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Vol.70
年齢を超越したプロレスラー、鈴木みのる
「ゴッチさんはプロレスラーとして一番大切なことを教えてくれた人だった」

鈴木みのる
プロレスラー

年齢を超越したプロレスラー、鈴木みのる 前編
2024/01/11

鈴木みのるを語るために、欠かせないふたりの人物がいる。カール・ゴッチと藤原喜明。知っての通り、ゴッチは″プロレスの神様″と呼ばれ、日本プロレスでは力道山とも闘った伝説のレスラーだ。

ゴッチさんは俺の中でまだ生きている

鈴木との接点はプロフェッショナルレスリング藤原組に在籍した時期まで遡る。ゴッチがコーチとして米国から招かれたのだ。それでも、鈴木はコーチという枠にゴッチを当てはめることをよしとしない。

その理由がふるっている。

「俺は人を祀り上げるのが嫌いなので、ゴッチさんを神棚に上げていない。だから自分にカール・ゴッチの弟子であるという枕詞はいらないと思っている。いろいろ教えてくれた先生ではあるけど、あの人の弟子だとは思っていない。たぶんあの人も俺を弟子だとは思っていないと思う」

鈴木は「ゴッチさんと一緒にいる期間は短かった」と振り返る。「最初はビザが切れるまで3カ月いて、一度帰ってまた来て一緒にいた。それからまた離れて、今度は俺がアメリカに行くようになった。そういう感じなので、(藤原組時代にゴッチさんが離日したあとは)文通をしていました。一生懸命書いていましたよ」

まだ一般的にメールが普及していない時代の話だ。ときには所属団体で英文がきちんと書ける人に文書を頼むこともあったという。「何十通も手紙を出していたと思う。ゴッチさんという俺にいろいろ教えてくれた人は俺の中でまだ生きています」

鈴木は「ゴッチさんはプロレスラーとして一番大切なものを教えてくれた人だった」と言ってはばからない。いまでも練習でちょっとでも気を抜こうとすると、すぐさまゴッチの姿が脳裏に浮かび上がり、「お前はまたズルをするのか」と告げるというのだ。

「毎日言われているような気がしてしょうがない。そのたびに『ズルしていねぇよ。やっていねぇよ』と言い返すんですけどね」

ゴッチは言った。「戦っているときは一瞬の判断が全て」

ゴッチからは「闘っているときは一瞬の判断が全てである」ということを学んだ。

「試合中に『これはどうかな?』なんて考えている暇はない。一瞬で正解を掴まないといけない。腕が折られそうになったら、瞬時に判断して対処できるようにしないといけない」

そのためには、日頃から頭の中を整理整頓をしていないといけないということも学んだ。「そういうときにどんな技をチョイスするのか。整理整頓しておけば、いつでもできる。ゴッチさんは普段の生活から整理整頓しておけば、つねに頭の中はクリアになるという考えなんですよ」

その教えは現在の鈴木の私生活にも大きな影響を及ぼす。「俺は朝起きて布団を片づけ掃除機をかけ、朝御飯を自分で作り、洗濯物を自分でたたむ生活をしている。そう言うとみんなエッというんですけどね。別に整理整頓や掃除が好きなわけじゃない。でもいつも整理されていなければ、必要なときにそれを取り出すことができない。これはゴッチさんや藤原さんからダイレクトに受け継いだものだと思いますね」

藤原は“関節技の鬼”として知られ、74歳になった現在もリングに上がるマット界の生きる伝説だ。新日本プロレスに入団当初、藤原は憧れの存在だったが、藤原組時代は何かと反発することも多かった。鈴木は「よくケンカをしていましたね」と思い返す。「完全な親子ケンカ。親父を理解していない子供という感じでした」

まさに親の心、子知らず。藤原の気持ちを理解できるようになったのは30歳を過ぎてからだった。

「『親父がやっていないことを俺はやっているんだ』『俺の方がすげぇんだ、優れているんだ』と思いながらやっているときには藤原さんの考えがわからなかった。それから俺はグルッと回って35歳で(総合格闘技から)プロレスに戻ってきた。そこが初めて藤原さんが言っていたことがストレートに入るようになってきました」

結構時間がかかりましたねと水を向けると、鈴木は「いや、時間がかかったからこそわかったんじゃないですか」と切り出した。

40歳を過ぎて、カッコつけた生き方を捨てた

「1年くらいでわかりましたなんて言っている奴は1年で忘れますから。時間がかかったからこそ解き明かすことができたんじゃないかと思います」

だったら現在は藤原が言っていることをすんなりと受け入れているかといえば必ずしもそうではない。鈴木は「まだ反発している」と冗談交じりに言葉を続けた。

「あのジジイには負けたくないので。そういう気持ちはあります。キャラがかぶるので、『早く辞めてくれないかな』と思っているけど、なかなか辞めてくれない」

プロレス会場で顔を合わせると、藤原とはこんなやりとりを繰り広げている。

「もうそろそろ、くたばってもいいですよ」「うるせぇ、この野郎」

「大丈夫です。俺、藤原二世で食っていくので」

なんて素敵なやりとりなのだろう。ふたりの信頼関係が伝わってくるではないか。

鈴木は「いいかどうかはわからない」と前置きしたうえで、「自分が藤原さんにこんなことが言えるということを見せるために喋っているわけではない」と吐露した。

「評価がほしくて喋っているわけではない。そのへんが若い頃と一番違うところですね。いま思えば、若い頃は全て評価されるためにやっていた。『鈴木はカッコいいな』と言われるために、カッコいいといわれるような生活や生き方をチョイスしていたような気がします」

カッコつけた生き方を捨てられるようになったのはいつ頃?

「40歳を過ぎてからじゃないですかね。わかったかどうかはまだわからないですけど」

30歳を過ぎてから「年齢の離れた友人」(鈴木談)の考えを理解できるようになり、その10年後には虚勢を張った自分の生き方から脱することもできた。

いつまでも自分のこだわりに固執しているわけではない。人生の節目ごとに、鈴木みのるは生きるうえで大事なことを理解し、次のステージに進んでいる。