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Vol.44
風になった男が感じた 「俺の国」アメリカ

鈴木みのる
プロレスラー

風になった男が感じた 「俺の国」アメリカ 後編
2022/02/15

入場曲が途中でカットされるだけで大騒ぎ。鈴木みのる人気はアメリカでもすさまじいものを感じさせた。全米ツアーの大成功で鈴木は活動の場をさらに広げた。それでも鈴木は自問自答を繰り返す。「お前はどこに行きたいんだ?」と。

全米の観客が「風になれ」を大合掌

 昨年9月から10月にかけ、鈴木みのるは全米ツアーに挑んだ。マネージャーも付き人もいない気ままなひとり旅だったが、彼の出番になるとどこの会場でも共通して起こった現象がある。中村あゆみが歌う入場テーマ曲『風になれ』がかかると、現地の観客が日本語の「風になれ」という歌詞に合わせ大合唱を始めたというのだ。

さすがの鈴木も驚くしかなかった。

「マイアミやニューヨークの2万5千人の大観衆が入る会場でも、みんな『KAZE NI NARE!」と歌っていました。その光景はアメリカ全土にPPV中継して流れている。奇跡的なことが起きていると思いました」

9月8日のAEWシンシナティ大会では、ちょっとした事件も起こった。曲が鳴り響いたまでは良かったが、大会の進行の都合で曲が途中で切られてしまったのだ。鈴木の入場とともに気持ちよく「KAZE NI NARE!」と絶叫しようと心待ちにしていた観客は激昂し、ビールが入ったコップなどを投げ始めた。

「ふざけるな、この野郎」

「なんだ、これは!?」

大会スタッフが必死になだめすかそうとするが、観客の怒りはそう簡単に収まりそうもない。騒然とする場内を見渡しながら、鈴木は「俺、何かしたっけ?」と驚くしかなかった。「まっ、いいか。(こうなったのは)俺のせいじゃないし」

このアクシデントは「ザ・鈴木インシデント」と名付けられ、その事件名は全米のツイッターでトレンド入りも果たした。さらにアメリカ、イギリス、イタリアなど8カ国のiTunesのJ-POPダウンロード部門で風になれは1位を獲得した

ただ、この現象を目の当たりにして、鈴木が有頂天になることはなかった。

「だって俺はトレンド入りするために生きているわけじゃないもの。俺が毎日ツイッターで何を見ているか、知っています? 釣りの情報ですよ。『なんだ、あそこで釣れたのか』という感じでね。プロレスも見るけど、情報として入れるだけ。俺はスターになりたいわけじゃない。お金を稼ぎたいんです」

最後の一言に鈴木の生き方が集約されている。だからこそ「もっと有名になりたい」という欲はある。「その方がお金が儲かりますからね」

プロレスラーにとって一番大事なことは何か。フリーランスのプロレスラーになって鈴木は初めて「それは金を持って帰ること」と声を大にして言えるようになった。

「それは間違いない。そのためには、いい試合をしないといけない」

いい試合の基準。それは80点や90点という及第点ではない。「最低ラインが100点でないとダメ」と強調した。「100点満点で初めてお金がもらえる。さらにプラスアルファを見せると、次がある。それを繰り返す」 そういう価値観を胸に鈴木はもう30年もマットに上がり続け、不動の地位を確立した。十八番のゴッチ式パイルドライバーはクラシカルな必殺技ながら、令和のプロレスファンにも深く浸透している。

俺はレジェンドではなく、アライブ

キャリアを重ねていくうちに、他の選手と比較することもやめた。

「昔はあの人はここまでやったけど、俺はそれ以上できるという気持ちを持っていた。でもいまは自分がいくら持って帰れるかが全て。それが自分の価値だと思っている。そこだけですよ。『金はいらないから、どこどこのリングに上がりたい』なんて気持ちはサラサラない。金をくれないなら絶対にいかない。くれるなら、たとえ観客が10人であっても俺はやる。テレビのタイトルマッチと同じ試合をそこでやる。全力で、そこにいるお客さんを満足させることだけです」
 いったい、いつからそういう信念を持つようになったのか。鈴木は「カッコつけなくなってからじゃないですか」と分析する。

「昔は『お金なんかどうでもいい。ただ、俺のプライドが許さないだけ』とか平気で口にするタイプでしたよ。でもね、あとから金で苦労しているので。自分で作った団体(パンクラス)で新しく入ってきた勢力に追い出されそうになったり、お金の問題で追い出されたり。そのとき思いました。自分は団体経営には向いていない、と。ここで宣言します。二度と団体はやりません。道場(の運営)にも一切タッチしない」

そう語る鈴木にとって今回のアメリカツアーは大きな収穫があるものだった。「2カ月で2019年の1年分くらいは稼げた。儲かりました。でも、いまは日本で生活しているので、日本で試合がなければ面白くない。『それだけやったら、もう満足でしょ?』という人もいっぱいいるけど、俺にとってそういう声は『海外に行かないで』と言われているとしか受けとれない。うるせえなって。俺はどこまでも行きますよ。限界はなし!」

今回のアメリカ滞在中に「イギリスにまた来ないか?」というオファーが舞い込んだ。「話を聞いたら、フランスの大会でも使いたいみたい。そうしたら、違う人から『イタリアでどうだ?』という話もきた。あれ? ヨーロッパをグルッと回ったら面白いな、と。なんならそのままアメリカまで足を伸ばして、世界一周ツアーを目指そうかな(微笑)。プロレスさえあれば、どこにでも行ける」

今回のアメリカ遠征で、たったひとつだけ閉口したことがある。行く先々でレジェンド扱いされてしまったことだ。鈴木は「30代まではレジェンドに憧れたのに」と反省を口にしてから話し始めた。「ということは俺はシルバーシートですよ。『席を譲りましょうか、おじいちゃん』と言われているのと一緒。まだひとりでまっすぐ歩けるし、行きたいところに行ける。俺はレジェンドではなく、アライブです」

ときどき鈴木は自問自答を繰り返す。

「お前はどこに行きたいんだ?」

「ここで終わっていいのか?」

鈴木はわかっている。「ここから先はひとり」ということを。

「いま俺がレスラーとして歩いている道はいまだ誰も歩いていない。過去のレスラーたちは誰もここまでこれなかった。でも、行きたくなってしまったんだから仕方ない」

風になれ。