流通経済大学トライアスロン部監督
田山 寛豪
厳しくも、家族のような指導者でありたい
田山が母校である流通経済大学のトライアスロン競技部を創部したのは2014年のことだ。当時は選手として第一線で活躍しており、2017年の第一線を退くまで選手兼監督という二足のわらじを履く形であった。この取材が行われた2019年時点で創部6年目だが、すでに男子は団体3連覇中、女子は2018年インカレ優勝、日本学生トライアスロン選手権優勝とすでに全国トップの強豪校として他校からマークされる存在にまでなっている。現在の部員は6名。他の大学に比べて少ない印象がある。
「うちは勧誘は一切せずに、少数精鋭でやっています。なぜならば、私の指導はかなり厳しく、多くなると一人ひとりとじっくりと向き合えないからです。練習ももちろんですが、生活面においても厳しく、選手だけでなく保護者の方の理解も得なくては成り立ちません。今後、学生が辞めたいという状況も出てくるかもしれません。そのときには、本当にやめたほうがいい場合は、私から保護者の方に伝えるようにしますので、同調するのではなく、自分に負けないようにしっかり支えてあげてくださいという風にお願いしています」
そう語る田山は、練習では自他共に認めるほどの厳しさと覚悟もって接しているが、ときに友人のように、そして父親や兄のような存在のつもりでコミュニケーションをとっているという。
「これまで3人、プロとして大学を卒業していきました。1、2年次はとにかく、公私ともに口うるさく指導していると、3年次以降はいろいろと私が考えていることが見えてくるんです。一人ひとりに強い思い入れを持ち、辛いこと嬉しいことも分かち合いながら、家族以上に濃密な時間を一緒に過ごしているのです。だから3月に卒業していくときに、まるで失恋にでもあったかのような気持ちになるんです。あいつはもういないんだってね(笑)」ただし、卒業生も田山のもとを巣立った後は、同じレースに出場し、現在の教え子たちの壁として立ちはだかることがある。その時は、教え子たちにこのように伝えているそうだ。
「お前ら、俺が強くしてやる!OBに負けるな。絶対に仕上げていくぞ!」
休み方を知っている選手こそ強い
熱く、温かな目で見守りながら学生を一流のトライアスリートへと導いていきたい。田山の話を聞いていると、そんな強い思いがひしひしと伝わってくる。しかし、興味深いのはどうして現役選手でありながら指導者という道を歩み始めたのかということ。それも、より完成された選手の多い実業団ではなく、大学という選択肢を選んだという点だ。
「私が所属していた実業団が廃部になったのが2008年4月でした。これからどうしようっていうとき、いの一番に全面サポートしてくれたのが流通経済大学だったんです。当時は関西に住んでいましたので、関西にいながら職員として雇ってくださり、北京大会に向けての支援をしていただいたんです。だから、この先大学のために少しでも力になれるよう頑張りたいと、その時に誓いました。また、現役でありながら指導者の道を選んだのは、一線で活躍できているうちに、教え子たちに背中で何かを感じ取って欲しかったからなんです」
冒頭でも紹介したように流通経済は創部6年目にしてすでに強豪校であり、一人ひとりの選手のレベルもプロと戦えるほど高い。たしかに、田山のもとでトライアスロンを学びたいという意識と覚悟を持てるほど優秀なアスリートであることは疑いの余地はないが、全国にはレベルの高い選手はまだまだいるはずだ。その中で現役時代の田山を彷彿させるほど、結果を出し続けられるのは厳しい練習の賜物なのだろうか。
「実は、私は現役時代に休むことが怖かったんです。1日休んでしまうと、3日分取り戻さなくてはならないと思い込んでいました。でも、現役後半くらいになってから、休むことで筋肉が回復して、いい練習につながる。それに筋肉だけじゃなくて、気持ちのリフレッシュにもなると気づいたんです。だから、今の教え子たちには毎週月曜日を1日完全休養として与えているんです。私としてはただひたすらに練習したり、練習法にこだわるのではなく、休み方・休ませ方をうまく取り入れている指導者になりたいと思っているんです」
選手にとって休むことはとても勇気のいること、と語る田山。休養を効率的に取り入れられるようになれば、気持ちの入った練習につながり、さらにレースに向けた調整がうまくなるという。そういう意味では体を整えることも非常に重要視している。
「『サン・クロレラAパウダー』を飲み始めて2ヶ月目ですが、体のベースが整えられている感じがします。強化期間は1日2袋を飲むようにしているのですが、教え子の反応を聞くと『寝つきがいい』『お腹がすっきりしている』、朝から体調がとても良いと好評です」
田山自身も選手時代から体調管理には人一倍気遣ってきた。厳しい練習で自分を追い込みながら、自己をコントロールできるからこそ本番で結果が残せる。実際に世界と戦ってきた男の言葉だからこそ説得力に満ちており、学生たちもその背中を信じてついていけるのだろう。
教え子たちに伝えたいこと
学生たちも快く写真撮影に応じてくれる中、この中でオリンピックを目指している選手はどのくらいいるのかを尋ねると、迷わず全員が“必ず出たい”と答えてくれた。意識が高い。日々の練習の中で、オリンピアンになるための土台が着実に築かれているのだろう
「この4年間は人生にとっては短い時間です。しかし、教え子の人生に大きな意味をもたらす4年間になるようにしたいと思っています。私が大切にしている『夢・実現』という言葉があるのですが、夢を叶えた瞬間がどれほどの達成感なのかを味わわせてあげたいんです」
田山は選手一人ひとりの夢や直近の目標を把握し、週1回練習日誌でもコミュニケーションを取っている。たとえば、教え子が「U23(23歳以下)で表彰台に立つ」と目標を掲げれば、日々の練習と照らし合わせながら叱咤激励を行なう。また、文章の書き方が雑な時は容赦無く注意する。日々のそうした繰り返しが、実力だけでなく、選手としてのメンタルや人間性も育てているのだろう。
そんな田山に今自分が立っている現在地と、描く未来像を聞いてみた。
「指導者としては始めたばかりですので未熟ですし、教え子たちから気づかされることもたくさんあります。しかし誰よりも熱く、誰よりも選手のことを思っている指導者という点ではナンバーワンだと思ってやっています。また、私の元で学んだ4年間がトライアスリートとして結果につながるだけでなく、困難にぶちあたったときに乗り越えられる力が身についていること。強い選手としてだけでなく、強い人間を育てることが私の役目だと思っています」
選手としてのゴールは切ったが、指導者としてはスタートの号砲がなったばかり。今後、田山率いる流通経済大学トライアスロン競技部の活躍、そして、この中から田山イズムを継承する未来のオリンピック選手が輩出されるのか楽しみだ。