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Vol.43
互いの伴走者として。
世界中の山や谷や平原を、夫婦という最強チームで颯爽と駆け抜ける。

池田祐樹/池田清子
プロ・マウンテンアスリート/アスリートフード研究家

互いの伴走者として。 前編
2022/01/26

長距離を中心にマウンテンバイクとトレイルランの分野で活躍するプロ・マウンテンアスリートである池田祐樹選手と、彼の妻でプラントベース・アスリートフード研究家でもある清子(さやこ)さん。人間の肉体の限界に挑むかのような過酷なレースを闘う夫と、その肉体の健康や強度、パフォーマンスの成否に密接に関わっている食を研究する妻という関係は、互いの分野に少しずつ越境しながらコミュニケーションを深めることが成果へと繋がる、という意味でまさに最高のチームメイトでもあると言えるだろう。
池田祐樹選手が「キングオブ王滝」の栄冠に輝いた際に取材してから2年。コロナ禍によって海外はもちろん国内での大会にも出場できなくなるなど大きなピンチに見舞われたなかで、ふたりはどのようにこの苦難と闘ってきたのか。二人三脚で歩んできた足跡を振り返ってもらった。

コロナ禍で気づかされたスポーツを楽しむことの大切さ

もともとはバスケットボールプレーヤーになりたいという夢を抱き、単身アメリカ・コロラドに渡り、大学でバスケットをやっていた池田祐樹選手。しかしそこでマウンテンバイクと運命的に出会い、24歳でレースデビューを果たすと2009年からはアメリカのチームに所属。2011年に日本へ帰国し、2014年からは、より良い練習環境を求めて東京の青梅市を拠点に活動してきた。

そして迎えた2020年初め、彼がふたたび活動拠点を所属チームのあるアメリカに移すべく準備を進めていた矢先、新型コロナウイルスのパンデミックにより海外渡航が一切できなくなってしまった。当然、米国行きは中止。住んでいた家も解約し、あとは引っ越すだけという最悪のタイミングで起こった出来事だった。海外でのレースには一切参加できなくなり、国内の大会もその多くが中止となった。それどころか、練習さえままならないという、まさに八方塞がりの状況に陥ってしまったのだった。

緊急事態宣言により、県を超えて移動することへの自粛が求められた。しかし、ちょうど彼の住む青梅市は東京の北西端に位置していることもあり、山をほんの少し自転車で移動しただけでも隣の埼玉県に入ってしまうのだ。長距離のマウンテンバイクやトレイルランの練習にとっては、相当にむずかしい対応を強いられていたことになる。

池田祐樹「当時はなにが正解なのか誰にもわからない状況でしたから、余計にむずかしかったですね。渡米を中止したと同時に、1階が広いガレージになっている物件に移り住みました。そこをトレーニングスペースに改造してウェイトトレーニングに取り組んだり、インドアで自転車を漕いだり、ランニングマシンを使ったりしながら、自宅でトレーニングできる環境を整えてトレーニングを継続していました」

試合がない。だからコンディションのピークを合わせる本格的な練習もできない。しかも、そうした状況がジリジリと長引き、いつ終わるかもわからない。これまでレース中心に動いていた生活がガラリと一変してしまった。それでも池田祐樹選手はそのことを決してネガティブには捉えていなかった。むしろ「レースに出たい」という強い気持ち、レースへの飢え、初めてレースに出るときの緊張感や、フレッシュな気持ちを思い出すことができたという。そして彼は、かなり先までレースの予定が真っ白であるにもかかわらず厳しい練習メニューを毎日課し、それを淡々と続けている自分に気づいた。

池田祐樹「あらためて、自分はスポーツが好きなんだということに気づかされました。もしレースのためだけに練習をしていたのだとしたら、これほどキツい練習を続けていなかったと思う。でも僕はたとえレースがなくても、山の中を自転車で走ったり、自分の足でトレイルランニングしたりすることをやめなかった。とにかくメニューを決めず自由に走ることが楽しかったし、直近に迫るレースのためでなく純粋にライドやランを楽しんでいました。もちろん試合に勝つためのフィットネスは落ちていたと思います。でもフィールドを走ることの楽しさをあらためて再確認する期間になりました」

池田清子「それに海外や日本の各地を飛び回って大会に出ることができないぶん、ふだんのトレーニングの様子をSNSで発信したり、地元の人たちによる地域の里山のマウンテンバイクの道やトレイルランニングの道を整備するボランティア活動に私たちも積極的に参加したり、この地にいたからこそできたこと、ふだんのシーズン中にはできないさまざまな活動に取り組むことができたことはよかったなと思います」

「ベジンジャーズ」の活動も、そのひとつだ。ベジンジャーズは、菜食やヴィーガン食、プラントベースフードに関する情報をSNSで発信・共有するアスリートたちの有志グループ。アイスダンスの小松原美里&ティム・コレト夫妻や、テニスの日比野奈緒選手、ビーチバレーの浦田景子選手などが名を連ねている。近年、国内でもいわゆる「プラントベースアスリート」と呼ばれる選手が増えてきているが、そうしたアスリート同士における交流や情報共有、さらにはSNSを通じて一般の人たちへの情報発信をしていこうという取り組みなのだそうだ。池田祐樹選手もふだんの練習風景や食事の様子などを投稿。アスリートの元気で健康的でポジティブなイメージを通じて、プラントベースフードに関心を持つ人が少しでも増え、より多くの人と情報交換しながら交流していける場になればいいと池田夫妻は語る。

池田清子「いまはまだ清掃活動やチャリティ活動をそれぞれのメンバーが個別にしている段階で、みんなで集まってひとつのイベントをやるような活動はそれほど多くはできていません。先日、メンバーの1人が渋谷で野菜を売る『ベジンジャーズ・ベジ』というファーマーズ・マーケットを主催したのが初めてだと思いますが、今後もそれぞれの強みを活かして少しずつそうした活動を広げていけたらと話しています」

池田祐樹「いまやアスリート自身が社会貢献活動をすることは、珍しくない世の中に。とくに健康や食に関する分野で僕たちアスリートはロールモデルになるべき存在なのではないかと思うんです。世界を相手に活躍する選手たちや子どもたちの憧れの存在であるアスリートが、健康や食、環境といったSDGsに関するメッセージを発信することで、来たるべき未来に対してとても重要な役割を担えるんじゃないか。そう、考えています」

大地をダイレクトに感じられるトレイルランとの出会い

2018年末からトレイルランの大会にも積極的に参加するようになった。長距離マウンテンバイクの大会についてはまだ国内では開催できない状況だが、トレイルランの国内大会は少しずつ再開されていて、2021年11月に兵庫県香美町ハチ北で行われた総距離111kmというロングトレイルランニングレース「OSJ KAMI 100」にも参加している。結果は出走者378人中41位。じつに17時間26分での完走という、まさにクレージーレースと呼ぶにふさわしい過酷なレースだった。

コロナ禍の前にアメリカで参加した160kmというロングトレイルランの大会では80kmでリタイアしていた池田祐樹選手。今回は何としても完走したいとの決意で臨んだ大会だった。

池田祐樹「100kmを超えるようなレースになると、もはやひとつの人生みたいな感じ。スタートからゴールまでのあいだに、精神的なアップダウンが繰り返し訪れます。『もうダメだ。やめたい』と思う瞬間もあれば、『いつまででも走れる!』といった一種の無敵状態になったりもする。そこがおもしろいところですね。あと途中で足が動かなくなって、たくさんの選手に抜かれていきながらすごくネガティブな気持ちになって、自分には才能がないとか、もう二度とこの種のレースにチャレンジするのはよそうとか、いろんなことを考え始めるんです」

池田清子「なにしろ17時間以上かけてのフィニッシュでしたから、考える時間はたっぷりありますからね」

池田祐樹「そう(笑)。でも、ふと気づくんです。好きでやっていることなのに、才能がないからやめるっていうのはおかしいじゃないか、と。考えてみれば、自転車レースを始めたばかりのころはずっとビリだった。でもそこからたった一年半後にはプロのカテゴリで優勝するまで成長できた。才能なんて、いつ、どこで開花するか、誰にもわからない。だから自分が好きなことに情熱を100%注ぐ。すべきことはそれ以外ない。そう思うと気持ちがスーッと楽になりました」

池田祐樹選手がトレイルランにハマった理由。それは彼のアスリートとしてのフィロソフィーの根底に流れている「大自然を感じながら自分の足で走ることの楽しさ」にあるのだという。誰かより速く走ること、順位、記録。アスリートとして避けては通れないそうしたいくつかの結果より、自然の息吹を感じながら走るという行為そのものを、自分自身が楽しむことがなにより大事なのだと彼は語る。

池田祐樹「これからトレイルランを始める人にも、まずは『自然を味わう』感覚を楽しむところからスタートしてほしい。トレイルランは自分の足でダイレクトに大地を感じることができるスポーツ。足から伝わる情報量がとても多いんです。まずは河川敷や公園でいい。舗装路ではない土や砂利の上を走って、石やちょっとした窪みなど、大地の起伏を感じる。進むごとに木々や草花、風や土の匂いなんかも変化していきます。冒険心を掻き立てられるというか、童心に帰るというか、オフロードを走ることの喜びはそうしたところにあると思います。これは初心者もアスリートも、きっと同じはずです」

コロナ禍により大会への出場機会が失われ、活動拠点であるアメリカへの移住もできなくなった。しかし、この世界的な危機さえも、ほぼ逆境しかないような過酷なレースに挑み続けてきた彼にとっては、いくつかの「レース」のひとつに過ぎないのかもしれない。そしてもちろんこの不屈の走りは、彼ひとりで成し遂げたものではない。妻である清子さんが、伴走者としてつねにいちばん側で彼に寄り添い、支え、背中を押してきたからでもあるのだ。後編では彼女が唱える「プラントベース・アスリートフード」を中心に、アスリートの身体づくりと食事について紹介する。