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Vol.59
開拓者の挑戦と、つながれるバトン
「指導者が楽しまないと、子供たちも楽しめない」。刺激を求め吸収し続ける指導者たち

岡田卓也(Gymrats)/丸田健司(KAGO)

開拓者の挑戦と、つながれるバトン 前編
2022/12/22

今バスケットボール界では、中学生年代などの子供たちに本場・アメリカの指導や大会を経験させる取り組みが行われている。早い段階でアメリカのリアルに触れ、将来の選択肢を広げるきっかけになれば——。そんな熱い思いを胸に活動し続けるのは、かつて自力でアメリカに挑み、今その経験を指導に注ぐ2人だ。前編では、『静岡ジムラッツ』のGMを務める岡田卓也の開拓者人生と、次世代に託す思いに迫る。

画期的だった「チームでアメリカへ」という発想

開拓者であり、永遠の挑戦者。
バスケットボール界において、岡田卓也はそんな存在である。
教員になろうと考えていた岡田の転機は大学時代。日本体育大学のバスケットボール部に所属しながら、ストリートバスケにも親しみ、在学中にアメリカ留学を経験したことが、岡田の人生を変えた。日体大も高いレベルにあったが、アメリカ人のバスケットの自由な楽しみ方が自分に合っていると感じ、大学卒業後もプレーを続けたいと考えるようになった。
大学卒業後、岡田はアメリカに渡り、まずはカリフォルニアの日系人リーグからスタートした。その後いったん日本に戻り、日本リーグの埼玉ブロンコスでプレーしたのち、ABA(アメリカ独立リーグ)に単身参戦。5シーズンプレーした。
それだけでも画期的なことだったが、岡田は、自身が個人としてプレーするだけでなく、日本人でチームを組んでABAに参戦したいと考えるようになった。そして2010-11シーズン、故郷に立ち上げた『静岡ジムラッツ』でABAに加盟し、その野望を実現する。
「1人でやってもしょうがないなと思って。日本にもアメリカを目指している子たちがいて、でもその子たちには情報がなかったので、情報や経験を得られる環境を作るために、日本人チームを作ったほうがいいと思い、『静岡ジムラッツ』を作りました」
プレーヤーとしてアメリカで生き残りをかけて必死に戦いながら、後輩育成の場まで用意したのだ。

「世界で通用する」の前に「社会人として強くする」

『静岡ジムラッツ』としてABAに参戦して今年で13年目になる。その間、多くのプロ選手や指導者を輩出してきた。岡田はGM、監督を務めながら、45歳の今も現役プレーヤーとして戦い続けている。
また、『静岡ジムラッツ』の下部組織として、小中学生を対象としたスクールも開設。指導を行うだけでなく、子供たちがアメリカで武者修行を行う機会も作ってきた。
我が道を突き進み、自らの力で道を切り開いてきた岡田だが、決して異端児ではない。「海外に出たからこそ、逆に『日本って素晴らしい国だな』と思った」と母国をリスペクトし、非常にバランス感覚に優れている。いずれは教え子からNBA選手を、という夢はあるが、小中学生の指導において岡田がもっとも大切にしているのは“人間形成”だ。
「大事なのは私生活や人間性、人としての言動、行動ですよね。“世界で通用する”の前に、“社会人として強くする”ことを心がけています。学校でも当たり前のように言われることですが、例えば時間を守る、人の話を聞く、ルールを守る。それはスポーツも同じ。バスケットはチームスポーツなので、そうしたことやコミュニケーション能力などの要素をみんなで学ぶことができるんです。僕は子供たちによく勉強の大切さ,学ぶことの大切さを伝えますし、テストの結果、成績表のチェックをしています。子供たちが次の段階でどの高校に行きたいかは重要で、その準備をさせるためにも、文武両道で導いてあげるのが僕の役目かなと思っています。(中学で)全国大会に行けば高校で通用するのかと言えば、それは違うと思うので。
それに、小中学生の時期は、親子で向き合える時間ですよね。そういう時期に子供たちだけで海外のキャンプに出て過ごせば、親のありがたみがすごくわかるもの。そういうところからまた親子のコミュニケーションが生まれる。勝つだけじゃなく、いろいろな経験をすることで、将来的に自分がどうなりたいのか、例えばトレーナーになりたい、プロになりたい、学校の先生になりたい、そういうものを見つけるきっかけになればと思います。僕自身がやってきたように、別に実績がなくても、自分の可能性を伸ばせるかどうかは自分次第。そのためのいいきっかけを与えることが、指導者の、僕らの仕事で、若い子たちにつなぐバトンなんじゃないかなと思っています」
そのバトンを受け取り、走り始めた若者の1人が、岡田大河。岡田卓也の長男である。
大河は父に連れられアメリカやヨーロッパのキャンプを数多く経験し、中学を卒業すると15歳で単身スペインに渡った。スペインは世界ランキング2位の強豪国である。そのスペインプロリーグ3部のZentro Basket Mardrid(セントロ バスケット マドリード)の下部組織で挑戦の第一歩を踏み出した。
チームと提携する現地の公立高校で学びながら練習するというハードな生活の中、語学とバスケットのスキルを磨き、17歳だった昨年、4部リーグでプロデビューを果たした。17歳でのデビューは日本人最年少だった。

コートに立つまでは“体技心”

揃って現役のバスケットボーラーである岡田親子は、サン・クロレラAを摂取している。父の卓也はこう話す。
「僕もまだ現役で続けているので、毎日マストで飲んでいます。体がなければ練習できないわけですから。日本の武道ではよく“心技体”という言葉を使いますが、僕は、コートに立つまでは“体技心”だと思っています。体がしっかりしていないと、技術を身につけるのも無理だし、心を良い状態に保つのも難しいじゃないですか。その“体”の部分で、サン・クロレラAに助けられています。体が基本ですし、この年齢で怪我をしたら終わりだと思っているので。
今はコロナの時代ということもあって、コンディションを整えるために親子で飲むようになっています。普通の食事を摂ることはもちろんですけど、それだけでは、特にスポーツをやっていると消費量が違いますからね。彼はスペインで生活していて、日本とは食文化が違いますから、そこを補う意味でも助けられています」
選手としても指導者としても、エネルギッシュに挑戦を続ける岡田に、今後の目標を聞いた。
「やっぱり世界で通用する選手を出してみたいという思いはあります。アメリカでバスケをするって、カッコいいんですよ。うらやましいなって思う。僕らのスクールを経験して、その後アメリカの大学に進んだ子たちがいるんですが、今度は彼らがスピーカーになって、同じような子たちを増やしていってほしい。僕はこんな歳で、時間は限られていますから、バトンをつないでいかないといけない。僕が教えてきた子たちが、どんどん伝えていってほしいですね。
僕自身バスケができるのはあと何年かしかないと思っていますが、やっぱり楽しみたい。アメリカに行くと友達にまた会えるし、“生きてる”という感じがする。スペインに行く楽しみも増えましたしね。グローバルにいろいろな人たちと知り合えるのが、バスケットの、スポーツの醍醐味だと思うんですけど、そういうことをこれからも子供たちに伝えていきたい。僕ら指導者が楽しまないと、子供たちも楽しめないですからね」
「僕の時間は限られている」と言いながらも、夢とバスケットの楽しさを語る熱量は衰えを知らない。