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Vol.37
氷上で結ばれた赤い糸
ケガも大病も国籍さえも乗り越え、理想のパートナーと巡り合ったスケーターの愛の物語。

小松原美里・小松原尊(ティム・コレト) 組
フィギュアスケート アイスダンス

氷上で結ばれた赤い糸 前編
2022/02/23

アイスダンスの日本代表として北京2022への出場をめざす小松原美里選手とティム・コレト(小松原尊)選手。運命的でドラマティックな出会いから始まったふたりのパートナー関係だが、そこへ至るまでにはお互いにさまざまな苦難を乗り越えなければならなかった。前編ではとくに美里が歩んできたアスリートとしての道程を追いかけながら、めざすべき理想と立ちはだかる現実の狭間で揺れ動く彼女の決意と覚悟を中心に話を伺った。そして最後には、ついに理想のパートナーであるティムとの出会いへと物語は続いていく。

理想のパートナーに巡り会うための美里の長い旅。

もし「運命の赤い糸」というものがこの世に実在するとすれば、このふたりのスケーターにもきっと、その赤い糸が固く結ばれていることだろう。アイスダンスの小松原美里&ティム・コレト(小松原尊)ペアだ。まさに細い糸を手繰り寄せるかのようなわずかな可能性と数奇な運命に導かれ、2016年にふたりは出会うことになる。しかし、そこに至るまでには(とりわけ美里にとっては)とてつもなく長い時間と、かなり険しい道程を必要としていた。まずは美里選手がその二本の足で氷上に描いてきた軌跡を振り返っていこう。

いまから約20年前、岡山県出身の美里は同郷の髙橋大輔選手に憧れて9歳でフィギュアスケートを始めた。しかし16歳のとき、個人のフィギュアスケートからペアで滑るアイスダンスに転向する。目の前で浅田真央選手のトリプルアクセルを見て、自分にはとてもじゃないけどこれはできないと悟ったからだった。また当時はまだ食事や栄養面など身体のケアをじゅうぶんできていなかったこともあり、疲労骨折などのケガにも悩まされていた時期でもあった。もうスケートを辞めようか。そう思った時に当時の恩師から「美里の高い表現力を活かせるアイスダンスをやってみないか?」というアドバイスをもらった。諦めかけていた夢が、まだ続けられる。なにより彼女自身、アイスダンスが大好きだった。迷いはなかった。こうにして彼女のアイスダンサーとしてのキャリアが幕を開けた。

アイスダンスに取り組むうえでもっとも重要なのがパートナー選び。美里は日本人のダンサーとペアを組み、全日本ジュニア選手権で優勝するなどいきなり頭角を表すが、彼女自身はその結果にもプロセスにもあまり納得してはいなかった。最大の理由はパートナーと彼女とで、目指すべき目標が違っていたことだった。結局のところ最初のパートナーともその次に組んだパートナーとも長くは続かずにペアを解消している。

美里「彼らはいずれも国内ではとても優秀で技術も高い選手だったと思います。でも『なにがなんでも世界大会で勝ってトップに立つんだ』という意欲に欠けていると私には感じられた。体格や技術、ダンスの相性などももちろん重要です。しかしたとえそれらが合っていたとしても、競技にかけるパッションや自分たちがどうなりたいかという価値観が違っていると、どうにもなりません」

もちろんダンスは身体で表現する競技である。しかし、なにを表現しているのかといえば人間の内面であり“心”である。気持ちがバラバラだと息の合った演技などできるはずもない。美里は失意のうちに日本を後にすると、こんどはイタリア人選手とペアを組み、2014年からはイタリア代表として大会に出場する。そこで日本人として初めて国際大会の表彰台に立った。その後もヨーロッパの数々の大会でメダルを獲得する活躍を続け、ようやく彼女が目指していた世界で戦うスケーターとしての第一歩を踏み出した。ところがイタリアへ移住して2年後、23歳になった美里の身体に異変が起きていた。子宮の近くに腫瘍が見つかったのだ。追い討ちをかけるような新たな試練。ふたたび引退の文字が頭をよぎった。

美里「これまでのスケート人生でケガはたくさんしてきました。でもまさか自分が命に関わる病気に罹るなんて思いもしなかったのですごく怖かったですね。すぐ飛行機に乗って日本に帰りたかったけど、飛行機に乗ると気圧の関係で腫瘍が破裂するかもしれないと言われ、やむなくイタリアで手術することになりました。手術は無事に成功しましたが、死をリアルに感じたことで、やはり自分の身体、とりわけ健康な肉体について真剣に考えるようになりました」

大病を契機に、理想とする身体のイメージが変化した。

そこで彼女が取り入れたのがヴィーガンの食生活だった。ちょうどイタリアでヴィーガンという言葉が使われ始めていた時期でもあったこと、乳製品などを食べたあと消化がうまくいっていないと感じることが多かったこと、さらには以前より彼女自身が動物を食べることへの違和感を抱えていたことなども後押しした。命さえ危ぶまれる病をきっかけに、彼女は自分の身体を作り出している食べ物に着目したのだった。しかもそれは、大病を経験する前から彼女自身が抱えていた課題への回答でもあったのだ。

というのも女子のスケート選手には、体重が軽いほうがスムーズにジャンプを跳ぶことができるうえ着氷の衝撃も少なくなること、さらには手足が細くしなやかなであるほど演技が美しく見えるなどの理由から「痩せていなければいけない」というプレッシャーがきつくかかってくる。いっぽうで多くの選手が、身長が伸び、体型も大きく変化する10代半ばから後半にキャリアの重要なステップを迎えることになる。そのため、なかには極端な食事制限を行い、結果として摂食障害になってしまう選手も少なくないのだという。
実際に足元がフラフラしている選手や、疲労骨折に悩まされる選手を見てきたし、彼女自身も細身の体型の維持しながら、連戦に耐えうる強い骨と筋肉との両立に苦労してきた。たとえば彼女にとっての理想の体型は2016年のロステルコムカップのときだが、その試合では息が続かなかったり、イージーなミスが多かったりと、スタミナ不足とパワー不足を感じたと述懐している。
「ヴィーガンであることと、トップアスリートであることの両立」。この取り組みを成功させることは、彼女個人にとってのみならず、厳しい食事制限や体重維持に悩むすべてのアスリートに、体調・栄養管理の新たな道を示すための試みでもあるのだ。

美里「そこにサン・クロレラさんのサポートが加わったこと。それは動物を食べないヴィーガンの食生活をしている私にとってはとても心強いことでした。なぜならサン・クロレラAパウダーには9種類の必須アミノ酸が入っているからです。また動物性タンパク質に炎症作用があるのに対し、植物性たんぱく質には抗酸化作用がある。抗酸化作用は身体の疲れを取る手助けをしてくれるんです。そしてなによりヴィーガンにとって不足しがちなビタミンB12が含まれていること。これはまさに私のためにある栄養サポート食だと感じました」

また、彼らアスリートは定期的にアンチドーピングテストが義務付けられており、定められた禁止成分を含んだ食品をうっかり口にしてしまうと大事な大会に出場できなくなりリスクがある。そのためコンビニやスーパーで買った食品を気軽に食べることはできない。のど飴でさえもNGなのだ。美里は「その点サン・クロレラAパウダーはNSFスポーツ認証とインフォームドチョイスのふたつのアンチドーピング認証を取得したクリーンな製品なので安心して使うことができる」と話す。とくに海外で活躍する多くのアスリートがサン・クロレラを選ぶのも、こうした側面が大きいだろう。

“ラストチャンス”の覚悟で挑んだトライアウト。

美里は大病をきっかけに食事や栄養面の管理にも積極的に取り組み、より深く自分に向き合うようになる。イタリア人パートナーとのペアも解消し、新しいスタートを切るための準備を始めた。「いまの自分を活かせるパートナーが世界のどこかにいるはずだ」。次が最後と覚悟を固めてトライアウト(パートナー探しのためのお見合い期間)に臨む決意をする。その相手がティム・コレト選手、のちにプライベートでもパートナーとなる小松原尊だった。すらりと背の高いアメリカ人で小柄な美里とは体格差があり、思い切った大技ができるかもしれない。しかも以前ある大会の会場で見た彼の滑りはとてもしなやかで、自分の演技スタイルに合っているかもしれない。淡い期待と強い決意を持ってトライアウトに臨んだ。

ティムは、アメリカ出身のフィギュアスケーター。彼もキャリアのスタートはシングルスケーターだった。しかし2013年にアイスダンスに転向。韓国やノルウェーのパートナーと大会に出場して活躍した。しかし2015-2016シーズンにおけるボルボオープンカップで銅メダルを獲得した矢先に当時のパートナーの病気によりペアを解消。不本意な形でパートナー探しを余儀なくされていた。彼にとっても決意を持って臨んだトライアウトだったのだ。そしてその相手こそ日本人の小松原美里だった。このようにしてふたりの人生は、ようやく重なり始める。
ティムはふたりの出会いを運命的なものだとすぐに直感していた。その理由は、最初の出会いかただった。美里もティムも互いにラストチャンストの思いを胸に秘めて臨んだトライアウトで、ティムの荷物が空港でロストバゲージに遭い、スケート会場に届いていなかったのだ。スケート靴や衣装、なにもかもが手元にない。ふたりはまったく練習することができなかった。まさに前代未聞の出来事。いったいなんのためのトライアウトだ?美里もティムも途方に暮れてしまった。しかし期せずしてその事件こそが、ふたりの絆を深めることになるのだった。