世田谷区千歳烏山にロータス世田谷という異色のジムがある。運営者は八隅孝平さん。
八隅さんは高校からレスリングに没頭し、インターハイにも出場した。法政大学進学後もレスリングを続け、その後総合格闘技(MMA)の道へ。その一方でサブミッションレスリング、ブラジリアン柔術にも果敢にトライ。組み技世界一を決めるアブダビコンバットの日本予選ではPRIDEやUFCで活躍した五味隆典を破った実績を持つ。
ついたニックネームは”日本最強グラップラー”。現在はMMAの青木真也や北岡悟のセコンドを務める一方で、ジムでレスリングや柔術の指導に励む。前者は少年少女中心で、出世頭は長男・士和(しな)君だ(中1)。
──士和君にレスリングを教え始めたのは?
八隅孝平(以下、八隅):まだ言葉も満足に喋れなかったと思うので、3歳くらいからですかね。だから本人の希望ではありません。
八隅士和(以下、士和):小さい頃のことだからあんまり覚えていないけど、そうだと思う。
──当時八隅代表が運営するロータス世田谷は元幼稚園を改造した建物で、1階が道場で2階が自宅でしたね。
士和:ハイ、毎日(遊び場代わりに)道場を走り回っていました。お父さんが指導しているところを見たら、頑張っているなと思いました。
──教えた当初から士和選手には見どころがあると思った?
八隅:ちょうど10年くらい前の話になるけど、最初は人(子供)が少なすぎて練習相手がいなかったので、代わりに士和をやらせていた感じですね。
士和:試合に出たり、練習で頑張ったり。僕は4歳くらいからのことを覚えています。お父さんは怖かった。自分が泣いていたりすると、怒ったりしたので。
八隅:子供はひとりが泣き出すと連鎖するので、一番怒りやすい士和を怒っていました。そうしたら、場の空気がピリッとする。
士和:怒られてさらに泣いたこともありました。でも、試合で勝ったりした時が楽しかったので続けました。
八隅:一番最初の試合は幼年部の一番下だったけど、すっごく強い女の子にボコボコにされた。
士和:あの時は号泣した記憶がある。
八隅:3歳だから「次は絶対勝ってやる」となんて思わない。ただ、やられて泣いているだけだったと思う。
士和:最初に勝ったのは2~3試合目だったと思う。
八隅:そう、東日本の年中で2つか3つ勝って3位になった。最後の決勝は年長にやられたけど、勝ったら「やるじゃん」と思ったね。
士和:勝ったら気持ち良かった。その時もらったメダルはいまも自宅においています。
──小学校に進学してもずっとレスリング?
士和:いや、小学校の時には体操もやっていました。体が柔らかくなったので、やって良かったです。
八隅:小1から小6までやったよね。でも小3~4くらいの時、ブリッジみたいに腰を反らす運動で、ギュッと押されて腰椎分離症になったよね。あの時はビックリしたよ。
──そんなことがあったんですか! いずれにせよ、士和君は7歳で14冠を達成するなど早くから注目を集める存在になりました。レスリングは合っていると思った?
八隅:正直、最初はすごくイヤがっていた。でも友達ができたので、勝手に好きになってしまったんですよ。地方に遠征に行ったら友達ができる。試合に出たら勝って、みんなでワイワイしてます。
士和:それが楽しかった。小3~4くらいからレスリングが好きになったと思う。思い出に残っている遠征は大阪です。おばあちゃんの家に泊まってから試合に行くんですけど、おばあちゃんが作る豚汁が美味していつも楽しみにしていました。
八隅:大阪には年に2回は行くようにしています。ちびっこレスラーのための大会として、西日本選手権、押立杯(関西少年少女選手権)、吹田市長杯(吹田市民少年少女レスリング選手権)などがある。
──他に出場した地方大会は?
八隅:三重県津市の吉田沙保里杯、静岡県焼津市で開催される中部日本大会ですかね。富山や岡山に遠征したこともあります。なぜ西日本への遠征が多かったかといえば、西日本の方が選手がたくさんいて、強い選手が多い。でも、士和の2歳くらい下くらいから東京の方が強くなっている気がします。分母(競技人口)が多くて、強い子が集まっている。(オリンピックで3連覇を達成した吉田沙保里を生んだ土地柄のせいか、)三重県は女の子が強い、九州は男子が強い傾向がある。
──地方に積極的に遠征していますが、八隅家には独特の教育方針があるという話を聞きました。たとえば、自宅にテレビがないとか。
八隅:理由はわからないけど、僕の実家にも中学生までなかった。もう慣れましたけどね。
士和:僕もなくて大丈夫。家にいる時にはパソコンでユーチューブを見ています。
八隅:ウチには市販のお菓子もない。たまに買って食べるくらい。あとジュースも飲まないよね。ウチの日常飲料は水かお茶。
士和:僕はサイダーが好きなので、どこかに行った時には飲んでいます。
八隅:ウチはあしたのジョー式の減量方法(絶食)は絶対にしない。途中で我慢できなくなる日があることも見越して、試合日から逆算して設定するようにしています。減量中は給食は食べていいけど、自宅ではこれとこれだけという感じでね。
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試合中の様子
毎朝の自主練もかかさずこなしている