Team Sun・Chross ナガセキヒロキ
2018年9月、永関とチーム「SUN・CHROSS」はアメリカにいた。カナダとの国境の町スーマスが、永関のアメリカ大陸走破挑戦のスタート地点となった。スーマスからメキシコ国境サンディエゴまでの2,400kmを南下し、ロサンジェルスからニューヨークシティまでの4,800kmを西に走るという、アメリカ大陸を縦断&横断するという壮大なスケールの挑戦。この7,200kmを走破する既存のギネス記録は40日。それに対し永関が立てた目標は23日だった。
大幅な記録更新に挑んだのは、無謀からではない。酷暑の中で行われた2ヶ月前の日本縦断ではを、道中で体調を崩したスタッフを気遣うほどに余裕をもって走り切った永関はノっていた。さらに、既存の記録では1日あたり180kmと、永関の走力なら問題にならない距離だった。そして実際、順調に1週間が過ぎていった。
だが8日目、スタッフを追い出したサポートカーに一人篭る永関の姿があった。右半身は血まみれ。永関が再び自転車を漕ぎ出すことはなかった。もう自転車は終わりだ。本気でそう思っていた。
ここまで順調に走り続けていた8日目は、アメリカ大陸縦断の最終日だった。サン・クロレラUSAの社員たちも挑戦を聞きつけ、永関を一目応援しようと会社近くのロサンジェルスに駆けつけていた。日本人の力走を見届けようと集った彼らに知らされたのは、まさかの悲報だった。2,200km地点の下り坂を走行中に強風が吹きつけ、路肩に落車したのだ。時速60kmでの落車は肉体的にはもちろんだが、永関を精神的に打ちのめした。
動かない右半身は、挑戦の失敗を意味する。「まさか坂道で転んで体が壊れて走れなくなるんて、想像の範囲外でした」と本人も語る通り、ある程度想定していた行程の過酷さや、機材トラブルなどではなく、自分自身が動けなくなってしまったことに、憤りと不甲斐なさを覚えた。このアメリカ挑戦にどれだけの人が関わり、応援してくれていたかを思うとやりきれない思いになった。そして自転車はもう終わりだ、と心が折れかけていた。
いま永関は日本で、2019年6月に控えた2度目のアメリカ大陸挑戦に向けてトレーニングに励んでいる。それに平行して、オーストラリア大陸挑戦への準備が進む。永関が再び走ることを選んだのには、帰国前に立ち寄ったサン・クロレラUSAでの約束がある。落車したあの日、塞ぎ込んだことを詫びにサン・クロレラUSAに立ち寄った永関は、存外の激励を受けた。「必ず戻ってきて、次は絶対に達成する」と誓い、別れた。頬には涙が流れていた。
永関が日々こなすトレーニングの中心は筋トレとランニングだという。自転車にはあまり乗らないというのが意外だが、ここまでの挑戦で得た経験に従い鍛錬を積む。今ではあの落車も精神的に乗り越えたようだ。
「あの時、なんでこんなところで転んだんだろうという自問自答を繰り返したんですが、きっとそのまま走っていたらもっと重大な事故につながっていたんじゃないか、と考えるようになりました。骨折もなく命に別状がなかったのはある意味幸運だったと」
自転車に乗る上でのいい意味での恐怖感を自分のものにした永関の語り口には、「経験」の持つ重みすら感じられる。2度目のチャレンジでは、もちろん落車した2,200km地点の下りを再び通る。
「正直怖い気持ちはあります。でもこの恐怖心が次を走る上での糧になる、といい意味で捉えています。いまは、死なずにニューヨークにたどり着きたい、その一心です」
体も心も傷つきながら、それでも挑戦をやめない永関の情熱。その姿が多くの人を惹きつけ、応援となって彼をまた前へと進ませる。しかし、準備期間も含めこの挑戦には膨大な時間がかかる。何を思い、その情熱の炎を灯し続けるのだろう。
「いつも、ゴールシーンを想像しているんです。挑戦中も『感動的なゴールが待っているに違いない』って思いながら自転車を漕いでいます。帯同するスタッフみんなで抱き合って喜びを分かち合う場面を想像して、ひとりで涙目になったりしながら」
世の中には、挑戦することで生き続けられるような人がいる。挑戦とは往往にして利己的なものだ。しかし、永関博紀にあってはたくさんの人の想いと約束を果たすためにある。きっとこの先に待っているものは、彼が想像する以上のゴールシーンに、違いない。