池田祐樹
(プロMTBライダー/TOPEAK-ERGON RACING TEAM USA)
アウトドアスポーツの聖地・長野県王滝村。この地で、2019年の「キング・オブ・王滝」の栄冠を手にしたアスリートがいる。「SDA王滝クロスマウンテンバイク」MTBレース100km、「OSJ王滝ダートマラソン」トレイルランニング42kmの2種目で、総合首位を獲得した池田祐樹である。日本における山岳長距離・耐久レースの第一人者として知られる人物だ。取材会場で見せる柔和な笑顔と裏腹に、引き締まった身体と強い意思を宿した瞳に、世界で戦うアスリートの片鱗が垣間見えた。
バスケ留学がMTBとの出合いを生んだ
アメリカを拠点とするプロサイクリングチーム「TOPEAK-ERGON RACING TEAM USA」。池田はそのチームの一員として世界で戦うMTBのプロアスリートだ。だが意外なことに、かつてはNBAを夢見てアメリカの大学へ留学するほどのバスケットマンだったという。「キャンパスのあった場所がロッキーマウンテンの麓・コロラド州デンバー。そんな土地柄もあって、MTBの課外授業があったんです。たまたま受講したんですが、その開放感にショックを受けました」とMTBとの出合いを語る。雄大なロッキーマウンテンを駆け抜ける体験は、バスケットボール一筋の青年にとって衝撃的だった。また、岩が転がる山道で足を着き、自転車を押し歩く自分の目前を、大学の恩師がMTBを巧みに繰って駆け上がって行く姿も印象に残った。
「デンバーの大人たちは、仕事帰りに飲みに行く軽いノリで、MTBで山を走るのが日常の風景。40~50代の大人たちが少年のように遊んでいるんです。そんなMTBカルチャーにも惹かれてしまって。徐々に自転車仲間が増えて山に通ううちに、バスケットボールへの思いが小さくなっていくのを感じました」
いつしか、仲間に連れられてMTBのレース会場にも訪れるように。初参戦したレースで9位入賞を果たした時、バスケットボールで培った競争心に火が付いた。「トレーニングしたら優勝できる!と思ったんです。そして、『自分にはコレなんだ』という直感もあった。全く根拠のない自信ですが、MTBのプロになるビジョンが見えた瞬間でした」。当時23歳。この年齢から新たなスポーツに転向し、プロを目指すことの難しさは理解していた。だが、心に灯った火は激しく燃える。その日から、MTBのプロライダーを目指す日々が始まった。
周回遅れから駆け上がったプロへの階段
アメリカの自転車競技は、ビギナーからプロまで戦績に応じてカテゴリー別けが行われる。公式レースの表彰台に上がることでポイントを稼ぎ、ランクアップしていく方式だ。持ち前のスポーツセンスもあり、プロの一つ手前のカテゴリー「セミプロ」までは順調に昇格することができた。しかし、そこから思うように戦績が伸びず、あと一歩のところで手が届かない日々が続く。
そんな時、池田のレースを見るために両親がアメリカへやって来ることになった。「優勝するところを見せて喜ばせたいと思っていたのですが、レースは最下位。期待を裏切る散々の結果でした…」。打ちひしがれる池田のもとへ、追い打ちをかけるできごとが起こる。レース会場のスタッフから「20代半ばでその戦績ではプロにはなれない」と言い放たれたのだ。すると、それを聞いていた両親が会話に割って入った。「そのスタッフへ『この子はプロになります』と言い返したんです。無謀なMTBへの転向を応援してくれ、不甲斐ない結果を見せても信じてくれる。両親には感謝しかありません」。
2008年、27歳で念願の「プロ」カテゴリーへ昇格。同年、「12時間スノーマス耐久ソロ」レースでプロ初優勝を収めることができた。実はこのレース、プロ初優勝の事実以外にも大きな意味を持っている。レースをスポンサードするエルゴン社は、「TOPEAK-ERGON RACING TEAM USA」を擁する企業。そこには、MTBのレジェンドライダーであり、池田の憧れの存在でもあるデイヴ・ウィンズ選手が所属していた。「このレースで優勝すれば、憧れの人がいるプロチームに入れるかもしれない。その可能性を信じてトレーニングを重ねていたんです」。
強い思いは道を開く。翌年2009年、憧れのチームへ加入。デイヴ・ウィンズ選手と同じレーシングジャージに袖を通すことができた。「プロチームの厳しさは感じましたが、興奮する気持ちの方が大きかった。チームに見合うようにもっと強くなりたい。今まではチームに入ることがゴールでしたが、その先を目標に力を伸ばすことができました」。2011年、ビザの都合で日本へ帰国。以降は日本を拠点としながらチーム活動へ参加している。
全力で走り続けるために必要なこと
2011~17年、7年連続でMTBマラソン世界選手権の日本代表に選出。国内外のレースで好成績を収め続け、日本における山岳長距離・耐久レースの第一人者として走り続ける池田。常に世界トップレベルを維持し、表彰台に上がり続ける秘密はどこにあるのだろうか?この問いに対して「モチベーションをフレッシュに保つこと」と即答する。「同じレースに出場し続けるのが得意ではなくて…。訪れたことがない国のレースを見つけては、積極的に参戦するようにしています」。
そんな工夫を凝らしてはいたが、重要なレースに参加していくと、どうしてもスケジュールがルーティン化してしまう。身体的パフォーマンスは向上していたが、モチベーションが伴わないために、ここ数年は結果に繋がらない状態に陥っていた。「気持ちをリセットするために、約1ヶ月間、あえて自転車に乗らない期間を作ったんです。そんな時トレイルランニングに出合いました」。トレイルランニングは池田の妻の趣味でもあり、軽い気持ちで山へ付いて行ったことがきっかけだった。自転車に特化した身体は300mで息が上がり、5kmで筋肉痛。自転車にはない地面からの衝撃に関節が悲鳴を上げた。その一方で、今までにない高揚感が湧き上がってきたという。
「山を“走る”感覚が純粋に楽しかったんです。MTBよりスピードは出ませんが、スピードだけではない楽しさに気付いたというか。あとは、地面から得られる情報の多さにも驚きました。MTBでは機材を通じて路面や周囲の情報を得ますが、トレイルランニングは靴底一枚しか隔てる物がない。圧倒的に自然に近いので、より多くの情報を感じ取れるんです」。初のMTBレースで入賞したあの日のように、トレイルランニングに大きな可能性を感じた。2018年10月、本格的にトレイルランニングへ取り組むことを決意する。
MTBプロライダーとして、公式レースでポイントを獲得することの大切さや面白さは、十二分に理解していた。その一方で、公式レースの性質上、競技性が重視されることに、どこか物足りなさも感じていた。「ロッキーマウンテンで体験したアドベンチャーが僕の始まり。今も原点はそこにあるんです」。一山越えた先には何が待つのか?そのカーブを曲がればどうなっているのか?未知への挑戦こそが、池田の心と身体を動かす原動力なのだ。自分のスタイルを追求するべく、冒頭で紹介した「キング・オブ・王滝」のように、MTBとトレイルランニングを複合した競技フィールドへ、次なる冒険の地を定めた。
キング・オブ・王滝の証のトロフィーと盾
レース中とは違う穏やかな表情の池田選手