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Vol.79
人生いろいろあったけど、いま笑いあえる仲なら最高じゃないか。
新生UWF解散から30数年、いまだから語れる藤原喜明や前田日明との仲

鈴木みのる
プロレスラー

新生UWF解散から30数年、いまだから語れる藤原喜明や前田日明との仲 前編
2025/05/12

かつて鈴木みのるには確執が伝えられたレスラーがいた。あれから30数年、藤原喜明や前田日明との関係はいまどうなっているのか。人生いろいろあったけど、いま笑いあえる仲なら最高じゃないか。

プロレスは離合集散の歴史を繰り返す。

現在、フリーのレスラーとして各団体で暴れまくる鈴木みのるの場合、新日本プロレスでデビューしたのち、新生UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組、パンクラスと渡り歩いた。

レスラーは自己主張の塊。とりわけUWF系に集まったレスラーたちはその傾向が強く、新生UWFが解散したときには藤原組、UWFインターナショナル、リングスと三派に分裂した。二派ではなく、三派に分裂したところに、人間関係の複雑さを感じてしまう。

何度も会っているから、全然険悪な雰囲気にはならないですよ

新生UWF時代、鈴木は事あるごとに団体のエースだった前田日明と衝突した。

あれから30年以上の歳月が流れた。いま、前田との関係はどうなっているのか?

「先日とある飲み会に藤原喜明さんも来るからということで足を運んだら、前田さんも来ていたんですよ。それで、すっごい久しぶりに前田さんと話をしました。そのとき前田さんは飲んでいなかったけど、『ちょっと横、いいっすか?』と声をかけたら、『なんだ?』って感じになって、昔話をしましたよ」

それは新生UWFが解散して以来となる、久々の再会ではなかった。それ以前にも何度かイベントなどで顔を合わす機会があったという。「何度か会っているから全然険悪な雰囲気にもならなかったですよ。勝手に(周囲が)そういう噂を流しているだけで。(もっというと)たぶん20年くらい前にちゃんと会って、ちゃんと話をしました」

どんなタイミングで?

「俺がプロレスに戻ってちょっとしてからですね。お互いの誤解を解くような話し合いを密室でしました。その場には、もうこの業界にはいない人もいたけど、その人の名前は出したくない」

最近ではジョシュ・バーネットが主催した『BLOOD SPORTS』でも顔を合わせた。「だからちょこちょこ会っていますね。いま前田さんのマネージャーをやっているのは謙吾ですからね」

謙吾とは大学ラクビー界で活躍後パンクラスでMMAに転向したヘビー級ファイター。鈴木にとっては後輩にあたる。

鉄拳制裁を受けた話も笑って話せるようになった

先日、酒席で前田と会ったときにはこんな会話があった。「あの頃(新生UWF)はさ、毎日道場に行くのが不安で仕方なかったんだよ」

「どうしてですか?」

「お前だよ。今日も(鈴木絡みで)何かあるんじゃないかって、毎日そればっかり考えていたんだよ。本当に行くのが憂鬱だった」

当時、どんなやりとりがあったかまで鈴木はハッキリと覚えていない。

「俺がそんなに頭がいいわけないじゃん(微笑)」

それでも、移籍した初日、合同練習に遅刻したときのやりとりは覚えている。

「それで、すっごい怒られて罰を与えられたんですよ。でも、それから結構(上の人が)練習に遅れてくるんですよ。それで文句を言ったことはありましたね。『なぜ前田さんは遅刻してよくて、俺はダメなんですか?』ってね」

当然その場で言い合いになった。

「お前、何言っているんだ?」

「いや、何言っているんじゃなくて、じゃあ何年経ったら(自分も遅刻して)いいんですか?」

すぐに鈴木の顔面に鉄拳が飛んできた。令和になったいまから振り返ると、全ては思い出話だ。「まあ昭和から平成に変わったばかりの時代でしたからね。そんな話も笑ってできるようになったんですよ」

時間の流れがそうさせた?

「わからないです。(たぶん)俺が大人になったんじゃないですか」

筆者は新日本プロレスでデビューしたときから鈴木を知っているが、大人になったというのは確かだろう。

誰かを嫌いなまま、この先生きていきたくない

そんなことを思っていると、鈴木は「あと、あれがあります」と思い出したように話し始めた。

「さっき自分が18歳のときの話もあったけど、今までの人生の中で誰かを嫌いなままだとか、恨んだままだとか、『あの野郎は絶対許せない』と言いながら、この先生きていきたくないと思ったというのはありますね」

最近とみにそう思うようになったという。「そういうチャンスがなかったというのもあるけど、ちょっと気づいたのは昔は他人を正そうとしていた。『お前、それ違うよ』って、自分が正しいということを通すためにね。そういうのがなくなっちゃったのかもしれない。ここ5年くらいですかね。そんなことを言ったら、世界を回れないです」

日本全国からオファーがかかり、定期的に海外にも足を伸ばす鈴木には欠かせないサプリメントがある。サン・クロレラだ。

「でも繊維質の塊だから体にいいという認識はない。ちゃんとサン・クロレラという会社の製法を自分で調べ、『これは体にいい』と理解したうえで飲み始めているので」

いまではサン・クロレラの営業より、「絶対に俺の方が製品については詳しい」と胸を張る。「ウチでもサン・クロレラの商品を売っているので、ときどき営業の人が商品の入れ換えに来る。そのとき改めて商品の説明をするんだけど、俺に『この説明で間違っていないですよね?』と確認してきますから(笑)」

話を元に戻そう。藤原組時代には、藤原とも確執があったが、いまやそれも昔話。鈴木は「藤原さんと(の確執)はもう20年以上前に終わっている」と明かす。

「最初は俺が挨拶に行ったんですよ。そうしたら、藤原さんはフンフンって。昔から言っていたんですよ。『俺は誰と喧嘩しようが、そいつが目の前を通りすぎるときには『ウッす』と挨拶できたらそれでいいんだって。ウッすといえない人間にはなりたくないって言っていたんですよ」

過去は過去。現在は現在。当然鈴木は現在を生きる。「結局、藤原さんにしても、前田さんにしても、みんな勝手に『アイツはこういう人物』という人物像を作りすぎなんですよ。自分が知っている情報だけで、勝手にそういうのを作ってしまっているんですよ。人間なんて、どんどん変わっていくのに」

冒頭で記した酒席で藤原は鈴木と前田にボソッと呟いた。

「たくさんの時間が経ったら、結局隣にいるのは鈴木で、もう一方にいるのは前田か。一番出来の悪い2人がそばにいるよな。できる奴はみんなどこかに行ってしまったのに。アハハハッ」

時代こそ違えど、前田と鈴木は80年代の新日本プロレスで名物だった藤原教室で鍛えられたという共通項がある。

人生いろいろあったけど、いま笑いあえる仲でいるなら最高じゃないか。