東山高校バレーボール部
男子バレーボール日本代表が主要な世界大会で46年ぶりとなるメダルを獲得し、パリ五輪予選で五輪出場権を勝ち取るなど、強さを見せつけ大きな話題となった2023年。その日本代表には、髙橋藍(日本体育大学)ともう1人、東山高校出身のアウトサイドヒッターがいた。現在26歳の富田将馬(東レアローズ)だ。彼らを育成した東山高の豊田充浩総監督が、「富田の活躍は特別に嬉しい」と感慨深げに語る理由とはーー。
日本代表で活躍する先輩の姿が大きな刺激に
2023年は男子バレーボール日本代表が、大躍進を見せた年だった。6〜7月に行われたネーションズリーグでは、主要な世界大会では実に46年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得。9〜10月に日本で開催されたパリ五輪予選では、崖っぷちから巻き返して出場権を勝ち取り、日本中を沸かせた。今や世界ランキングは4位である。
その中で、若干22歳にして攻守の軸となっているのが、東山高校出身の髙橋藍(日本体育大学)だ。その日本代表や髙橋の活躍は、後輩たちの大きな刺激となっている。東山高バレーボール部主将の花村知哉は言う。
「自分たちも日本代表には注目していますし、目指しているところです。本当にレベルの高いバレーボールをしているなと感じます。僕はサーブレシーブを取ってからスパイクを打つのが役割なので、監督の(松永)理生さんには『知哉は髙橋藍みたいにならないといけない』とよく言われます。だから代表の試合では一番藍さんに注目しているし、動画も見て研究しています。常に安定したサーブレシーブを返して、そこからのスパイクというのは本当に尊敬していますし、自分の理想像。真似をして近づいていきたいと思っています」
豊田総監督が見抜いた富田将馬の隠れた才能
そしてもう1人、今年の日本代表で職人のような味のある働きを見せた東山高OBがいる。東レアローズに所属するアウトサイドヒッター・富田将馬である。
サーブレシーブ力を買われてネーションズリーグ開幕直前にB代表からA代表に引き上げられると、主将でエースの石川祐希(パワーバレー・ミラノ)に代わって後衛で守備固めに入るなど、難しい役割をきっちりと果たして信頼を勝ち取っていった。激しいポジション争いの中、パリ五輪予選でもメンバー入りを果たした。
1993年から28年間に渡って東山高バレー部の監督を務め、現在は総監督としてチームを見守る豊田充浩は、感慨深げにこう語る。
「高校時代が基盤になって、順調に育成され、ああやって卒業生が代表で活躍しているのは非常に嬉しいですね。その中でも特に富田は、今までは候補に入っても最終的に外されていましたが、今年は大事な五輪予選で14人のメンバーに入って、試合にも出て、という姿を見ると、嬉しいんですよね。藍が活躍しているのを見るのとは、また違った心境なんですよ」
プレーとキャプテンシーで周囲を引っ張り、春高バレーでチームを日本一に導いた絶対的エースの髙橋とは違い、高校時代の富田は、チームメイトや監督が我慢強く支えて育てたエースだったという。
静岡県出身の富田は、中学時代は東レのジュニアチームでプレーしていたが、決して目立った選手ではなかった。だが豊田は彼の中に光るものを見つけて、「本気でやるなら、うちに来ないか?」と誘い、富田は「チャレンジしたいです」と、実家を離れて京都の東山にやってきた。豊田はこう回想する。
「中学の時は、身長は186cmぐらいありましたが、技術的にも筋力的にもまだまだでした。ただ、僕は一つだけ気に入ったところがありました。下手ではあったんですけど、サーブレシーブをする際に腕を組んで構えた時の(両腕で作る)面がものすごくキレイだったんです。全体のフォームや動き方を見ていても、『この子、サーブレシーブのセンスがありそうやな』と思って。それで声をかけたんですけど、まあ当時はむちゃくちゃ下手くそでしたよ(笑)」
「育てる」と決めた選手は外さない
技術的にはまだ未熟だったが、1年生の春高では富田をベンチに入れ、2年生からはアウトサイドの先発として起用した。
「経験も技術もない子でしたが、将来性はあると感じていたので、とにかく実戦を積ませなきゃいけないと。ただ、相手にサーブで狙われ、本人は技術も自信もないものですから、メンタル的にも技術的にもかなりおされました。彼を使ったために当時はかなり負けたと思いますが、それでも僕は外しませんでした。非難の声も聞こえていましたけどね。そりゃあ一つ上の代の生徒の親御さんからしたら、『あんな下手な子をいつまで使うの。他の子を使ったほうがいいんちゃうの?』となりますから。そういう視線は本人も感じていたと思います。それまで、9年連続で春高予選京都大会の決勝に進出していたんですけど、富田が2年の時に準決勝で敗れて、途切れたんですよ。あれはなかなかの出来事でしたけどね。今考えたらよく耐えました」
もともと東山高は守備練習に力を入れていたこともあり、高校時代の富田は、豊田の指導のもとサーブレシーブとディグ(スパイクレシーブ)の練習に明け暮れた。そうして日々磨き、試合で狙われながら経験を重ね土台を作ったおかげで、今やサーブレシーブではVリーグのアウトサイドでトップの返球率を残し、日本代表入りをつかむ武器となった。
「目に狂いはなかったかなと、そこはすごく嬉しいですね(笑)。藍は中学の時から上手でしたし、高校から目立った活躍をしましたけど、富田の場合はそういう経緯でしたから、当時は日本代表になるとは想像できなかった。高校時代の3年間はなかなか壮絶でしたよ。でもそれを下地に、大学で開花して、今はVリーグでもサーブレシーブはトップレベルですし、ジャンプサーブもすごくいい。『お前、高校の時はネットを越えへんかったのにな』って言うんですけど(笑)」
今ではサーブレシーブと同じく富田の持ち味となっているジャンプサーブを打ち始めたのも、高校時代だった。まだ精度は低かったが、豊田がフローターサーブに変えさせることはなかった。高校2年の春高予選準決勝で敗れた時、最後は富田のジャンプサーブがネット中段にかかりゲームセットとなった。富田自身も、監督も、我慢の時期だった。
「僕は、育てようと思った選手は外さない。本人が泣きべそかいても外しません。相手から狙われる、辛くても代えてもらえない、もうやるしかない。それでメンタル的にも鍛えられたんじゃないでしょうか。それが土台になって大学時代にポーンと伸びて開花した。もちろんあの時しっかり耐え抜いた本人の努力は大きかったと思います。ただそれだけでなく、彼が出続けることに対して、周りの選手も頑張ってカバーしたし、こちらも我慢して使い続けました。だから、高校時代の周りのいろいろな人の力の集結が、今の富田を作っているんじゃないかなと思うんです。だから富田だけを褒めることは僕はしたくない。先輩も同級生も1個下の子たちもみんなが耐えた。だから今ああやって日本代表で、五輪のかかった重要な大会にも選ばれているのを見ると、特別に嬉しいんですよね」
身長207cmの大器にも期待を寄せる
今年は、春に東山高を卒業したばかりの身長207cmのミドルブロッカー・麻野堅斗(早稲田大学)も、日本代表のB代表に名を連ね、アジア大会で銅メダル獲得に貢献した。
「麻野は真面目で一生懸命やるし、調子に乗ることもない。あれだけ身長があるけど器用で、フロントゾーンでのボールさばきもうまい。日本の宝だと思います。近いうちに彼もA代表に行くんじゃないでしょうか」
3年間鍛えて送り出した教え子の活躍に目を細め、期待を寄せながらも、豊田はこう続ける。
「ただね、大学に行ってからのプレーは、直接はあまり見たことがないんですよ。卒業していった子は、僕はあまり追跡しませんから。今現場にいる、目の前にいる子たちのほうが、どちらかといえば大事だと思っているので。
今、結果的に卒業生がVリーガーになったり、日本代表になっていますけど、基本的にここはプロの養成チームでも、養成学校でもないと思っています。あくまでも高校生のアスリート、というところを基盤にして、教えていきたい。ここで『プロになるためには』と教え込んでいくのではなく、それは卒業後にそれぞれが段階を踏んで、そういう世界に進んでいくものだと思うんです。やっぱり高校ではまず学校生活、私生活をきちんとやって、そのあとにバレーボールを一生懸命やる。その中で基本的な技術を磨き、戦う姿勢を身につけ、日本一というチャンピオンシップを目指していく。そのバランスというものを大事にしています」
総監督となっても、指導や人間育成への情熱は変わらない。1人1人を熟練の目で観察し、厳しくも温かく寄り添い続ける。
■東山高校バレーボール部の関連記事