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Vol.48
人生のセンターコートへ。
弱さを優しさに、優しさを強さに変えてきた、18年の「日比野の日々」。

日比野菜緒
プロテニスプレーヤー

人生のセンターコートへ 後編
2022/05/17

テニスを始めて18年、プロに転向して来年には10年を迎えようとしている日比野菜緒選手。ベテランと呼ばれる年代にも差し掛かり、最大の目標だった東京2020大会への出場を経たいま、彼女は新たなステージへと歩み出そうとしている。

なんどもテニスをやめようと考え、思い悩むことが多かった彼女のテニス人生。しかしそうした自分の弱さがあったからこそ、苦難を乗り越えようと努力する真の強さが備わったのだと振り返る。後編では、日本代表として戦うことへの誇りから、転戦続きのツアーのなかで好調を維持するためのメンタルケアや食事・栄養管理、そして新たな取り組みや今後の目標、これからのテニス人生に賭ける思いまで、現在進行形で進化を続けている日比野選手のいまを語ってもらった。

転戦続きの生活で発見した、食事とメンタルの関係性。

016年の全豪オープンデビュー戦で憧れのシャラポワと戦った日比野菜緒選手。それ以降もITFやWTAの大会で世界中を飛び回り、過密なスケジュールをこなしてきた。それに加え、日本代表としてリオデジャネイロ2016大会、2021年に東京2020大会と2大会連続で出場。女子ツアーに参戦しながらナショナルチームの一員として大会に出場するのはかなりハードだったはずだ。それでも彼女にはどうしても参加したい理由があった。15歳でオーストラリアに留学した際、ホストファミリーがスポーツを問わずナショナルチームを応援する姿を見て「自分もいつか国を代表する選手になって、こんなふうに応援してもらえたら」と思うようになっていった。つまり、彼女はまたひとつ夢を叶えたのだった。

リオ2016大会では先に試合をした他の日本人選手が全員一回戦を突破したこともあり、絶対に負けられないプレッシャーのなか、見事に勝利をおさめた。

続いて母国開催となった東京2020大会にも出場するも、シングルス1回戦ではセルビアのストヤノビッチ選手にストレート負けを喫し、二宮真琴選手と組んだダブルでも初戦敗退。ウィンブルドン後のケガが影響したこと、さらには厳しい基準の隔離生活と無観客試合だったこと、そもそも大会自体に国内で賛否が分かれていたことなども重なり、モチベーションを維持するのが難しかった面は否めなかったという。しかし母国で迎えた大会で不甲斐ない結果に終わったことで「このままでは終われない」という思いが芽生え、次のパリ2024大会をめざすという新たな道標ができた。

大会から大会へ、世界各国を飛び回るテニスツアーを何年も続けている日比野菜緒選手。体調管理やメンタルケアについても試行錯誤を繰り返しながら、自分に合ったスタイルで取り組んできた。たとえば10代のころはテニスのことしか考えられなかったという彼女も、歳を重ねたことで少しずつテニスコートの外へも目を向けられるようになった。ツアーで訪れた各国の美術館に母ゆかりさんと一緒に出掛けたり、観光地を散歩したり、現地のレストランで食事をするなど、その土地でしかできない体験をすることにしている。過密日程でツアーを続けるのは肉体的にも精神的にもかなりハードなことではあるが、逆にいえば世界中を旅することができるのもテニス選手の特権であるとポジティブに考え、過酷なツアーの合間をぬってリラックスする時間を持てるようになったのだそうだ。

また身体作りや栄養管理にも関心を持ち、とくに食事メニューや栄養バランスに関して自分なりに学習し実践しているという。そのひとつがヴィーガン食。日比野選手は自身のことを「もともと健康オタクっぽいところがある」と評するほど、本やネットの記事などを読み漁っては積極的に学んでいる。たとえばパンであれば全粒粉のもの、お米であれば雑穀米や玄米などを選んで摂るようにしてきた。また本ジャーナルVol.43「互いの伴奏者として。」でも登場している池田祐樹さん・池田清子さん夫妻に「水分を取るのが苦手だ」と相談したところ野菜やフルーツの水分から水分補給するといい」と教わり、実践している。

日比野「テニスはとにかくメンタルスポーツなのですが、食事がメンタルに直結しているなと感じていました。たとえば練習の合間に重い食事を摂ると、身体が重く感じたり、気分が悪くなったりするんです。そうして心身に起きた不快感やネガティブな気持ちは、やっぱりプレーに出てしまう。そこは大きいですね。だから肉を食べない!油を摂らない!という決意が先にあったのではなく、結果的に肉や油を摂らない食事のほうが調子がいいことに気づいた、という感じです。だからいまもまったく食べないわけではなく、会食やパーティーなどみんなで楽しくご飯を食べる時に出てきたら少しはいただくこともあります。でも試合や練習などがないときに、ちょっとだけですね。あと消化にエネルギーを使わないので疲労回復が早くなったという実感はあります」

身体の声を聞くこと。身体の声を伝えること。

日比野選手がサン・クロレラAを飲み始めたのは2021年の年末ごろのこと。ビーチバレーの浦田景子選手に勧められて試しに飲んでみたのがきっかけだった。それまで、日比野選手はもともとサプリメントやプロテインといったものは使用してこなかった。栄養はできるだけナチュラルな食事から摂りたいという彼女のスタンスからだった。しかし浦田選手が勧めるのであれば、きっと良いものに違いないと考え、試してみることにしたのだった。いまでは一日1袋、トレーニングが終わったあとにパウダーを水に混ぜて、シェイクしてぐいっと一気に飲むのだそうだ。

日比野「ひとことで言うと『体が循環している感じ』です!これ伝わりますかね(笑)。むずかしい栄養素の話は私自身にもよくわからないし、これを読んでいる一般の方もたぶんわからないと思うんですよね。でもとにかく飲んでいるときと飲んでないときとの違いがはっきりとわかります。身体がわかってる感覚というのかな。うまく言葉にできないんですけど、飲んでいないときは『ああ今日は疲れてるな』とか『体が循環してないなあ』という感じ。だからサプリメント嫌いな私が、唯一飲み続けているのがこのサン・クロレラAなんです。身体が毎日イキイキして軽い感じですね」

そんな彼女には、いま気がかりなことがある。それは若いアスリートのなかには、身体づくりや栄養についての意識が低い選手がまだまだ多いことだ。自分の身体は自分が食べたものでできている。そのあたりまえのことに気づけていない。たとえ充実したトレーニングや練習ができていても、そのあとでお昼ごはんにベンチでコンビニのパンを食べている選手を見るとガックリしてしまうのだという。

日比野「いままではそういうのを目にしても、あえて注意したりすることはなかったんです。自分の競技だけに集中したいという気持ちもありましたから。でもそろそろキャリア的にも年齢的にもベテランの域に達してきたこともあり、SNSやメディアを通じて発信していかないといけないなと考えるようになりました」

そうした心境の変化が起きた理由として、かつて伊達公子さんが若手を厳しく叱咤する言葉を聞いて、それまでのテニスに対する姿勢を反省し、強くなるためにすべきことをやると決意を新たにした若き日の自分の姿を重ねているのかもしれない。いまや彼女は若い選手に手本を示す立場にあり、その責任を自身も感じている。だからこそ、それにふさわしい選手にならねばならないとさらに自らを鼓舞する。若いころには持ちえなかった新しいモチベーションが、自分のなかに生まれていることを彼女は感じていた。

27歳から始まる、テニス人生の第二章。

2022年2月、彼女は自身のブログで「テニスから離れることを考えていた」と心境を吐露していた。新型コロナウイルスのパンデミックが起きて以降、2年にもわたってこれまでとはまるで異なる生活を強いられてきたこと、そして最大のモチベーションだった東京2020大会が終わったこと。これらが重なったことで自分のプロとしてのありかたに疑問が生じたのだ。たとえば、アスリートとして自身の勝利を追求することはすなわち他人を蹴落とすことでもある。であれば、他人に優しくありたいという自分の哲学とプロテニスプレーヤーとして成功することに矛盾がるのではないだろうか?強くあることと、優しくあることは両立するのだろうか?そんな疑念が頭をもたげ、彼女は思い悩んでいた。

再浮上のきっかけはコロナ禍をきっかけに食生活を変え、そこで出会ったべジンジャーズのメンバーらと親交を深めていくなかで、地球環境や動物や自分の身体に優しく、なおかつアスリートとして強い身体を維持している人々の存在を知ったことだった。優しくて強い人でありたい。彼女のなかで、テニスを続けるもうひとつのモチベーションに出会えたと思えた。

日比野「優しさが強さを兼ねる生きかたが、きっと自分にもできる。まだその答えが現時点で明確に見つかったわけではないし、見つかったからいまコートに立っているわけでもありません。ただ、ここでテニスをやめたら、いずれ必ず後悔すると思いました。だから勝負の世界に身を置きながら、その答えを探そうと思っています。未来の自分に胸を張って生きていけるよう、もういちどがんばろうと決めました」

彼女はブログのなかで「苦しみを乗り越えた話は、なにも、結果を残した人しか語ってはいけないものではない」という印象的な言葉を残していた。北京で開かれていた冬季大会をテレビで見ていた彼女は、メダルを獲得した選手ばかりがフィーチャーされていることにいささか憤りを感じていたのだった。この舞台にたどり着いた選手はみな、常人には想像もつかないような苦しい練習を乗り越えてきた勇敢な人しかいない。結果として勝利を掴んだ者もいれば苦杯を舐めた者もいるというだけで、身も心も削るような厳しい戦いの日々の連続のなかで、すでに彼ら彼女らは偉大なことを成し遂げていると胸を張っていいはずだ。結果を出せなかった人は言葉を発してはいけないのだろうか?いやむしろ自分だったら、そうした勇敢な敗者たちの声こそを聞いてみたいと思うのではないか?ならばきっと、個人的な悩みや迷い、苦境にある自分の姿を発信することにもきっと意義があるはずだ。そう考えてのブログの公開だった。そしてその声は必ず読者にまっすぐ届いたと、彼女は信じている。

日比野「いま、まさにこれから私のテニス人生の第二章が始まる。そんな期待が自分の心のなかを満たしてくれています。こうやって自分の反省点をお話ししながら思い返してみると、これまでなんども思い悩んでは『やめたい』と言ってきたんですね。弱虫だなあって思います。でも私はいつだってそのたびに、少しずつ強くなってきたんだと思っています。弱いから、強くなれた。そこにいまの私自身のテーマである「優しい強さ」のヒントがあるような気がしています。だからこれからも希望を持ってポジティブに次への目標に向かって取り組んでいこうとワクワクしています。もうこれ以上はできない、完全に出し切ったといえるような最高の試合をして現役を終わる。その光景をイメージして、いまはその瞬間が訪れるまでのプロセスを精いっぱい楽しみたいと思っています」

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座右の銘は?との問いに「ふたつある」と笑って教えてくれた日比野菜緒選手。ひとつは小学生のころに母のゆかりさんから言われて大切にしてきた言葉である「謙虚・謙遜・感謝の気持ち」、そしてもうひとつが「日進月歩」なのだそうだ。じつはこのふたつの言葉の組み合わせにも「優しさと強さの共存」という彼女のテーマがしっかり息づいている。悩み、迷い、弱音を吐く姿をもさらけ出しながら進んできた彼女は、ランキング上位になっても、日本代表に選出されても、驕らず謙虚に目の前の課題に取り組んできた。そうして一歩一歩成長を続け、着実に人間として強くなってきたのだった。来年にはプロ10周年を迎える彼女。テニス人生の第二章は、いまようやく幕を開けたばかりなのだ。