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福岡発、千葉&リオ経由東京行き 前編
2019/05/07

愛称は「ケビン」。日本とフィリピンのダブルとして生まれた合谷和弘は、この4月で26歳になるプロラグビー選手だ。身長は170センチと一線級にあっては小柄だが、小気味よい走りで際立つ。

挑んでいるのは、15人制と7人制との両立だ。

 日本で比較的盛んな15人制では40分ハーフの試合が1チームあたり1日1つずつ組まれるのに対し、7人制では1チームに対し7分ハーフの試合が1日2~3つ、数時間おきに課される。この似て非なる競技をトップレベルの舞台で両立させるのは、国代表の陸上選手が短距離走と長距離走を、プロ野球選手が投手と野手を一緒にするようなものだ。

 2019年に日本でワールドカップのある15人制ではフィジカリティが、2020年のオリンピック東京大会でおこなわれる7人制では持久力とリピーテッドスピード(何度も加速する力)が主に求められる。強豪国の主要選手がどちらかへ専従するのに対し、合谷は15人制のトップリーグでプレーしながら男子7人制日本代表の招集に応じる。国内事情に則し、心と身体を切り替える。

「トップリーグではある程度体重がないと当たり負けするところが出るので、体重は78キロ。ただ、7人制では76キロくらいの方が走りやすいです。トップリーグのシーズンが終わってから7人制の活動に行くまでの間、体重を78キロから76キロに落とします。体重自体は(練習中に)走り続ければ落ちるのですが、それ以上落ちないために食事の量を考えます。特に、炭水化物の量を朝、昼、夜、細かく決めています。特に朝はたくさん食べるように。今年から男子7人制日本代表にも栄養士さんがついた。体重維持のためのアドバイスをもらいながら活動しています」

 スポーツ少年だった。何より熱中したのは、父の守弘さんがプレーしたラグビーだった。地元の福岡県大野城市の大野北小学校で3年生だった頃、兄の明弘さんと一緒につくしヤングラガーズの門を叩く。

当時はバスケットボールも楽しみ、「もともと左手でのパスがうまくなかったけど、バスケのハンドリングを通して(上達)」。大野東中学校時代の陸上部では短距離走者としてスプリント能力を磨き、「ちょっとだけサッカーをしていた時期もあって、そこではキック(に慣れた)」と実感した。「色々なスポーツの要素が含まれている」というラグビーで全国の舞台へ行くべく、15歳で親元を離れて千葉の流通経済大学柏高校へ進んだ。

 ただただタフと表現するほかなかった高校時代は、身体の土台を作った。入学前に「65~6キロ」だった体重を、1年後には「74~5キロ」にした。ひたすら食べ、鍛える環境が、成人後とそう変わらないボディを構築したのである。

「高校ではスキルの部分では通用するけど、ディフェンスに行くと相手に弾かれてしまうことが多かった。コンタクトの部分でレベルが違うと感じました。ただチームでは、それまでしたことのなかったウェイトトレーニングが週に3回も組まれていた。それを『あの先輩くらいになろう』など、目標を立てながらやっていきました。当時の監督が食事面を考えてくれていたこともあって、1年で、身体は変わっていきました」

 高校日本代表に選ばれるなど名を馳せた末、流通経済大学に内部進学する。大学のラグビー部でもすぐにレギュラーとなり、身体にはさらなる筋肉の鎧をつける。

そして運転免許合宿に出かけていた2年目のオフ、新たな可能性と出会う。「2013年度第12回セブンズシニアアカデミー」に参加したのだ。それまで7人制は国内大会で経験がある程度というなか、男子7人制日本代表の候補選手となった。

当時のチームを率いていた瀬川智広ヘッドコーチは、東芝で15人制トップリーグの優勝経験のある勝負師。「明るく、楽しく、やる時はやる」をモットーとし、高強度の練習で選手の持久力やスピードを磨いた。1対1のミーティングもよく開き、特に合谷には奮起を促す声をかけ続けたようだ。

言われた側は、当時の様子をこう振り返る。

「瀬川さんから『いま、このポジションで何番目にいる』と評価されるのですが、どんどん自分の順番が上がっていくことで自信をつけられました。自分ではあまり気付かなかったのですが、ディフェンスがいいとも言ってくれた。多分、これは僕に対してだけではなく、皆に、それも正確に言ってくれていたと思います」

 瀬川は優しい指導者ではなかったという。タックルを外されたら容赦なく叱責され、試合で逃げ腰のプレーをすれば容赦なく代えられた。

ただ合谷は、食らいつくことを止めなかった。そのおかげで、自己肯定感を高めたようだ。世界大会のワールドシリーズでもまれるたびに、成長を確認できた。

「瀬川さんからは、ミスをするだけで、これじゃあワールドクラスでは通用しないと言われていた。それがあったので、いまの自分がいると思います。海外の選手たちの身体の大きさを大学生のうちに感じ、最初は思い切りできないところもありました。試合に出るたびにビビっている自分もいて、大丈夫かなと感じていました。ただ、代表活動に参加している間に身体も慣れてきて、どんどん7人制が好きになっていきました。逃げるのではなく、積極的に自分の持ち味を出せば世界で戦える。それを瀬川さんが教えてくれた」

 徐々に不動のメンバーとなり、2016年夏の祭典を見据えるようになった。初めて7人制が正式種目となった、オリンピックリオデジャネイロ大会である。

【取材協力】
Global grill & Lounge Legend L’amant