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Vol.44
風になった男が感じた 「俺の国」アメリカ

鈴木みのる
プロレスラー

風になった男が感じた 「俺の国」アメリカ 前編
2022/02/08

昨年9月から10月にかけ、鈴木みのるは初めてのアメリカ・ロングツアーを敢行した。

約2カ月で全21試合。広大な北米大陸を縦断横断してのツアーだっただけに想像するだけでハード。しかしながら、鈴木は「普通ですよ」とぶっきらぼうに言い放った。

「日本だったら、月10試合。国内でもバスに1日何時間も揺られているので、一緒じゃないですかね。もっというと、日本との違いを意識せずに生活していました」

50歳を過ぎてもできる奴はできる

アメリカで鈴木は何かを細かく予想することもなければ、大変だと悩むこともなかった。いずれも「悪い先読みにしかならない」と感じたからだ。

シンプル・イズ・ベスト。現地では「今日は○△をする」「明日は□×をする」ということだけを決めて生活していた。

「そのやり方はアメリカに行ってから身につけました。だから日本の方が便利とか、そういうことも一切考えなかった」

向こうでの生活では自炊もいとわなかった。「何も試合がない中でロスに1週間滞在したときには長期滞在用のホテルだったので、キッチンがついていましたね。自炊ができなければ、サンドイッチを買って食べていました。野菜が足りないと思ったら、サン・クロレラAを摂っていましたよ」

サンドウィッチを購入するときもそうだが、現地での会話は英語になる。以前海外に滞在したときには、相手が喋ったことを一生懸命理解するように努め、少ないボキャブラリーをつなぎ合わせることでコミュニケーションをとっていた。今回はフレンドリーに振る舞うことは一切辞めたという。

「だって無理があるもの。俺は俺。いらないものはいらない。今回だってアメリカに友達を作りに行ったわけじゃない。だからといって、ケンカを売っていたわけでもないけど。普通でいいやと思いました」

鈴木が定義する普通は、世間一般でいうそれとは大きな隔たりがある。

「自分が普通でないことは確か。でもそれは俺が普通ではないと思っているのではなく、普通という括りを作っている人からしたら違うというだけの話ですよ」

日本で周囲と会話していると、必ず耳にするフレーズがある。

「普通、そういうことはしないよ」

アメリカ滞在中、鈴木が似たようなフレーズをかけられることは一度もなかった。

ホッとした気分になった。

「だからすごく楽だった」

君は君。僕は僕。鈴木はアメリカが多様性の国であることを実感した。日本ではよくかけられる「50歳を超えているのに、すごいね」という言葉をかけられることもなかった。「向こうでは人を年齢で見ない」

鈴木は1988年にプロデビューした53歳。

日本では勝手にベテラン扱いされる傾向が高い。筆者が「五十路に突入しても、海外からニーズがあるのはすごいこと」と持ち上げると、鈴木は「そういう見方をするのは日本人だけですよ」と呟いた。

「先程出演したトークショーでも『俺は53歳になったんですけど』と説明したけど、日本人にわかりやすいからそう言っている。日本人しか年齢のことは気にしない」

「鈴木は現地で年齢に対するアメリカ人の基本的な考えを肌で感じた。

「50歳になってもできる奴はできる。できない奴はできない」

海外だからといって特別なことはしない

アメリカはまさに自由と平等の国だった。「いろいろな人種がいて、肌の色も違う。身長2mの人がいれば、ものすごく小さい人もいる。そういう中でみんな普通に暮らしている。日本人は割と平均が正しいと思うじゃないですか。優れている奴がいると、『なんだ、アイツ』とやっかむ。逆に劣っている奴がいたら、『俺の方が上』と見下す。そういうのをアメリカでは全く感じなかった。みんなバラバラ。ここは“俺の国”と感じました

6年前、鈴木はイギリスの団体に頻繁に招かれ、ファイトした経験がある。そのとき現地のプロモーターからは事前にハッキリとリクエストされた。

「イギリスだからといって、日本と違うことはしないでくれ」

「我々がテレビで観た鈴木みのるを全てやってくれ」

そのプロモーターは「気に入らない若手がいたら、椅子で殴ってもいい」とまで言ってくれた。鈴木は「ホントにいいのかな?」と一瞬戸惑いながら、いつもの鈴木みのるで大暴れしたら現地でも大受けした。

そのとき、改めて思った。

「海外だからといって特別なことはしない」

今回のアメリカ遠征でも、いつもの鈴木みのるで暴れることに徹した。プロレスに言葉はいらない。興奮する試合はどこでも興奮するし、つまらない試合はどこでもつまらない。鈴木は「イヤなら、俺を呼ばなければいい」と開き直る。

「俺の何が観たいのかといえば、俺がやりたいことを観たいんだ思う。だったら俺がやりたいことをやろうと」

興行の規模はピンキリで2万5千人ほどの大観衆で埋めつくされたビッグマッチもあれば、150名程度の観客しかいないハウスショーもあった。

「小さい興行はノースダゴダ州。アメリカのどのレスラーに聞いても、『エッ!?  あんなところにプロレス団体があるの?』という答えしか返ってこないようなところでした」 主催者は今回の遠征で間に入っているエージェントが声をかけた大会プロモーターの友人で、30周年記念大会に「ぜひ鈴木みのるを呼びたい」ということで実現したという。

「面白かったですよ。対戦相手が何をしてくるかなんて一切わからない。試合開始のゴングがカーンと鳴ったら、いきなりパワーボムで投げられました(微笑)」

「予想外の展開に鈴木はニヤリとするしかなかった。

「あっ、俺は投げられたんだ」

興行だけではない。対戦相手はアメリカの知人に聞いても誰も知らないローカルなレスラーだった。

「リングの状態も試合で上がってから確かめていた。そこは、もうトランポリンのようなリングですね。ポーンと叩きつけられたら、ビヨーンと反発するような弾力性があった」 アメリカの片田舎のリングでどんなハプニングが起こっても、鈴木には楽しめる余裕があった。