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Vol.61
天才から、一流へ。
Bリーグのスーパースターへと進化を続ける“努力の天才”が背負うプロとしての責任

河村勇輝
バスケットボール/横浜ビー・コルセアーズ

天才から、一流へ。 後編
2023/04/11

2022年の春、東海大学を電撃中退するとシーズン途中からプロ入りした河村勇輝選手。シーズン後半の30試合に出場したルーキーイヤーに大きなインパクトを残すことに成功した。そして迎えた今シーズンはすでに昨年を超える試合数をこなし、現在平均アシストランキングでトップ(※2023年4月5日現在)に立っている。
大学生からプロへと活躍の舞台を移したことで、肉体的にもメンタル面でも進化を遂げた彼は、現在の活躍をあくまで通過点と語り、より高いレベルへ到達するためのさまざまな準備に余念がない。
そこで後編では、リーグの顔としてバスケットボールファンを増やすための振る舞いや、実際に世界と対峙してはじめて体感した大きな差、同世代アスリートへの思いなど、日本を代表するスピードスターから海外のトップリーグで活躍する世界的スーパースターへ、その階段を駆け登り始めた河村勇輝の夢を語ってもらった。

自分の活躍がリーグ全体の人気にもつながるというプライド。

Bリーグが開幕して7年が経った。バスケットボールの本場で世界最高峰のリーグであるアメリカNBAでの八村塁選手や渡邊雄太選手といった日本人選手の活躍もあり、これまでバスケットボールへの関心がなかったお茶の間層にも少しずつ、しかし着実にBリーグの知名度は浸透しつつある。実際に河村勇輝選手も有名タレントが多数出演する人気の高いお正月特番をはじめ、スポーツ分野以外の番組などでも彼の姿を見かける機会は増えている。プロとなり、Bリーグを代表する選手となった河村勇輝選手は、そうしたメディア対応などバスケットボールの人気を高めるための活動にも積極的だ。それも彼がプロになったことで芽生えた責任感と使命感なのだろう。

河村「バスケットボールへの注目が徐々に高まってきているのは肌で感じています。でもそれはあくまでNBAの八村塁選手や渡邊雄太選手あってのことだと思うんです。では自分にできることは?と考えれば、まずは国内のバスケファンを増やすこと、Bリーグの知名度を上げること。さらには、日本におけるバスケットボールの価値を最大限に上げていくことであり、自分にはその役割を果たす責任があると思っているので、メディアにも積極的に出演するようにしています。また同時にそのメディアでの自分の言動やコート内外でのひとつひとつの振る舞いが、今後のバスケットボールの価値やイメージにつながるという自覚を持って臨むことも忘れないよう心がけています」

メディアへの露出が増えることでBリーグへの注目が集まれば、より多くの人にプレーを見てもらうことができ、かつての自分のようにバスケットボールプレーヤーを志す子どもたちが増えるかもしれない。そして日本のバスケットボールの裾野を広げるためにも、国内リーグの盛り上がりは非常に重要な要素になるだろう。そう河村勇輝選手は考えている。だからこそ彼はBリーグの知名度と価値の向上、その責任の一端を担い、自分がリーグを盛り上げていくという強い気持ちと責任感を持っているのだという。

同世代の活躍に感化された、一流アスリートとしての振る舞い。

河村勇輝選手と同い年のスポーツ選手には、それぞれのスポーツ界を代表するようなトップアスリートが多い。バレーボールの髙橋藍選手、サッカーの久保建英選手、野球の佐々木朗希選手など、錚々たる顔ぶれが並ぶ。彼にとってそうした同い年の選手が活躍している姿は、とてもいい刺激になっているのだという。それはプレー面だけではなく、インタビューでの受け答えやメディアヘの露出、そして自分の所属するチームだけではなく久保選手ならサッカー界を、髙橋選手ならバレーボール界を背負っていくという覚悟のようなものであり、それは若くしてトップに立つアスリートとしての「一流」の振る舞いのことだ。

河村「ぼくもすべてにおいて一流の選手でありたいと、いつも思っています。もちろんプレーやそこから生まれる結果、記録も一流であることは前提ですが、オンコートにおけるパフォーマンスだけではなく、オフコートでの行動や振る舞いなども含めて真の一流選手と呼ばれる選手でありたいです。たとえばひとつのロールモデルとして思い浮かぶのは、野球のイチロー選手。誰が見ても一流の野球選手であり、一流のアスリートであり、一流の人物だと思います。結果を出し続けながらもつねに謙虚であること。そして向上心とモチベーションを持ち続け、相手選手やスポーツそのものにリスペクトがあること。もちろんそうなるためには、いろんな経験も必要になるだろうし、まだまだぼくには到底及ばないレベルだと思います。でも今後いろんな経験を積みながら真の一流の選手と呼ばれるように頑張っていきたいです」

同い年のアスリートといえば、彼がプロ入りするために途中でチームを離れた東海大学の同級生たち。プロ入り直前のインカレ決勝で敗れた悔しさをともに経験した東海大学のチームメートたちとは、いまでも連絡を取り合っている。そして、そのチームメートが昨年12月のインカレで前年決勝で敗れた白鴎大学に勝って優勝を勝ち取った際には、自分のことのように喜び、真っ先におめでとうと伝えた。
その東海大学在籍時に多くのことを教えてくれた陸川監督が、学生スポーツで最も大切にしていることが「人間形成」だった。河村勇輝選手のオンコートだけでなくオフコートでも「一流」でありたいと願う強くて固い信念、その源流は陸川監督の指導はじめ、東海大学時代に培われたものなのかもしれない。

Bリーグから世界へ。日本代表として踏み出す挑戦への第一歩。

今シーズンは平均アシスト8.4(※2023年4月5日現在)でトップを走り、横浜ビー・コルセアーズもB1中地区優勝圏内にいる。いっぽうでワールドカップアジア地区予選やアジアカップなどで日本代表として、実際に世界と対峙して感じた課題もあった。身体は小さいながらもスピードで勝負してきた河村勇輝選手はクイックネスには自信を持っていて、実際それは世界でもじゅうぶん通用するという手応えを感じたものの、時にはサイズの大きい選手にも上回られる場面が何度かあったという。世界で戦うためにはクイックネスだけではなくて、そこから派生したさまざまなテクニックを身につけていかないといけないことを痛感させられたのだ。しかし彼は、課題が見つかったことをむしろポジティブに捉え、すでに次のステージでの活躍を見据えていた。

河村「まずはBリーグでしっかりと結果を出すこと。チームとしてチャンピオンシップ出場というのは大きな目標としてあるので、チームを目標に導けるような選手でありたいです。それを自分ができれば個人タイトルなどはついてくると思っています。長期的な目標としては、ワールドカップや2024パリ大会に日本代表のポイントガードとして出場すること。世界中の強豪が集まる大会で多様な選手たちと戦い、いずれは海外で通用する選手になって最終的には海外でプレーしたいという、より大きな夢があります。でも夢というのは簡単に掴めるものではありません。目の前にある小さな目標を着実に達成していきながら、より大きな夢に向かっていきたいです。そのためにはまだまだ努力も必要ですし、もちろん運も必要。いつでもチャンスがつかみ取れるよう、あらゆる準備をしておきたいです」

先ごろ行われたワールドカップアジア地区予選でMVP級の大活躍を見せたあとでさえ「満足していないし、代表に定着できたとも思っていない」と語った河村勇輝選手。今回のインタビューでも、つねに高いレベルの目標を描き、強い意志とモチベーションを維持しながら、フィジカル、プレー、メンタル全ての面でアップデートを続けていることが伺えた。いまの彼に隙はない。

渡邊雄太選手や八村塁選手はアメリカのカレッジからNBA入りしており、Bリーグを通っていない。田臥勇太選手が日本人最初のNBAプレーヤーになった頃はそもそもBリーグ自体が存在していなかった。つまり、もし河村勇輝選手が今後BリーグからNBAへの移籍が実現した場合、2016年に始まったBリーグ史上初の快挙として、その名を歴史に刻む可能性を秘めているのだ。彼の「一流」の振る舞いを、バスケットボールの本場アメリカや強豪ひしめくヨーロッパなどの海外の舞台で見られる日は、間違いなくそう遠くないうちに訪れるだろう。その夢へといたるプロセスで、はたして彼がどのようなルートを歩んでいくのか?今後も彼の一挙手一投足に注目し続けていきたい。