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Vol.55
54歳の鈴木みのる、20歳の自分と向かい合う
「大した努力もしていないのに、上に行きたい。それが20歳の頃の自分だった」

鈴木みのる/プロレスラー

54歳の鈴木みのる、20歳の自分と向かい合う 後編
2022/09/09

昔の自分の姿を思い出すと、鈴木みのるは「ダサイ格好をしている」と笑う。20歳の頃には、蛍光ピンクのタンクトップとサングラスというド派手な出で立ちだったこともあるというから驚きだ。鈴木は「当時の写真が残っていた」と話し始めた。「一応バブルの時代を謳歌していたのかもしれないけど、『何これ?』の世界ですよ(微笑)」

現在もお金がほしいし、有名になりたい

外見に限った話ではない。例えば10数年前だと、ちょうど全日本プロレスを主戦場に暴れていた時期ながら、鈴木はその頃の自分の内面について言及した。

「屁理屈ばかり口にしていたね。屁理屈大王。ということは、たぶん自分を守ることが好きだったんでしょうね」

何か守るべきものがあったから?

「傷つきたくなかったのでしょう。当時は仕方ないと思っていたけど、そういう人間が一番ダサいじゃないですか。自分で『コイツ、ダッさいなぁ』と思っていましたからね」

傍らから見ると、若かりし頃からそれなりの車に乗ることもできたし、プロレスの世界でもある程度のステータスも勝ち得ていたように見受けられる。とはいえ、いまになってみれば「いらないものの方が多かった」と思い返す。

「別にシンプルになっているわけではないけど、ピンクのサングラスをつけたりするような無茶はしなくなった(苦笑)」

とはいえ、50歳を過ぎた現在も、「有名になりたい」「お金持ちになりたい」という欲を胸に抱く。「周囲からは『もう十分』とよく言われるけど、まだまだ。『なぜ俺は税金を払うためにこんな苦労をしているんだ?』と思いながら経理をやったりしている。それにプロレスをやっていない日はまだある。俺がもっとできる人間だったら、仕事がない日があったらいけない。まだ全然十分ではないですよ」

だからこそ声がかかければ、たとえ地球の反対側であっても足を運ぶ。それがアメリカやヨーロッパを中心にワールドツアーを続ける要因にもなっている。

昨日と今日だけを考え生きてきた

20歳の頃は将来の自分を想像することなど一切なかった。

「大した努力もしていないのに、上に行きたい。それが20歳の頃の自分だった」

「20歳の頃なんて、30歳の前田日明を見ているわけですよ。何も思っていなかった」

鈴木は昨日と今日だけを考え生きてきた。「昨日より今日の方が少しでも強くなれたらいいという言葉は嘘です。ああいう言葉は自分を正当化するためにある嘘なんですよ。いまは『ガタガタいうな。とにかくやれよ』としか思わない。20歳の自分にもそう言いたいですね」

自分が通ってきた道だからこそわかっている。みんな自分が努力したことを認めてほしいということを。「これだけ頑張ったんだから(それでも負けたら)仕方ない。そういうのが心の声としてある。だからみんなツイッターというツールを手にして当たり前のようにアピールするようになった」

鈴木は現在のツイッターを媒体としたレスラーとファンとの関係に疑問を投げかける。「同じような思いをしているファンがいれば、そういうレスラーに同情票が集まり、それが人気につながっている。つくづくイヤな世界だと思いますよ。だから俺は全く触れなくなってしまった。すごく気持ちが悪い。いまの俺にツイッターの世界などいらない。心の声もわからなければわからないでいい。基本伝わらないから心の声なわけで、声を大にして言いたいことだけが自分の言葉でいいじゃないですか」

重箱の隅を突つくように自分の過去の発言についてあれこれ言ってくる輩もいるが、鈴木は「うるせえよ」と一喝する。

「世の中、うるさい奴ばっかりでろくなもんじゃない。自分さえあればいい。突っ込まれたら、『昔の俺はそうだったね』と開き直るしかない。本当に面倒臭い。過去の俺は(いまの俺と)関係ないんだよ。自分が楽しくない生き方なんてしたくない」

他の選手の試合も自分の試合も見返さない。

いまはプロレスをやっているときが一番楽しい。「対戦相手が誰であっても、その時間が一番充実している。その中でいい悪いはもちろんあるけど」

プロレスとは対戦相手との対戦である一方で、観客との対話でもある。会場が盛り上がっても、あるいはそうでなくても鈴木は「全部俺のせい」と受け止める覚悟を持つ。

「面白くするために必要なものを用意して、ワ~ッとなるのは当然なんですよ。反対にダメだったときは用意したものがダメだったということです。お客さんのせいでも対戦相手のせいでもない。俺に対戦相手は関係ない。プロレスは100%客を楽しませ会場を盛り上げたうえで相手にも勝つことが求められる。だからこそお金(ファイトマネー)をもらっているわけで。努力がひとつでも欠けたら、自分の価値はどんどん下がっていく」

ゆえに観客から「いい試合だった」と思われるのは当然である一方で、自ら「いい試合ができた」と余韻に浸ることはない。

「もちろん全試合で『あのときの一瞬のチョイスは』という失敗はある。でも、そのときにそう思わないことは、あとからそんなに重要ではないので、俺は自分の試合映像を見ない」

そこには自分はリング上での表現者であるという確固たる自意識が働く。何を言いたいのかといえば、と鈴木は言葉を続けた。

「プロレスラーであっても気持ち的には生涯プロレスファンのまま引退する人はたくさんいる。たぶんそういう人が9割なので、発する言葉も昔のプロレス週刊誌から得たものを使い回しているだけ。そうなるとファンが作るファンの世界なので、言葉すら面白くない。だから俺は他の選手の試合映像も見ない。必要ない。俺はやる側の人間なので、独自の感性で作り上げるもの以外はいらない」

鈴木みのるの辞書に「普通」という言葉は載っていないので、昨今の日本の風潮に大きな違和感を抱く。「よく『普通はさ、そっちを選ばないよね』という会話があるじゃないですか。日本は普通が正しい社会なんですよ。とにかくアベレージ感が強い」

普通ではなく、自由に生きたい。鈴木はそう願う。昔、新日本から新生UWFに移籍したとき、座右の銘を書く機会があり、「人生、自分勝手」と記した。「そう書いて、船木と一緒にゲラゲラ笑っていました。それから30数年経ったけど、俺にとってはこの言葉が一番なのかと思いますね」

いま気をつけている点は「普通に巻き込まれない」ということだ。

「『普通の50歳だったら、こうだろうという』のが日本にはあるじゃないですか。ただ、街で歩くときにはタンクトップを着ないとか普通を装っています。はみ出すと、面倒くさいので。その使い分けはできます」

同調圧力には屈しないが、無益な衝突は避ける。54歳になった鈴木はそういう生き方ができるようになった。

最後にもう一度聞く。20歳の自分からこれからの進路についての相談を受けたら?

鈴木の答えは明解だった。

「知らねぇよ。勝手にやれよ」

54歳になっても、鈴木みのるは鈴木みのるだった。