陸川章(監督) 大倉颯太(4年) 佐土原遼(4年) 八村阿蓮(4年)
バスケットボール/東海大学男子バスケットボール部
東海大学バスケットボール部・シーガルスといえばもっとも多くのBリーグプレーヤーを輩出し、幾度となく全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)を制してきた強豪である。チームを率いるのは陸川章。現役時代に日本体育大学からNKK(日本鋼管)と走れるビッグマンとして日本代表にも選ばれた彼は、アメリカでのコーチ留学や社会人経験を活かした現代的なコーチング哲学を有する優れた指導者としても知られ、陸川監督を慕って東海大学への進学を決めた選手も少なくないという。
前編ではその陸川監督と、未来を嘱望されているスタープレーヤー候補である3人の選手たちとの対話の中から、若い世代の力を引き出すチームづくりの秘訣を探る。
祖母の戒めと、社会人経験が育んだ、不動の精神。
「私は、ばあちゃんっ子だったんです」。大きな体を小さくし、ひどく照れ臭そうにそう切り出した陸川監督は、座右の銘として幼少期に祖母から繰り返し語られた戒めの言葉である『自慢・高慢、バカのうち』と『負けるが勝ち』を挙げた。その言葉どおり目の前の陸川監督は、これが本当に常勝軍団・東海大学シーガルズを築き上げたあの陸川章なのかと思うほど、謙虚にして繊細な人だった。勝って上を向かず、負けて下を向かず。驕らず、腐らず、平常心でいることの大切さは、祖母から教わったことなのだそうだ。
中学時代は陸上部だったという陸川監督は、高校からバスケットを始め、長身と走力を買われ1年生からレギュラーとなった。その後は日体大、NKKとバスケ界において輝かしい王道を進み、日本代表メンバーにも選出された。その彼が、約20年前に突如として現役を引退し、なぜ大学での指導者の道を選んだのか?
陸川監督「じつはNKKで『次の監督はおまえがやれ』と言われていたんです。38歳のときだったかな。私もその気になっていたんですが、その矢先、不況によるリストラでクラブがなくなってしまった。さてどうしよう?と考えたとき、大学の指導者という道がパッと思い浮かんだんです。その理由は、大学生というのは子どもから大人になる時期であり、バスケットと同時に人として成長する上で一番大切な時期なんじゃないかと。そこに私の経験を活かすことができるんじゃないかと考えたわけです」
陸川監督は、選手たちから親しみとリスペクトを込めて「リクさん」と呼ばれている。そのバックグラウンドには、彼が社会人時代に中間管理職として、不満を抱く若手社員と上司との間をうまく繋ぎながら、リストラの風が吹き荒れる社内で、いわば組織の潤滑油の役割を果たしてきた経験があった。2001年に彼が東海大学のコーチに就任した当時はまだ、いわゆる体育会系的な指導が全盛の時代。にもかかわらず、良い聞き役として選手の声を拾い上げる今日的なリーダーとして結果を出し、2部リーグに上がったばかりだったチームを1部リーグの全国大会で優勝できる最強チームへと育て上げてきた。その礎は、この社会人時代の経験が活かされているのかもしれない。
陸川監督「むしろ私のほうから『先生や監督とは呼ばず、リクさんと呼んでくれ』とリクエストしました。私がアメリカにコーチ留学に行った時に選手たちはみんな私のことを『コーチ・リク』と呼んでいて、これはすごくいいなあと思ったのがきっかけです。そもそもコーチというのは選手たちが行きたい場所へと届けてやるのが仕事。そういう人になりたいなという思いがありました。それは就任した当初からいまも変わらず、ずっと言ってきたことだったんです」
「怒鳴らない指導」が引き出した自ら考えるプレー。
石川県出身の大倉颯太選手は、じつはもともと青山学院大学のファンだったという。それが2012年のインカレで東海大学が青山学院大学を破って優勝した試合を見て以来、東海大学のことを追いかけるようになった。そして高校2年の終わりに陸川監督が練習(試合?)を見にきてくれたこと、また彼の兄も陸川監督に誘われて東海大学に進み、その兄からも勧められたことなどから東海大学への進学を決めた。
佐土原遼選手は東海大学付属相模高校からの内部進学生。「エスカレーターでそのまんま上がって来たので、当時はあまり深く考えてはいなかった」と話す彼も、高1の時に大学のBチームと練習試合をしたり、Aチームとも高2の時に練習に参加したりするなかで、監督に見初められた選手の1人だ。「とにかく圧倒された」という東海大学の強さに衝撃を受け、間違いなく自分を成長させてくれる環境だと確信したのだという。
そして八村阿蓮選手は、現在NBAプレーヤーとして活躍している八村塁選手の実弟としてもその名を知られていた選手。高校の恩師からしっかりとトレーニングできるチームを選んだ方がいいとアドバイスを受け、設備が充実していた東海大学を選んだという。高校時代は細かったという彼がしっかりとバスケットできる身体になれたのは、ここできちんとトレーニングを積んだおかげだと振り返る。
3人とも来年からはプロバスケットボールプレーヤーとして、次なるステージへと歩みを進めるつもりなのだという。そこで彼らに、あらためて陸川監督の指導について聞いてみた。
大倉選手「とにかく優しいというのが最初の印象でした。小中高とバスケをやってきて、そのほかにも代表や国体などさまざまなチームに所属してきましたが、どのチームでも先輩や指導者の方から理不尽に叱られた経験は大なり小なりありました。でも、ここへ来てからはそういうことが一切ありません。4年間このチームにいてリクさんが怒鳴っているところを一度も見たことがないんです。やっぱり東海大学というチームは、リクさんのこのフィロソフィーで成り立っているんだなと、すごく感銘を受けたのを覚えています」
佐土原選手「たしかに選手をとても大事にしている監督なんだな、というのは教わってすぐに感じられました。選手ひとりひとりと緻密にコミュニケーションをとって意見を聞き、みんなを気にしてくれることが伝わってくるんです」
八村選手「ぼくも佐土原とまったく同じ印象でした。高校のときの監督がリクさんと逆ですごく怒鳴るというか、細かいところまで徹底して叱りつけてくる監督さんだったので、リクさんに初めて指導していただいたときはやっぱりすごく優しいというか、練習でも試合でも自分の思うがままにのびのびとプレーさせてもらえるので、とても感謝しています」
大倉選手「やっぱりいくら正しいことを言っていたとしても怒鳴る必要性は感じないですし、ぼくは嫌いですね。だからリクさんの指導を受けられてあらためてよかったと思うし、ぼくだけではなくリクさんの指導を受けていた人はみんな同じように感じていると思います」
選手たちはみな口を揃えて、陸川監督の「怒鳴らない指導」がいかに自分たちにフィットし、それがポジティブな環境であったかを話してくれた。ただし、当の陸川監督自身は自分のやりかたが必ずしもすべてにおいて正しいとも思っていないのだという。なぜなら怒る、細かく指導するというのは裏返すとそこまで厳しく追究しているということでもあるからだといい、逆に自分もそうしなければいけない場面もあるのかもしれない、と話す。しかしそのうえで、彼自身はそれよりも自分で考える力を育てることが大事だと思っているのだ。
陸川監督「私らの時代は怒鳴るどころか鉄拳制裁すら当たり前でした。私自身そういう指導に憤りを感じていましたし、ましてや今の子は怒鳴られると考えなくなって、どうしてもコーチに言われていることだけをしようとしてしまいます。とくに大学というのは先ほども言ったように、子どもから大人になるそのちょうど中間地点。だからこそ自分で考えて行動できる選手、人になってほしいんです。ここまでくる選手はみんな、すでにすごくいい素質を持っています。それはバスケIQももちろんそうですし、人間としてもですね。また、いまの若い選手たちはネットで海外のゲームもよく見ていますし、とりわけ彼ら3人なんかはすでにBリーグの特別指定でプロとの試合や練習にも参加していますから、私が彼らから学ぶことも多いんですよ」
学生が監督・コーチをニックネームで呼び合うフラットでフレンドリーな関係性と、陸川監督の「怒鳴らない優しい指導」。それらは着実に学生たちの心を捉え、アスリートとしてのみならず人間としての成長と飛躍を支えていった。時代を先取りしていたともいうべき陸川監督の指導スタイルは、いずれその指導を受けて育った彼らが指導者になったときも脈々と受け継がれ、東海大学はもとよりバスケット界全体の新しいスタンダードとなっていくのかもしれない。