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Vol.37
氷上で結ばれた赤い糸
ケガも大病も国籍さえも乗り越え、理想のパートナーと巡り合ったスケーターの愛の物語。

小松原美里・小松原尊(ティム・コレト) 組
フィギュアスケート アイスダンス

氷上で結ばれた赤い糸 後編
2022/02/23

アイスダンスの日本代表として北京への出場をめざす小松原美里選手とティム・コレト(小松原尊)選手。運命的でドラマティックな出会いから始まったふたりのパートナー関係はやがて結婚へと発展する。公私ともにパートナーとなると、2020年にはティムが日本に帰化。正式に小松原尊として美里とともに北京をめざすこととなった。後編ではティムの日本国籍取得によって変化したことや、美里を見舞った大ケガとリハビリからの復活、さらには今後の展望や北京への思いなどについて語ってもらった。
前編はこちら

24時間365日、全局面でパートナーであるために。

お互いにこれがラストチャンスとの決意で臨んだトライアウトは、ティムのシューズが空港でロストバゲージに遭い、会場に届かないというハプニングから幕を開けた。しかし、ティムも美里もなぜか冷静に状況を受け入れていた。

ティム「むしろこんなことは滅多にない事態だから、3日間ふたりで徹底的にいろんな話をしました。好きな選手は誰か?どんな将来を描いているのか?アイスダンスとの向き合いかたは?様々な話をして、あらゆるビジョンが一致したんです。オーケー、彼女なら大丈夫だ。もう滑るまでもないよ。そう思えました」

美里「ようやく彼のシューズが戻ってきて、初めてベーシックな練習をしたその瞬間から、彼とならやれるとすぐに感じました。まわりで私たちの滑りを見ていた先生たちもわかったみたいで『それで、ふたりはいつ拠点をここに移すの?』ってその場で言われました(笑)」

アイスダンスの場合、たとえば手を繋ぐことひとつとっても互いにどのくらいの力で握り合うのか、また背の高さが違う男女ペアで膝の曲げ伸ばしの角度や深さはどうかなど、繊細な感覚ひとつひとつに違いがあり、その感覚が共通していればいるほど演技はシンクロし、美しく豊かなものとなる。その点、ふたりの相性はまさに完璧だった。これほどまでに相性のいいパートナーがいたのか。お互いにそう感じ合えることができた。もはや国籍の違いも問題にならなかった。言葉さえ必要なかった。ふたりとも繊細にして優美、柔らかくしなやかな演技を持ち味にしていたことも幸いした。

2016年5月、ふたりは正式にペアを組む。ようやく待ち望んだ瞬間が訪れた。そう思えるほど、互いにとって運命的な出会いだったのだ。そしてその運命は、彼らの人生をさらに新しいステージへと導くこととなる。翌年1月にふたりは結婚。プライベートでもパートナーとなり、公私ともに深い絆で結ばれることとなったのだ。

ティム「キッチンでいきなりアイデアを試してみたり、練習場の行き帰りの30分のあいだにも『ここはこうだった、あそこはああすべきだ』という話をします。人によっては練習は練習、プライベートはプライベートというふうに分けておきたいと考える人もいますが、私たちにとっては24時間スケートについて考えたり話したりできる環境というのは、とても良いことだと思います」

美里「よく『私生活で夫婦ゲンカしたら練習や試合に影響しない?』なんて聞かれるんですけど、私たちがケンカするのはたいていアイスダンスのこと。ふたりともプライベートでは穏やかで氷に上がると熱くなるタイプだから(笑)」

その後のふたりは、水を得た魚のように快進撃を始める。国際大会でふたつの銅メダルを獲得し、全日本選手権では初優勝。美里がキャプテンを務めた世界国別対抗戦では見事に銀メダルを獲得している。試合結果だけではなく、演技としての完成度やそこへ至るプロセスにもようやく手応えを感じられるようになったふたり。このまま目標であった北京への道をまっすぐ進んでいくだけ。そう思っていた矢先の2019年、美里にみたび引退の危機が訪れる。度重なる転倒からくる脳震盪だった。一時的に身体の一部に麻痺があった。練習はもちろん中断。美里はリハビリテーションに励むこととなった。

誰かのためにと思うことは、むしろ強さだと学んだ。

一部あった麻痺はすぐに回復したものの、痛みはすぐには消えなかった。これはさすがにもう無理かもしれない。リハビリの今後や復帰についてはもちろん、北京までの3年をイメージする余裕などなかった。明日の自分はどうなっているのか?当時の美里にとっては、そこまで考えるのが精一杯だった。
それでも彼女が諦めずにリハビリに取り組めたのには理由があった。それは同じ岡山出身のパラリンピック選手からの一言だった。「ぼくはある朝、目覚めたら下半身麻痺になっていたんだ。だから美里の気持ちはよくわかるよ」。そう言われて我に返った。自分よりずっと大きなハンディキャップを抱えた人たちが、こんなにも懸命に努力している。その事実に突き動かされた。彼女は気持ちを入れ替えてリハビリに取り組み、驚異的な回復力を見せると、わずか3ヶ月というスピードでリンクに復帰した。

美里「大ケガをしてリハビリをするなかで、もうひとつ私を変えた出来事がありました。それは、いままでは自分のためだけにスケートをやっていたようなところがあったけど、今回のリハビリを通じて周囲の人たちのために頑張ることの尊さを学んだんです」

リハビリに取り組むあいだ、たくさんのスケートファンから励ましの手紙や色紙が届けられた。リハビリをサポートしてくれた先生やメンタルのドクター。アドバイスをくれたパラリンピックの選手。そして、ティム。彼も彼なりの孤独を抱えながら、寡黙にずっと待ってくれている。そのことがうれしかった。自分と戦うには仲間がいてくれたほうがいい。それに戦うための大義名分が増えたともいえるだろう。一日もはやくみんなの前で、ティムと滑りたい。そうした思いが彼女を支え続けた。

ティムからタケルへ、日本人としてめざす夢の舞台。

美里が東京のリハビリセンターで懸命にリハビリに取り組むあいだ、ティムは自分も前を向かなければいけないと考えていた。そして自分にいまできることは自分の練習をすること、岡山の学校に通って日本語の勉強を続けることだ。彼は自身にそう言い聞かせ、自らを鼓舞した。彼らしい真摯な努力が実を結び、2020年11月、ティムは日本国籍を取得し、晴れて小松原尊となったのだ。

ティム「日本国籍を取得して日本人になれたことは、とても光栄で嬉しかったです。世界選手権をはじめ、いままで美里といろんな国際大会に出て一緒に滑ってきましたけど、どうしても超えられない壁がありました。IOCの主催する大会にはペアの国籍が同じでないと出られないからです。でもこれでようやく北京に向けて、ふたりでスタートを切ることができます」

美里「日本人になってからの彼はどこかコミュニケーションも日本的になった気がします。たとえ英語で話していても自分の意見を主張するだけではなく、ちゃんと空気を読んで、バランスしながら会話してくれている。言い過ぎても間違うことがあり、言わなくてもわかることもある。逆に私もヨーロッパに住んでいたことがあり、日本人にしては主張するタイプだから、お互いに欧米と日本のコミュニケーションをミックスしたカップルだということが、ダンスだけでなく私生活においてもすごくポジティブな影響を与えていると感じています」

美里とティム。お互い度重なるケガとパートナーの解消に悩まされてきた。美里はイタリアでの手術や脳震盪とリハビリを経験し、ティムは国籍とコミュニケーションの課題を抱えていた。そうしたさまざまな困難を乗り越え、美里とティムはついに、子どものころからの夢に手が届くところまでたどり着いた。ここまで、もうじゅうぶんに“リハーサル”をこなしてきた。準備は万端だ。なにより北京への日本の出場枠は、美里とティムのペアが今年3月の世界選手権で19位に入ったことで勝ち取ったものだ。もちろん他のペアにその座を譲るつもりなど毛頭ない。

ふたりの物語の結末を、みんなに見届けてほしいから。

氷上の社交ダンスとも称されるアイスダンス。スポーツとしての競技性と演技としての芸術性のどちらもがハイレベルなところでバランスしているところが最大の特徴であり魅力だといえるだろう。フィギュアスケートと比べてもペアで滑ることで手足の数も倍になり、そのぶん表現も複雑で多彩なものになる。パートナーが支えることでフィギュアだったらできない角度まで身体を倒した表現や、ふたりならではの高さやダイナミックな動きが可能になる。リフトなどはその代表例だろう。美里とティムのペアはふたりの特徴である優美でしなやかな表現力に加え、体格差を活かした大きなリフトが見所のひとつにもなっている。

ティム「あと、フィギュアは若い選手が中心だけれどアイスダンスはそれなりに年齢を重ねた選手も多くいます。技術的にも表現的にもより深みのある大人の演技が見られるのもアイスダンスのいいところだと思います」

そう語るふたりはいま、北京に向けて新しいプログラムにチャレンジしている。今年に入ってからはフリーダンスの曲として「SAYURI」という日本をテーマにした映画音楽を採用。歌舞伎役者の片岡孝太郎氏に演技指導を依頼し、日本伝統の歌舞伎の所作を取り入れた演技に挑戦しているのだ。

ティム「美里は病気やケガを克服してここまでたどり着いた。ぼくは日本国籍を取得し、日本人として北京の舞台に立つことができるようになった。そのふたりが結婚をして夫婦として一緒に世界の舞台で演技をする。そういうロマンティックなストーリーとして感じてもらえるとうれしいなと思います」

これまで会場に足を運んでくれたファンの人たちや、テレビの前やSNSなどで応援してくれた人たち、そばで支え、助けてくれた家族や友人や先生やドクターたち。そうしたすべての人たちが「応援してきてよかった」と心から思える演技をしたい。そう思われる選手でいたい。ふたりは少し瞳を潤ませながら、笑顔でそう語ってくれた。
さあ、北京までのこりわずか。もちろんいまからでも遅くないので、この記事を読んだ人にも、ぜひふたりの物語の続きに参加し、声援を送ってもらいたい。きっと最後には、「応援してよかった」と思える結末が、彼らにもみんなにも待っているはずだから。