プロアイスホッケープレーヤー
平野裕志朗
アイスホッケーの世界最高峰リーグ・NHLを目指して北米での挑戦を続ける、平野裕志朗選手。後編では、あえてチームとの契約を破棄してまで合流した日本代表への熱い想いを。また、将来のアイスホッケー界を見据えての取り組みについても語ってもらった。
キツい契約すら、自らのモチベーションに
2021年12月に、NHL2部にあたる北米プロリーグAHLのアボッツフォード・カナックスに昇格した平野。しかし、契約が25試合を終えた時点でいったん切れるため、シーズン途中に契約を結び直した。そこで提示されたのは、引き続いてのトライアウト契約。これは “パフォーマンスが悪ければ、いつ解雇しても構わない”という選手にとっては厳しいもの。しかし平野は、そんなキツい条件も飲み、モチベーションを上げてくれる要因の1つとして、自らの糧とした。
「そんな契約だからこそいつもコーチやフロントスタッフが自分を注視してくれている、そこで良いプレーを続けられればより一層自分の評価が高くなる、とポジティブに捉えることで、マインドを良い方向に変えて戦い続けることができました。この世界にステイするためには、プレーで『この選手は絶対に手放せない』と実感させるほかないですから」
AHLでのプレーを続けるうちに、周囲が平野を見る目もどんどんとポジティブに変わってきたという。海外挑戦当初からチームメイトに恵まれ、深く付き合える友人となった選手も多いと語る平野だが、やはり北米のプロは“人を蹴落としてでも自分が上がる”という勝負の世界。新参者に寄せられる目線はいつも厳しい。
「最初は下から上がってきた奴だからとか、アジア人が何をできる? といった感覚で見ていた選手もいたことは確かです。でも、結果を出し続けることでそんな選手も態度が変わるのはよく分かりました。そういった部分への対応力も自分は進化している、と今は感じています。AHLのこのピリピリした雰囲気には、もし海外挑戦1年目の気持ちで来ていたらやられていましたね」
もうひとつの夢、日本代表への思い
そんな平野だが、AHLシーズンのプレーオフを控えた4月、大いに心を揺さぶられる状況に陥っていた。その理由は、アイスホッケー日本代表メンバーに招集されたこと。
2022年4月26日から5月1日の日程で、ポーランド・ティヒを会場にアイスホッケー男子世界選手権ディビジョンIBが開催されるため、平野に日本代表から声がかかった。世界選手権ディビジョンIBは上から数えて3部にあたり、日本が優勝すれば2部相当のディビジョンIAに昇格ができる。
コロナ禍を理由にディビジョンIBは2019年5月以来3年ぶりの開催。日本代表にとっては待ちに待った昇格のチャンス。2019年の大会でも昇格を逃していた日本代表のエースとして、平野は並々ならぬ使命感を感じていた。
NHLへの挑戦だけを考えれば、AHLで充分に評価を得られているいま、チームを離れるのは大きなリスク。同じ状況となった他国の選手なら北米プロを選ぶのが常識的で、「あり得ない」と言われるだろう。でも、平野の考えは違った。
「『ここで昇格できなければ、アイスホッケー男子日本代表のオリンピックへの道がまた遠のく』と考えれば考えるほどに、日本代表の招集を断る理由はないと思いました」
2020年2月に行われた北京オリンピック予選でも、日本代表の誰もが「絶対にこのチームで勝つ」という強い結束で戦えたのは、平野が日本代表に懸ける熱い思いがチームメイトに伝播したから。仲間とともに、あらためて日の丸を背負って戦うことにためらいはなかった。
平野はアボッツフォードとの契約をキャンセルし、日本代表に合流することを決断した。
「アボッツフォードのあるコーチからは、『プレーオフで一緒に戦えないのは残念だが、その分来シーズンでもっと良い日をここで作ろう』と言って、送り出してもらった。それだけに、代表でもチームの核として先頭で引っ張らなければと思っていました」
世界選手権ではその言葉通り、平野は日本代表史上でも最高と言っていいパフォーマンスを見せる。全4試合で6ゴール4アシストをあげて大会得点王とポイント王の2冠を獲得。
なかでも、ここでゴールが欲しいという局面で期待通りに得点を奪うシーンが何度もあり、まさにプレー面でも精神面でも日本代表を牽引したのは間違いなかった。
それだけに昇格を果たしたかった日本代表だったが、最終戦の直接対決でポーランドを崩せず2位で大会を終えたとき、平野の落胆たるや想像に難くない。
「あの敗戦は悔しくて悔しくて、今でも思い出すたびに眠れなくなるほどです。最終戦のあとにドレッシングルームで代表のみんなと話したのは『リンクの中だけで無く、環境面といったリンク外でも色々な壁がこれからも立ちはだかってくると思うけど、僕たちがアイスホッケー界を変えていかなくてはダメだ』ということ。日本のアイスホッケー界全体を考えてみんなが行動する時が来ている。そのためにも自分でできることには、どんどん取り組んで行きたいと考えています」
アイスホッケー界の未来へ。平野から子どもたちへ伝えたいこと
世界選手権が終わり日本に戻った平野は、さっそく全国のスケートリンクを巡り、講師としてアイスホッケーをプレーする子どもたちを直接指導するなど、育成活動にも力を入れている。
「子どもたちが向けてくれるキラキラとした目の輝きは、自分にとってもさらなるモチベーションを与えてくれる、力の源です。自分が子どものころそうだったように、現役選手とふれ合い子どもたちが喜んでくれることが、アイスホッケーを好きになってくれることに繋がる。そのことを知っているからこそ、自分たち現役選手が動いて全国各地でスクール活動を増やしていきたいと思っています」
また世界選手権の期間中には、現地ポーランドから練習の様子や代表選手同士の対談をセッティングしてSNSで動画配信するなど、平野はアイスホッケー日本代表の情報発信も積極的に行っている。
「選手だからできることは何かを考えて、周囲の協力も得ながら、発信できることはどんどん取り組んでいこう、と。アイスホッケーの選手はどんな性格の人間がどんな熱い思いを持って戦っているのか? そういったことをより多くの人に知ってもらえるよう、とにかく発信を続けることが重要だと考えています。そのためにも、選手同士でしか知り得ないことも動画では出したりもしていますし、アイスホッケーをもっと多くの人から応援してもらえるように、自分たちの思いを共感してもらいたい。トップ選手が何を考えてプレーしているのかを子どもたちに伝える機会を増やせるよう、いろんな人たちを巻き込んで、これからも動きたいと思っています」
平野が子どもたちにいま一番伝えたいのは、「進むべき道を自分で選べる、そんな人間になって欲しい」ということだ。平野自身、「プロになる」という道を自ら決断し、10代で海外に飛び出して挑戦を続けてきた。
「アイスホッケーは、ディティールと言われる細かい部分、たとえばパスなのかシュートなのか、あるいは攻めるのか守るのか、といったプレーの選択を繰り返すことによって、自分で考えるという習慣を身につけることができるスポーツだと思っています。アイスホッケーを通して自分を知る、と言い換えることもできるかな。自分のことに責任をもって選択できる人間になって欲しい、という思いでスクールでは子どもたちに自分の経験や考え方を伝えています。それを受けて、子どもたちが他のスポーツを選んでも良いし、他の仕事を選んでも構わない。その選択が、目標になり、未来の理想を描いて、それが夢になって、子どもたち自身が自分の手で未来を切り開けるようになればいい」
平野はプロとなったときから、スクールで出会った子どもたちに必ず伝えている言葉があるという。
「『将来は日本代表で一緒にプレーしような』、ですね。そういう言葉って、絶対に覚えてくれていると思うので。最近では『オリンピックに一緒に出るんだったら、2030年なんてすぐ来るよ』とも言っています」
順調にチームにも溶け込み、AHLでのキャリアを重ねて着実に自分の夢へと近づいていった平野。しかし、プレーオフを目前にしてアボッツフォードとの契約を2022年4月に破棄して新たな戦いへ臨んだ。その背景には子どものころから抱き続けてきた「もうひとつの夢」の存在があった。
いよいよ勝負のシーズン。“別人”となって北米へ乗り込む
昨シーズン、平野がAHLや世界選手権で戦い続けるなかで気づいたのは、相手の激しいホディチェックに対しても体幹の強さなどフィジカル面で全く負けない身体に自分自身を鍛えあげられたこと。そして、持ち前のシュート力をはじめ様々なファクターで自分のプレーがNHLに通用するレベルまで引き上げられた、ということだ。
「もう少し身体を軽くしてスピードを上げる方向に持っていっても、もう海外勢にフィジカルで負ける気がしない。オフに日本でスピードやキレを上げるトレーニングを重ね、フィジカルと速さを兼ね備えた“別人”になって北米に乗り込みたいと思っています」
平野が「いまや、飲まなければ体調を崩すのでは、と思うくらい」と頼りにしているサン・クロレラAパウダーは日本で身体を追い込むときにも欠かせない。次なるシーズンが始まるのは9月。アボッツフォードに復帰するのか、新天地での挑戦になるのかはこれからの契約しだいではあるが、平野は来たる日に備えスタートダッシュに照準を合わせる。
「北米に戻ればメインキャンプでの練習から1日1日が勝負なので、そこですぐ戦えるように。チームを離れるとき、普段厳しかったコーチからは『AHLに戻ってシーズンはじめから結果を出し、NHLに上がった選手をオレは何人も見ている。再び同じチームでやれるかは分からないけど、しっかり鍛えてお前もそうなるように戻ってこい』と言われました。そう言葉をかけてもらったことは、いま大きな自信となって心の中にあります」
NHLへの分厚い扉を開き、光にあふれたステージで戦う時は着実に近づいている。