。

二つ目が「可能性に蓋をしない」。「よく親が『うちの子は○○だから無理です』って言いませんか? その言葉によって子どもは『自分は○○ができない』と思ってしまう。それは、可能性に蓋をすること。人は正しい指導によって必ず成長しますから」と、自分の可能性を信じて挑戦する大切さを教えている。

最後の三つめが「目標はオリジナルでいい」。「高校、大学、日本リーグ、海外と、僕にとってトップを目指すのは当たり前のことでした。スクールの子ども達にもそう伝えていたら、妻から『日本リーグへ行かなきゃダメなの? 海外へ行かなきゃダメなの?』と言われてハッとしたんです。友達を作りたい、アイスホッケーを楽しみたいと思って来ている子ども達もいるんだと」。以来、目標を押し付けず、子ども達の純粋な気持ちを応援し続けているという。

苦い経験を糧に、指導者としてさらに上へ

OHSの他にも、今シーズンからはU-18日本代表チームリーダーなど、ユース世代へ指導する大北。大人ではなく、子どもに教えることに難しさはないのだろうか?「最初は新しい発見ばかりなので、子ども達も楽しくてしょうがないんです。けれど、知識で頭が満タンになってしまうとアドバイスが入らなくなる。“教え過ぎ”の状態です」。これは苦い経験から得た教訓だ。

法政大学アイスホッケー部のコーチをしていたとき、就任4年目で1部リーグ優勝を果たすが、5年目以降は成績が低迷。遂には2部へ降格してしまう。「選手は指導したことをやってくれているけど、勝てないチームになっていました。なぜなら、選手が自分で考える自主性を無くしてしまっていたから。指導者は子どもの未来に携わる仕事。もっと勉強しなければいけない」と、指導者として足りない部分を痛感した大北。再び1部リーグに昇格させた後、2011年にコーチを辞任。国際基準の指導者を養成するJOCナショナルコーチアカデミーに入学して、コーチングやマネジメント、コミュニケーションなどの理論を徹底的に学び、プロの指導者としてさらなるレベルアップを図った。

また、OHSのキャンプでサン・クロレラと協同で開催している栄養講座にも、大北の思いが込められている。「小さな子ども達に身体や栄養について教えても、少ししか理解できないかも知れませんが、継続して伝えることで理解が深まるはず。そうすれば、甘いものはチョコからフルーツへ、お腹が空いたらお菓子からおにぎりへなど、食べる物が変わると思います」。身体を大切にする一歩のため、“知る機会”を積極的に作っている。「サン・クロレラを飲んでみて、睡眠の質やコンディションが整ったように感じます。体のベースを万全にしておけば、怪我の予防にもつながるんじゃないかと」

コーチであるジレンマと、その先に見る未来

「今から10年、20年後、日本のホッケーの環境を整え、盛り上げたいと思っています」と未来を語るが、そう簡単にいかないことは自身が最も理解している。例えば、日本アイスホッケー界を支える現役ベテラン選手達。大北が“日本の財産”と呼ぶ彼らが、引退後にアイスホッケーに携われる環境が現状では非常に少ない。アイスホッケーを指導することで生計を立てる、大北のような「プロコーチ」が一般化されていないことも、その問題に拍車をかける。

「コーチライセンス制度の見直しや、プロコーチが収入を得られるようステータス性を高めること、受け皿となるチームを増やすことも必要です」。その他にも、全国にアイスリンクを増やすことなど、日本でメジャースポーツになるまで盛り上げるためには、ソフト・ハード面でさまざまな環境を整える必要がある。「一人でも多くの人がホッケーに携われる環境を、誰かが、早く作らなければいけない。その一方で、一人のコーチにできることの限界も感じています。僕が環境を整えられるポジションへ上がるべきなのかも知れませんが、まだリンクに響く歓声の中に立っていたい気持ちもあって……」

アイスホッケースクールとプロコーチの先駆者として、未開の領域を切り開いてきた大北。挑むものは、常に誰も見たことのない未来。葛藤の先に、どんな未来があるのだろうか。日本全国のリンクから沸く歓声が、海を越え、いつか世界に届く日を心から願いたい。