Journal

サン・クロレラの取り組みや
サポートするアスリートたちのTOPICS。

Find out about Sun Chlorella's corporate activities and sponsored athletes

official site
Vol.59
開拓者の挑戦と、つながれるバトン
「指導者が楽しまないと、子供たちも楽しめない」。刺激を求め吸収し続ける指導者たち

岡田卓也(Gymrats)/丸田健司(KAGO)

開拓者の挑戦と、つながれるバトン 後編
2022/12/26

今バスケットボール界では、中学生年代などの子供たちに本場・アメリカの指導や大会を経験させる取り組みが行われている。早い段階でアメリカのリアルに触れ、将来の選択肢を広げるきっかけになれば——。そんな熱い思いを胸に活動し続けるのは、かつて自力でアメリカに挑み、今その経験を指導に注ぐ2人だ。後編では、大阪を本拠地とする『KAGO』のヘッドコーチを務める丸田健司の指導哲学や取り組みを紹介する。

「バスケットでご飯を食べる」ことを目標に

前編では、岡田卓也の開拓と挑戦に触れたが、その岡田に多大な影響を受け、伴走者のような存在として、ともにバスケットボールの新たな指導スタイルを確立させてきたのが、丸田健司である。
奈良県の中学でバスケットを始めた丸田は、中学の夏休みにマイケル・ジョーダン主催のバスケットボールキャンプに参加したことがきっかけで、アメリカ留学を考えるようになった。だが当時は情報がなく、高校での留学は断念。高校卒業後、アメリカの大学の日本校に語学の勉強も兼ねて1年在籍したのち、ロサンゼルスの短大に入学した。
「僕が行った時には、前の世代の人たちが作ってくれていたバスケットの日本人コミュニティがあって、LAに新たに来た人が入れ替わりで入っていく環境ができていました。そこで『Tさん』という、伝説の、変わった人の話をよく聞いていました(笑)」
その『Tさん』こそが“前の世代”の1人である岡田だった。岡田は丸田と入れ違いで日本に戻っていたため、当時は深く関わることはなかったのだが。
丸田がロサンゼルスの短大で悪戦苦闘していた時、日本ではbjリーグが立ち上がろうとしていた。そこに参入予定だったチームのオーナーに声をかけられ、丸田は帰国を決断した。
「アメリカの大学に入れたものの、勉強とバスケットを両立しなければいけない環境は自分にとってすごく難しくて、すべてが中途半端になりかけていた。だから声をかけていただいたのをきっかけに、このままズルズル行くよりは一旦帰国しようと考えました。アメリカ挑戦を続ける選択肢ではなくて、『バスケットでご飯を食べる』ということを目標にして、腹をくくって、帰国しました」

子供たちにアメリカの“リアル”を伝える

だが帰国後、誘われていたチームのbjリーグ加入が認められなかったこともあり、丸田はプロではなく実業団リーグでプレーすることになった。そこで、実業団のバスケットスクールを手伝ったことが転機となり、自分でスクールを立ち上げることを考え始めた。
「スクールを自分で開いてしまうと、プロ選手の道は諦めなきゃいけないと思ったので葛藤はありました。でも、子供たちを教えていて楽しかったし、自分に向いているという感覚もあったので、プレーはストリートバスケでやっていこうと決め、スクールを立ち上げました」
そうして一度は選手としてのアメリカ挑戦を諦めて『KAGO』を立ち上げたが、岡田が『静岡ジムラッツ』で、日本人選手を集めてABAに参戦していることを知り、丸田はそこに加わった。
「やっぱりアメリカから中途半端な状態で帰ってきた、という悔いがあったので。Tさんのおかげで、またアメリカにチャレンジする場所ができました。それにTさんはプレーヤーと指導者を両立していた。僕もまだプレーをしたかったし、指導者もしたかったので、自分が目指したいかたちだなと思った。『ジムラッツ』で海外に行って学んだことを、帰ってきてスクールで教えると、日本の子どもたちにもすごくはまりました」
この時、スクール、海外挑戦、ストリートバスケという丸田にとっての3つの柱ができた。
今では現役プレーヤーではなくなったが、岡田とともに若い世代の海外挑戦をサポートしている。中学生向けの海外ツアー(GRツアー)を実施し、NBAチームのバスケットキャンプに参加したり、現地のコーチの指導を受ける機会を設けている。また、中学生の海外体験などを通じて、将来NBA選手となり得る才能を発掘するサン・クロレラのプロジェクト『GLOBALLERS』のプロデューサーも務めている。
GRツアーで大切にしてきたのは“リアル”だ。
「僕らがやっているのは、たぶんみなさんが想像しているような、観光して、1、2時間バスケして、というような普通のツアーじゃないんです。向こうでは車での長時間移動など、精神的にも肉体的にもハード。僕らが経験したような、アメリカの楽しさも難しさも、リアルを伝えたい。例えば、現地のコーチに指導を受けている時、僕らは子供たちに通訳しません。その場で僕が1個1個通訳しちゃうと、子供たちは英語を聞こうとしないし、見ようとしないので。でも言葉を聞こうとすれば、バスケットなので理解できるはず。一つ一つの単語を聞いて、敏感に研ぎ澄ませて生活してほしい。
向こうでは車上荒らしにあったこともありました。それはかわいそうだったんですけど、その後、現地のコーチが『こんな国じゃないんだよ。ごめんね』と、アメリカを代表して謝ってくれた。自分だったらそんな会話ができるかなと考えたら、できません。そういうところがアメリカの良さ、魅力だと思っているし、そういう感覚の子に育ってほしいなと思っています。いろいろな経験をして帰ってきた時に、『日本って幸せやろ?』という言葉が、子供たちには深く伝わるし、親への感謝だとか、日々の過ごし方も変わってくる。技術を学びに行こうというより、アメリカの良さであったり、逆に日本の良さを、身をもって感じに行こうよという思いですね」

指導、経営、すべて行うプロフェッショナル

中学年代には学校の部活、Bリーグのユースチーム、そして街のクラブチームと、大きく分けて3つの選択肢があるが、「街クラブだからこそできること」を丸田は追求する。
「広い視野を持てることは街クラブの強みだと思います。海外に挑戦したい子たちのバックアップができることもその一つ。海外に行って、それを将来ビジネスにつなげることだってあり得るでしょう。街クラブだからこそ柔軟に、僕らが歩んできた生き方を一番表現できるのかなと。海外を行き来して、学びながら仕事にできているのが自分に合っているし、クラブチームだからこそプロフェッショナルでなければいけない。経営も含めてすべて自分でやらなければいけないので。自分はアメリカにいた時にデザインや映像編集なども遊びでやっていて、そういうことも活かせるし、何かを作るのがもともと好きだったので、この仕事にやりがいを感じています」
『KAGO』は、基本的に選手のスカウトを行なわない。「やりたければ『KAGO』でやればいいし、違うチームに行きたければ行けばいい、というスタンスなので」と笑う。それでも、部活、ユース、街クラブが一同に会する昨年の全国U15選手権大会(Jr.ウィンターカップ)で準優勝。それは丸田の多方面からのアプローチのたまものだ。コート内での指導はもちろん、コート外での取り組みも多岐にわたる。その一つが、サン・クロレラの栄養講座だ。年に一度程度、希望する子供や保護者が受講している。
「やっぱり体のことに対して一番理解しているプロフェッショナルの方たちの目線で言ってもらえることは、子供たちにとっても、彼らを一番身近でサポートする保護者にとっても大きいですし、行動を起こさせるきっかけ作りになります。バスケットでうまくいっていない子ほど、そういうプレー以外の部分に意識を向けて、ちょっとでも変わるきっかけにして欲しい。うちは結構競争が激しいのですが、うまくいかない時に、食事面であったり、整理整頓であったり、そういう私生活の部分に目を向けられるかどうかで全然違ってくる。ちょっとしたことの積み重ねが、結果を変える。筋トレもそうですが、育成年代から、そういうバスケ以外のところにももっと力を入れていくべきだと思います」
39歳と、指導者としてはまだ若いが、多くの経験を血肉としてきた丸田の言葉と指導には、信念がある。