小松原美里
フィギュアスケート アイスダンス
チームココは、この2年で大人になっていた。衣装や音楽、演出などふたりを取り巻く外面的な雰囲気はもちろんだが、とくに際立っていたのがメンタル面での成長だろう。その成果があらわれたのが先日の全日本選手権での優勝だった。なかでもふだんからストイックに自らを厳しく律し、求道者のようなピリピリと張り詰めた緊張感を漂わせていた小松原美里選手からは、どこかリラックスした大人の余裕のような空気を感じ、演技にも表情にも柔らかさや大らかさを感じられたのが印象的だった。
今回はチームココとしてではなく、小松原美里その人にスポットを当て、とくに前編では、2022年北京大会以降、彼女の周囲でなにがあり、彼女の心のなかでどんな変化が起きていたのか、話を伺った。
2022年北京大会後に訪れた、環境と心理のポジティブな変化
サンクロレラ・スポーツでは2022年の同じ時期に小松原美里選手にインタビューをしている。そのときは2022北京大会をかけて歌舞伎を取り入れた新しいプログラム「SAYURI」の練習に取り組んでいる真っ只中だった。その後に行われた、2022北京大会の団体戦において日本チームは史上初の銅メダルを獲得。その栄誉あるメンバーの一員となった小松原美里選手は、周囲の変化に心がほどけるような優しい風を感じ取っていたという。
小松原「2022北京大会が終わったあと、とくに自分の地元の岡山・倉敷の市役所に私たちの名前を書いた横断幕を掲げてくれたり、ふだんあまりフィギュアスケートを見ない親戚の人からも『テレビで演技見たよ』っていってくれたりしました。またこれまでアイスダンスをいちども見たことなかったという人からも『たまたま見たけど、とても素敵でファンになりました』といった声が届いたりしていました。やはり2022北京大会は世間の注目度が圧倒的に高く、フィギュアスケートのファンだけではなく、いわゆるお茶の間層にも届いているんだなというのをあらためて感じました。もちろんいつもずっと応援してくださっているファンの方々への感謝の気持ちは変わらず強く持っています。でも今回、私の演技を通じて初めてアイスダンスの魅力を知ってくださった方がいるということはとても嬉しかったですし、背筋が伸びるような感銘を受けた出来事でした。ファンからの声はより暖かくなっていると感じましたし、また応援してくださる人の人数もどんどん広がっている。それがまた私に良いエネルギーを運んでくれているという実感があります」
もうひとつ、周囲の変化だけではなく彼女自身の心の変化もあった。昨年は2022北京大会後にスケートを続ける意味を自らに問うた彼女は、いまより上手くならなきゃ意味がない、結果が出せなきゃ意味がないとの思いが強く、些細な失敗でさえもネガティブになり、シーズン序盤は精神的なアップダウンの繰り返しに人知れず苦しんでいた。
それをどうやったら覆せるか。彼女は発想を転換し、失敗に注視するのではなく、あえて失敗への怖れや怒りから心を離すようにつとめた。良い演技をすること、クオリティを高めることだけにフォーカスしたのだ。すると、かえって失敗をしなくなったという。
小松原「自分の心に変化をもたらしたのは、メンタルの先生でした。大きな大会後にバーンアウト(燃え尽き症候群)になってしまう選手の話は聞いていたので、自分はそうならないよう心の準備はしていたんです。そのおかげか大会直後の自分は全然そうならなくて、私は大丈夫だと思っていました。むしろ2022北京大会の勢いそのままにやる気がみなぎっていたので、けっこう自分でも押せ押せの時期だったと思います。ところが2022北京大会後のシーズンが終わった後で、急にガクッときて完全にバーンアウトになってしまいました。そんなときに私についてくださっていたメンタルの先生が、アメリカと日本で離れているにもかかわらず連絡を頻繁に取り合ってくれて、私の心をこじ開けてくださった。そこから、どんどん自分が達成できていることの多さに注目できるようになり、ポジティブな自分を取り戻せました。もっと周りの人に頼っていいんだ、弱さを見せてもいいんだって思うきっかけになりました」
自らを取り巻く環境の変化や、身近な人たちのサポートによって、小松原美里選手はストイックでナーバスな緊張状態を維持し続けなければならないというアスリート然とした呪縛から解放され、(彼女にしてはという留保はありつつも)それでも以前よりは少しリラックスして、スケートを楽しめるようになっていたのかもしれない。そしてそれがより良い結果をもたらすという好循環につながり、さらにいまの彼女をフィジカル面でもメンタル面でも、ポジティブな状態に押し上げているのだろう。その成果は全日本選手権優勝というかたちで花開くことになるのであった。
全日本選手権での優勝をもたらした“大人の愛の物語”。
小松原美里・尊組の全日本選手権優勝は2022年以来、2年ぶりの快挙となった。これまでもっとも緊張したのは2022北京大会の選考会だったが、今回はそれを上回る極度の緊張感に襲われたという。それでも、プレッシャーという意味では自らの演技に自らが課すプレッシャーに勝るものはない、という自負があると語る彼女。むしろこのところのポジティブなメンタリティーにより、ストイックでありつつも楽しむことの余裕をも兼ね備え、大人へと成長した新生・小松原美里にとっては、むしろ適度な緊張感だったのではないだろうか。そして、それは今回の大会での衣装や演出、演技にも顕著に表れていた。
小松原「今回のリズムダンスでは『80年代』というテーマが指定されていました。私たちがゴーストバスターズを選んだのは、何作もリバイバル作品が作られているので、より幅広い年代層の人たちにも楽しんでもらえるのではないかと考えたから。いろんなアイデアや試行錯誤を経て、デザインを何パターンも作っては先生(パトリス・ローゾン氏)の意見も取り入れつつ、最後はデザイナーさんと一緒に仕上げていきました。たとえば衣装の左肩にスライム(緑色の液体のようなもの)がベッタリついているデザインになっています。あれは映画に登場する緑色のモンスター『スライマー』を倒したという演出で、演技の最後に決めポーズをするのですが、左側にモンスターがいた想定なのでちゃんと左側につけたかったんです。そうした細部のディテールにもしっかりこだわって作り上げられたこともあって、すごく楽しい作業でした」
スケーターとしての技術がもちろんベースにあってのことではあるが、衣装、音楽、ヘアメイク、演出など、自分たちでトータルに表現できるスポーツはほかにあまりなく、そういうところも彼女がアイスダンス、フィギュアスケートが好きなところでもあるのだろう。
そして圧巻だったフリーの妖艶な衣装と演技についても、同様に細部にまで彼女のこだわりが生かされていたという。とくに印象的だったのは腰から広がる美しいフリル。じつは最初はなかったもので、あとから足したのだという。しかし、演技に合わせて自在に揺れ動くその様は、彼女のもう一人のパートナーであるかのようにふたりの演技にアクセントを生み出し、衣装そのものが表現をしているかのような強いインプレッションをもたらしていた。
小松原「あの衣装も本当にたくさんのデザイン案を考えて、自分の身体がより大人っぽく見えるシルエットになるよう改良を重ねています。とくに今回初めてシルク素材を衣装に使ったんですけど、理想のデザインがあっても素材によって縫いかたや仕上げに制限が出る場合もあるので、シルクを使った経験がある先生や選手に話を聞き、あらゆる可能性を探りながら一歩ずつ完成に近づけていく作業でした。そうして出来あがったいまの仕上がりには私もすごく満足しています。じつはシーズン初期と比較して私の身体が絞れていたんですけど、衣装をそれに合わせて直せていなくて、全日本選手権フリーの前日に慌てて母に『超急ぎで直して!』って頼んだんです(笑)。だからきっとお母さんが、あの衣装に魔法をかけてくれたのだと思っています」
今回の全日本選手権では多くの若い選手が台頭するなかで印象的だったのは、衣装ももちろんだが、明確に意図していたであろう大人の演出と大人のスケーティングだった。とりわけフリーでは、パトリス・ローゾン氏も曲選びの段階で「どっしりとした王道のものがいい」とアドバイスを送っていたという。もちろん彼女自身もクラシカルで繊細な曲のほうが得意だという意識もあった。しかしなにより、これまで技術指導以外の演出や音楽にあまり口出ししないタイプだったローゾン氏が、今回のフリーに関しては世界観づくりについても一緒に考案。彼女はそのことがとても心強かったと振り返る。4年前に取り組んでいた「Love Story(ある愛の詩)」ではまだ、どこかティーンエイジャーの恋愛を演じているようなところがあったという彼女。しかし今回の「Loving You(from Passion)」では、31歳になった大人の女性として、自分らしく等身大の演技ができたと胸を張った。