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vol.9
越境者の凱旋
日本から海を渡ったサムライが語る プロルーキーシーズンで感じた手ごたえ

渡邊 雄太
(プロバスケットボールプレイヤー)
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中山 太
(サン・クロレラ代表取締役社長)

越境者の凱旋 前編
2019/07/19

高校卒業後すぐにアメリカに渡り、アメリカの大学で活躍が認められたことで、日本人2人目となるNBAプレイヤーとなった渡邊雄太選手。従来とは異なる道を辿り、世界最高峰のバスケットボールリーグへとたどり着いたパイオニアである彼と、サン・クロレラはこのたびスポンサー契約を果たした。

そこで、日本に凱旋帰国し、来シーズンもさらなる活躍が期待される渡邊雄太選手に、自身もバスケットボール経験者でNBAファンでもある中山太がインタビュー。海を越え、画期的な挑戦を成し遂げたいまの心境や、肌で感じたアメリカと日本との違い、そして自身の身体づくりや栄養管理から次世代への思いまで、さまざまなテーマで語っていただいた。

少年時代から夢見た憧れの舞台、NBAへの道のり。

中山 太(以下 中山):バスケットボールを始めたのは小学校1年生でしたよね?

渡邊 雄太(以下 渡邊):そうですね。母が地元のバスケットボールチームのヘッドコーチをしていたので、小学校に上がるタイミングで「自分もやりたい」という気持ちを伝えて、それで始めました。

中山:たしかご家族みんなバスケットをやっていて「バスケ一家」のなかで育ったと伺いました。

渡邊:ええ、両親ともにバスケットボールプレイヤーでした。ぼく自身は両親のプレイを見たことはないのですが、映像で少しだけ見たことがあります。姉もバスケットをやっているので、家ではみんながバスケの話ばっかりしているという、そういう家庭環境で育ちました。

中山:やはりそういう環境だったからこそ、自然にバスケットボールを始められたということはあるのでしょうか?

渡邊:他のスポーツをやろうという選択肢は当時すでに頭になかったですね。本当に自然にバスケットボールをやりたいと思い、自然に始めていたという感じだったと思います。

中山:中学ですでに全国大会に出場して、高校でも全国大会で準優勝を経験されていますけれども、高校を卒業されるときに大きな転機が訪れますね?

渡邊:はい。アメリカの大学へ進みました。

中山:当時は反対の声や「難しいのでは?」という意見も多くあったと伺いましたが、それでもトライしてみようと決断されたきっかけや理由などはありますか?

渡邊:子どもの頃からずっと「NBA選手になりたい」という夢があったので、やはりその夢にできるだけ近い場所でバスケットボールをしたいという強い思いがありました。また反対の声が多いといっても、それはあくまでぼくのことを知らない人たちが言っていること。ぼく自身もその人たちのことを知りませんしね。でも逆に両親や当時の高校の恩師、当時のチームメイトなど、ぼくにとって身近で大切な人たちはみんな応援し、サポートしてくれていました。このことがアメリカ行きを決意するうえですごく大きかったですね。

中山:そういえば田臥選手も後押しする声を上げてくれていましたよね?

渡邊:はい。ぼくがアメリカの大学への進学を決めたあとで、父が田臥さんとお話しさせていただく機会があり、そのときに「絶対に行ったほうがいい」と推薦していただいたと聞きました。不安視する声が多いなか、日本バスケ界のレジェンドである田臥選手からそう言っていただけたことでモチベーションは上がりました。「やっぱり自分の決断は間違っていないんだ」という自信を深めることができましたね。

中山:アメリカの大学でプレイすること自体がすごいことだと思うのですが、そこから昨年はついにNBAの大舞台でプレイするという夢も叶えられました。実際にプレイをしてみて、日本とアメリカでいちばんの違いはどういうところに感じますか?

渡邊:やはりアメリカはバスケットボールの本場なので、技術や身体の強さといった、すべてにおいてケタ外れでした。そのなかでもぼくがいちばん最初に違いを感じたのは練習に取り組む姿勢です。とくに練習での激しさにはかなりびっくりさせられました。日本人もすごく勤勉で努力家でたくさん練習しますし、練習時間でいえばむしろ日本のほうが長いかもしれません。でもアメリカは限られた時間のなかで、非常に密度の濃い練習をしていました。

中山:姿勢というのは、具体的にどんなことでしょうか?

渡邊:たとえばチーム内で5対5のゲーム形式の練習をやる際に、相手を止めようとして少しラフなプレイが出ることもあるんですね。そうすると取っ組み合いのケンカに発展して、コーチも選手も必死で止めに入るみたいなことはもう日常茶飯事です。ケンカするぐらい激しくお互いやりあってぶつかりあっていく。それだけ真剣に練習に取り組んでいるからで、その熱量の差は感じますね。練習であそこまで激しくやり合うというのは日本で経験したことのないものだったので、ある意味カルチャーショックだったというか、それがいちばんびっくりしたことでした。

中山:練習からここまでやるか?みたいな。

渡邊:そうですね。でも練習が終わるとその激しくやりあって喧嘩していたふたりが仲良く話しているんです。練習で起こったことは後に引っ張らないっていう姿勢や人間関係はすごいなと思いました。

中山:プレイにひたむきだからこそケンカにもなるけど、別に個人的に仲が悪いというわけではないと?

渡邊:そうです。そこはお互い自分やチームの向上のためだとわかってやっていることなので、コート内で起こったケンカはふたりのパーソナルな人間関係には一切影響しません。

デビューから1年を経て、見えてきた課題と可能性。

中山:1年間、NBAでプレイされていちばん驚いたこと、衝撃を受けたことはなんでしたか?

渡邊:技術や身体能力の高さというのはもちろん日本にいる時からわかっていたことではあるんですけど、やはり実際に対峙して目の前でプレイを感じると、想像以上だったというか、こんなところから飛んでダンクするのか?とか、その体勢からでもそんなに簡単にシュートを決められるのか?とか、もう数え上げるとキリがないくらいたくさんありました。

中山:衝撃を受けた一方で、そういうすごい選手たちと対峙してプレイできていることへの喜びや実感みたいなものは感じられたのでは?

渡邊:もちろんずっと夢に描いてきたコートでプレイができているので、それこそ1分1秒ごとに喜びは感じながらプレイしています。最終戦では憧れのケビン・デュラントとマッチアップもしましたし。ただ、やはりこの1年で自分の実力不足を痛感したので、満足感や達成感などは一切ありません。むしろ、よりモチベーションが上がったし、向上心を持って取り組んでいかなきゃいけないなとあらためて感じました。

中山:渡邊選手のいちばんの課題ってなんですか?

渡邊:やっぱりまだまだ身体が細いので身体を大きくすること、フィジカルを強くすること、あとはシュート力という3つが課題です。NBAでは今シーズンは15試合出場したのですが、技術的にはふだん自分が決められているシュートでさえNBAの試合では決められなかったという感覚があるので、NBAレベルで通用するシュート力を身につけないといけないというのは実感しています。

中山:フィジカルの話でいえば、いまメンフィス・グリズリーズのコーチを務めているテイショーン・プリンスは、現役時代は渡邊雄太選手と同じ左利きの長身で細身の選手でした。そして彼も当初は実際の能力よりも周囲の評価が低く、苦労した経験を持っていますね。それでも彼は少しずつプレイタイムを伸ばしていって、最後は優勝チームのスターターにまで昇りつめた。テイショーン・プリンスがチームスタッフとして渡邊選手を気にかけてくれているというのは、非常に大きいのではないかと思うのですけど。

渡邊:ええ、もちろんぼくも小さい頃から彼のプレイは見ていたし、昔から「体型的によく似ているね」なんて言われたこともありました。彼からは「1年目はとにかく繰り返し練習をして、日々成長していくことが大事なんだ」というアドバイスを受けました。彼も1年目の大変さというのはわかってくれているので「とにかく毎日継続してやっていくことが大事なんだ」ということを、つねづね話してくれています。

中山:あともうひとつの課題であるシュート力でいえば、コーチにニック・ヴァン・エクセルがいますね。シュート力、特に外のシュートに関して彼は現役時代スペシャルな存在だったと思うんですけど、彼とはどんな話をしますか?

渡邊:ニックからは「身体がしんどくなってくると、腕がおろそかになる」という言い方をされましたね。「腕を伸ばしきれていない」ということを彼からは繰り返し言われていたので、そこは意識してプレイするようにしています。あとグリズリーズの中でレフティは、ニックとぼくと、あとマイク・コンリーという選手がいるんですけども、彼がよく言っていたのは「マイクが2番目で、ユウタは3番手、もちろんナンバーワンはこの俺だ」ということです(笑)。

中山:ニックは現役時代がから超自信家だったですからね(笑)

渡邊:そうですね。でも、いまもたまに遊びでシュート勝負をしたりするんですけど、彼はいとも簡単にポンポン入れるんで、さすがだなという感じですね。