プロアイスホッケープレーヤー
平野裕志朗
NHL史上初の日本人FWプレーヤーという夢に向かって、現在もアメリカで活躍する平野裕志朗選手。2020-2021シーズンは所属していたECHL(3部)リーグのチームがコロナ禍による経営不振を理由にリーグ参加を断念。やむなく日本へのカムバックを果たすと、続く2021年シーズンはふたたびECHL(3部)リーグでスタート。同年12月にはAHL(2部)のアボッツフォード・カナックスにコールアップされ、日本人FWとしてAHL初ゴールをあげるなど活躍した。ところが2022年4月、自らチームとの契約を破棄。理由は日本代表に招集されたから。そのまま契約更新すれば、夢だったNHLに着実に近づくシーズンになったはずだった。しかし彼は日本代表を選択した。ここまでの流れは前回のインタビューで詳しく語ってくれている。
今回はその後のアメリカでの厳しい戦いと、2023年5月の世界選手権での日本代表の躍進について、語ってもらった。
一進一退を繰り返す難しいシーズンを支えた、持ち前のポジティビティ。
2022-2023年シーズンは、アップダウンの激しいシーズンとなった。まずは2022年7月にNHLバンクーバー・カナックス傘下であるアボッツフォード・カナックスとAHL(2部リーグ)とECHL(3部リーグ)の2way契約を勝ち取った。2way契約とはECHLでの出場を基本としつつ、チームの状況などによって上位リーグであるAHLのチームに召集された場合はそちらに帯同できるというもの。肉体的にも精神的にもハードではあるが、出場機会を求める若手選手や外国人選手にとってはチャンスでもあるのだ。
シーズン前、NHLカナックスのプレシーズン・キャンプに招待選手として参加するなど世界最高峰の舞台の空気にも触れることができた。活躍すれば、必ずこの場所に立てる。いいイメージで開幕を迎えた平野はシーズン序盤から好調をキープ。2ゴール2アシストと結果を出してもいた。しかし、その期待は思わぬ理由で遠ざかる。
開幕からNHLのバンクーバー・カナックスは連敗続きのスタートに見舞われた。チームは大幅な補強に動き、その結果NHLからフォーワード数人が平野の所属するAHLアボッツフォード・カナックスに降格してきたのだった。煽りを受けるかたちで平野選手の出場機会は激減。これまでのホッケー人生のなかで試合に出られないという経験をほとんどしたことがなかったという彼にとって、初めて味わう苦しさだったと語る。
平野選手「やはりAHLというのはNHLの下部リーグですから、どうしても若手の育成という傾向が強くなります。ましてや上から降格してきた選手が多くいて、しかもぼくは外国人。シーズン序盤には結果を出していただけに辛かったですね。コーチも『ユウシロウが練習で誰よりも全力で取り組んでいることも、リンクの外でも懸命に努力していることはわかっている。でも私にもコントロールできない問題なんだ』と言われたときは本当に悔しかったです。こんな経験を27歳にして味わうのか、と」
翌年1月にはシンシナティ・サイクロンズに配属されることとなり、ふたたびECHLでの出場を余儀なくされることとなった。それでも平野選手は、どん底に落とされたことで選手としてだけではなく人としても、ひとつ成長できるチャンスを与えてもらったんだと前を向いた。下を向いたところでチャンスが巡ってくることなどないからだ。
平野選手「高校1年生のとき、U18の日本代表での5連敗という屈辱を経験しました。でも、海外にはこんな選手がいるのかと受けた衝撃と悔しさが、海外チャレンジへの大きなきっかけになったんです。高校を卒業するとすぐにスウェーデンに向かいました。その日から10年。いくつかの遠回りはあったけど、NHLという自分がまだ小さな少年だったころから抱き続けてきた夢が、あと一歩のところまで近づいてきているわけです。チャレンジするためにやってきたこの舞台で、ネガティブになっている時間がもったいない。そう自分に言い聞かせながら乗り越えたシーズンでした」
苦境でもポジティブかつアグレッシブに戦う姿勢を崩さず戦い続けた平野選手のもとには、アボッツフォード・カナックスからの再契約オファーはじめ、さまざまなオファーが届いた。そのなかから彼が選んだのは、ニューヨークに本拠地を置くAHLユティカ・コメッツとのAHL・ECHL 2way契約だった。新チームではすでに主力選手として結果を出すことが期待されているという。新しいステージで迎える2023-2024シーズン。いよいよ夢を叶えるシーズンになりそうだ。
日本代表をDivision 1Aへの復帰へと導いた、覚悟と責任感。
平野裕志朗選手には、もうひとつ戦う舞台がある。それはアイスホッケー日本代表だ。彼にとって代表チームは特別なものであり、先述したとおり2022年シーズンオフには所属するアボッツフォード・カナックスとの契約を破棄してまで日の丸を背負って戦うことを優先している。言葉だけでなく、行動でその意思を示した、まさに彼らしい決断だった。なにしろAHLではまさにプレーオフというタイミング。海外では北米でのキャリアを捨ててまで代表チームに参加しようという選手はほぼ皆無と言っていいだろう。なぜ平野選手はそこまでして、日本代表で戦うことにこだわったのか。
平野選手「やはり日本のアイスホッケー界にとって、ここで結果が出なかったら終わりだという危機感がありました。いまから7年前、20歳のときの世界選手権で惨敗して、日本のランクをDivision 1AからDivision 1Bに落としたのは、まさにぼくの世代でした。だから自分が絶対にDivision 1Aに復帰させなくちゃいけない。そういう決意と責任があったからです」
不退転の決意で臨んだ今年4月の世界選手権Division 1Bでは、5戦全勝で見事に優勝。Division 1Aへの昇格を決め、また個人としても大会最多7ゴールを挙げる活躍を見せるなど結果を出した。「その瞬間はほんとうにうれしかった」と語る平野選手だったが、しかしそれでもまだ彼自身はこの結果に満足はしていない。なぜなら今回日本が7年ぶりに復帰したDivision 1Aの上に、さらにトップディビジョンというカテゴリが存在しているからだ。平野選手は、日本代表は本来そのカテゴリでもじゅうぶん戦えるチームだといい、そのメンタリティを持ったチームへと成長していかなきゃいけないと語る。
平野選手「日本アイスホッケー界の中では、プレーしているリーグのレベルでも、海外選手との対戦経験という面でも、自分がトップでチャレンジしてきたという自信もありますし、パイオニアだという自負もあります。同時にそれ相応の責任も求められるということもわかっています。だから自分からその責任を背負っていく。日の丸と日本アイスホッケーの未来を背負って戦う覚悟を持って挑まなければならないことは、誰より自分がわかっていますから」
日本代表チーム内では、そうした経験を若手選手にも積極的に伝えていく役割も担ってきた。トップ選手であることや年長者だからといった垣根を自ら壊し、後輩たちが自分の考えを自由に発言しやすいコミュニケーションや、気持ちよくプレーできる環境づくりに腐心してきたという。なかには「いずれは自分もアメリカでプレーしたいと考えているがどうすればいいか?」といった相談をしてくる若手もいたという。そんなときもこれまでの自身の経験を伝え、後輩たちのチャレンジを後押しすることを惜しまない。実力だけではなくメンタル面でも成長した平野裕志朗選手が、まさに名実ともに日本アイスホッケー界のリーダーになったといえるのではないだろうか。
しかし、今回の全勝優勝という結果について平野選手自身は、決して日本アイスホッケーのレベルが上がったからではないと断言する。では日本代表躍進の秘密はどんなところにあったのだろうか。彼はひとこと「危機感だ」と答えた。それは単にDivision 1Bに甘んじていることにとどまらない、もっと大きくて、より根深い問題が、現在の日本アイスホッケー界を、まるで黒い霧のように覆っていることへの危機感だった。そうした危機感をチーム全員が共有し、それをクリアするために一丸となって戦ったことが、彼らのなかに眠っていた戦う姿勢を呼び覚ましたのだろう。後編ではその危機感の中身と、それを乗り越えようとする平野裕志朗選手の強い決意、そしてその先にある未来の展望について紹介する。