原田快/プロフットサルプレイヤー
世界に名をとどろかせるFCバルセロナのトップチームで、日本人選手がプレーする。そんな漫画の中のような夢物語を、現実として歩む選手がいる。原田快、20歳。サッカーと同様に世界的名門であるフットサル部門に招かれて、日本人選手として初めてトップチームの一員となった。スペインに渡って2年目での快挙だったが、決して順風満帆なシーズンではなかった。だが、そこで目にしたこれまで見たことのない景色を力に変え、後編ではスペイン挑戦3年目の想いを語った。
フットサル人生で初めて味わった悔しさ
バルセロナに加わって2年目となる2023-24シーズンは、原田選手に新たな景色を見せてくれた。念願だったトップチームへの昇格を果たして、練習から世界最高峰の選手たちの力を肌で学ぶとともに、ヨーロッパの頂点を争う真剣勝負をメンバーのひとりとして体感できたのだ。20歳の若者にとって、成長への大きな刺激となったことだろう。
一方で、違う「初体験」もあった。それまでのフットサル人生で、味わったことのない悔しさだった。
シーズン半ばにトップチームの練習に加わるようになり、試合にも出るようになっていたが、なかなか十分なプレー時間を得ることは難しかった。奇妙なことに、行き来していたBチームでも、同じような状況が続いた。
原田快「Aチームでは1試合で出場するのが7分間くらいで、Bチームに戻っても出るのは5分とか7分くらい。10分も出られない状況でした。Bチームには左利きが多くて、競争率が高かったからなのか…。いろいろ考えたんですが、本当の理由は分かりませんでした」
子どもの頃から、自分のチーム以外に関西選抜や日本選抜に入っても、出場機会に恵まれないことはなかった。16歳でペスカドーラ町田のU-18チームに加わり、翌年にトップチームの一員となっても、時間を置かずして国内最高峰のFリーグ出場を達成してきた選手だ。
原田快「町田でも数試合すると出られるようになりました。だから、全然出場できない試合がある、ということに、すごく腹が立ちました。でも、これも勉強だと思って、ベンチから見て、声をかけたりしていました」
初めて味わう挫折を乗り越えるのは、簡単な作業ではなかったはずだ。何しろ、原田選手は異国でただ一人で戦っていたのだ。
暮らしている寮には、チームメイトたちも住んでいる。仲間だがライバルでもあり、原田選手のトップチーム昇格には祝福の言葉をかけてくれる友人でもある。それでも原田選手は、あえて孤独と向き合うことを選択した。
原田快「ひたすら、一人で練習していました。筋トレに行ったり、ボールを蹴ったり。昇格した後も、慣れてきたらAチームの試合に出られないことを悔しく感じるようになりました。あまり意味はなかったかもしれませんが、フットサルの動画を見てイメージトレーニングをしたこともありました」
クラブでの練習以外にも、語学学校での勉強などすべきことはあったが、心の隙間を埋めるように、空いた時間にトレーニングを詰め込んだ。
原田快「スペインの人たちは、試合が終わったら全部おしまい、というふうに、いろいろと気にすることはないんです。でも試合に出ていない僕としては、気にすることばかりでした。練習する施設はあるので、人が誰もいない時にパッと行って、30分だけでもいいからボールを蹴ったりしていました。孤独と向き合って、大音量で音楽をかけながら筋トレをしたりしていました」
父からのアドバイス、挫折に耐えた成果
ただし、本当に一人きりだったわけではない。日本へと電話をかけることはあった。両親からは、頻繁に連絡が来た。父の健司さんはフットサルの元日本代表で、原田選手が選手人生をスタートさせたガット2008の創設者であり指導者でもある。20歳の若者は「調子はどうだとか、今日の練習はどうだった、と聞かれるくらい」と照れるが、専門家である父のアドバイスは的確だった。
健司さんは、フットサル人生で初めての苦境にぶつかった息子に、こう声をかけた。「プロなんだから、フラストレーションがたまっても、試合に出られない時なりの態度でチームに貢献しなさいと伝えました。悔しいことは百も承知ですが、そこでの立ち居振る舞いを、誰かが見ています。ただし、自信を失わないように、声をかけるようにはしていました。本人が助けられたと思っているかは分かりませんが(笑)」
また、メンタル面のケアだけではなく、技術面でも「映像でプレーを見て、体がごつくなっていることは分かっていました。身長が伸びる時期の快には、シュートがミリ単位でずれてポストに当たり、ゴールが決まらないことがありました。だから、今は筋肉量が増えて、ちょっとした違いが出ているかもしれないよ、調整しないといけないよ、とも伝えていました」と、息子の成長を遠く離れた日本から見守っていた。
帰国した際に古巣の町田へ立ち寄ると、スタッフや監督から体が大きくなったと指摘され、初めて筋トレの効果に気づくという。試合に出られない辛さも、成長痛のようなものだったのだろう。いつか振り返った時、「たくさんの経験をした」(原田選手)と、スペイン2年目に感謝する日が来るかもしれない。
スペイン3年目で迎える新たな挑戦
プロ3年目に入り、今度はスポーツ栄養の専門家である母・とも恵さんのアドバイスが重要になるかもしれない。新シーズンは新天地で、おそらく自炊の生活を送る。期限付き移籍で、美食の街としても知られるスペイン北部のサン・セバスティアンも擁するナバラ州の州都パンプローナに本拠を置く、ショタFSで2シーズンプレーするのだ。
寮生活だったこれまでとは変わり、チームメイトとシェアハウスで暮らすことになりそうだという。これまでも食生活のアドバイスをくれた母に加え、飲み続けているサン・クロレラも心強い存在になりそうだ。
「飲み続けてきたことで、コンディションを崩すことがなくなりました。バルサのトップチームではリカバリーを考えて、練習後と夜に飲むように調整しました。おかげで朝起きられないという日がなくなり、むしろ朝に強くなりました。これまでもバルサの遠征でチームメイトに『それは何?』と聞かれることが多かったので、サン・クロレラAを試させていました。ショタでも、ルームメイトに勧めたいですね」と笑う。
期限付きとはいえ移籍は大きな決断だったが、原田選手は覚悟ができている。進むべき道が見えているからだ。
原田快「ショタでレギュラーに定着して試合に出られるようになるというのが、まずひとつの目標です。新天地での1年目なので難しさはあると思いますが、10得点10アシストを目指します。1部リーグでそれだけできれば、バルサに戻ってトップチームに定着する、という目標を達成できると思います」
どんな状況でも、意識は常にゴールへと向ける。バルサのトップチームでの学びを胸に、新たな地平を切り開いていく。