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Vol.75
モナコに舞い降りた東洋の貴公子。
スペイン経由でやってきた日本人ガードが、フランスリーグの強豪ASモナコU21をクラブ史上初の準優勝へと導いた。

プロバスケットボールプレイヤー/ASモナコ U21
岡田大河

モナコに舞い降りた東洋の貴公子。前編
2024/09/26

初めて彼にインタビューをしたのは、2020年の夏のことだった。前年にわずか15歳で単身スペインに渡り、現地のクラブチームでのファーストシーズンを終えて一時帰国中というタイミングでのことだった。それからちょうど4年。今年の5月でハタチになった岡田大河選手は、スペイン・マドリッドの地を離れ、世界中のセレブや富裕層の保養地として知られるモナコの強豪チームAS モナコのU21へと移籍。ファーストシーズンとなった昨シーズンは、チームをクラブ史上初の2位へと押し上げる立役者としての活躍を見せた。
身長もさらに伸び、身体の厚みも逞しくなって、名実ともに「大人仕様」となった岡田大河選手。前編ではフランスリーグ移籍後最初のシーズンを振り返りながら、スペインとフランスの違いや、コミュニケーションについて、さらには自身のチームでの役割と期待度、来季の目標などについて、語ってもらった。

フランスリーグへの移籍でつかんだ、トップで戦えるという手応え。

2020年に15歳でスペインに渡って以降、4年間所属してきたスペイン・マドリッドの Zentro Madridを離れ、昨夏にフランスリーグの強豪ASモナコのセカンドチームにあたるU21カテゴリーに移籍した岡田大河選手。移籍の決め手となったのはこのASモナコが、ユーロリーグに所属しているフランスリーグにおいて正真正銘のトップレベルのチームだったことだという。トップチームにはニューヨークニックスはじめNBAのチームでも活躍し、オールスターにも選出されたケンバ・ウォーカー選手や、同じくNBAで数々のチームを渡り歩いたマイク・ジェームス選手といった錚々たるトッププレーヤーが所属しており、彼にとっては目標であるNBAプレーヤーへの道に、また一歩近づいたといえるかもしれない。

岡田大河「彼らとはゲーム前の調整のときなどに何度か話すチャンスがありました。トップチームの公式練習に参加することは叶いませんでしたが、それでも練習場所が一緒なので『調子はどう?』みたいな感じで、すごく気さくにいつも話しかけてくれるので、やっぱりうれしいですね。とくにケンバ・ウォーカー選手はU21の若い選手たちにも気軽に話してくれるナイスガイです」

彼らだけでなく、トップチームの選手たちはみな、NBAやユーロリーグで活躍してきた経歴を持つ世界中から集まったトップオブトップの選手ばかり。岡田大河選手がこれまで憧れてきた選手たちのボールさばきや細かな動きを間近で見て、感じて、学ぶことができる。それだけでも最高の練習環境であり、より高いレベルを目指す彼にとっては移籍するにじゅうぶんな理由だったといえるだろう。
またトップチームだけでなく彼が所属するU21のセカンドチームも、イラン代表として活躍している選手やウクライナ出身で身長2mを超える選手など、すでに各国のリーグや国際大会で活躍している選手たちばかり。しかも彼と同じポジションにはU21フランス代表の選手がいて、彼らの多くはすでにこのチームで一緒にプレーしてきた実績もあるため、互いの特長やスタイルも知り尽くしている。そんな中に一人の日本人選手がニューフェイスとして、レギュラー争いに割って入ろうというわけで、簡単なことではないことは岡田大河選手自身がよくわかっていた。だが自分ならやれる、という自信はあった。

岡田大河「シーズン前の練習でマッチアップしているチームメートがフランスでも活躍している選手だったり、リーグでMVP候補だった選手だったので、そういう錚々たる選手と一緒に練習してみて、彼らとやってじゅうぶんやり合えているなら大丈夫という自信と心構えがシーズン前からすでにできていました。あとはチームのバスケットスタイルに自分がアジャストすることだけ。そう考えていました」

しかし、そのアジャストに時間がかかった。プレシーズンマッチでなかなか自分が思うようなプレーができずに苦しんだ。さらにシーズンに入ってからも最初の5試合は同様にうまくいかない時間帯が多く、結果としてプレータイムも伸びなかった。彼自身の分析によるとその原因は、自分自身のチームにおける役割がまだはっきりしていないことだったという。結果として開幕からの5連戦では岡田大河選手個人としても機能せず、チームとしても負けが続いた。
この状況を打開すべく、彼はコーチと話し合い、またチームメートたちともしっかりコミュニケーションを取るよう心がけた。ふだんの練習ではチームメートのプレースタイルやクセの把握に努めた。試合においてはたとえ仲間のミスであっても自分のミスだとその責任を負い、解決策を徹底して話し合うことにした。それらの積み重ねが功を奏したのか、6試合目以降は徐々に連携プレーの精度が上がっていき、それにつれて仲間の信頼も勝ち取ることができた。チーム内の存在感も一気に増し、プレータイムも20分を超えるのがあたりまえになっていった。同じポジションには同世代のフランス代表の選手がいて、彼とレギュラー争いをしていたのだが、徐々に岡田大河選手のプレータイムが長くなっていき、最終的にはスタートで使われるようになった。
しかも刮目すべきは、彼の調子が良くなり、チームにフィットするのと比例してチームは勝ち続けていったこと。もはやASモナコは彼中心のチームとなり、司令塔としてのポジションを自らのスキルと卓越したバスケットIQで勝ち取ったのだった。

ファーストシーズンで勝ち取った自信は、夢へと続く長い旅の第一歩。

スペイン語と英語は問題なく話せる岡田大河選手。フランスのチームではあるが、アメリカをはじめフランス以外の出身の選手も多く、チームメートとはふだん英語でコミュニケーションをすることが多いという。フランス語は単語がスペイン語と似ていることもあってリスニングは問題ないが、スピーキングは発音が難しくて苦手だといい、少しずつトライはしているが、英語でコミュニケーションが取れているので、いまのところフランス語学習の優先順位は低いと笑う。そんな彼に、日本、スペイン、フランスでバスケットスタイルの違いがあるか?と問うてみた。

岡田大河「自分はもともと日本にいるときからドリブルとシュートが得意でした。その後、スペインではパススキルを成長させてもらえたと感じています。そしていま、ここフランスでは一対一での強さが求められています。NBAもそうですが、やはり高いレベルに行けば行くほど個の能力が求められるようになってきます。とくにフランスは勝負所になれば個人技で相手をねじ伏せないと行けない部分がある。そこがスペイン時代ともっとも違うところですし、昨シーズンはそうした個の強さの部分において成長できたと感じています」

もうひとつフランスでは効率よくプレーすることがなにより大事なこととされているのが特長だといい、日本ではあまり見られないものとして「自分が出場しているときの貢献度」「自分がプレーに関与しているときの貢献度」という指標があるというのだ。具体的には、たとえばシュートを決めたらプラス、逆にシュートを外したらマイナス、アシストしたらプラス、リバウンドを取ったらプラスというもの。シュート数が少なくてもしっかり2桁得点に乗せることや、シュートやアシストがチームの勝利につながっていくことが求められる。つまり、プレーへの関与とその成否をプレータイムと照らし合わせ、出場時間内でいかに効果的なプレーをしているかを示すデータということだろう。それはすなわち、昨年のインタビューで彼自身が口にしていた「チームを勝たせるプレーがしたい」という目標と一致する指標でもある。

岡田大河「自分がプレーに絡めるようになってきてからチームの勝率も上がってきて、途中で14連勝したこともありました。もともとシーズン前の時点でのチーム目標はプレーオフ圏内である8位以内だったのですが、コーチたちの想像以上にチームが機能して最終的に準優勝という結果で終わることができました。この順位はクラブ史上最高だということで、自分の活躍が勝利につながり、こうしたクラブ史に残る大きな成果につながったことは、誇りに思います」

準決勝でケガをした岡田大河選手は最終戦となった決勝戦は欠場の予定だった。しかし、思いのほか接戦となったことで、急遽ヘッドコーチから出場を打診され、強行出場した。結果的には彼が出場した時点ではすでに点差をつけられてしまっていて試合には敗れ、2位に終わったのだが、それだけチームやコーチから彼に寄せられている司令塔としての期待と信頼が厚いことを物語るエピソードだといえるだろう。彼がチームにフィットしたことでASモナコ U21というチームは、来季ますます“彼のチーム”になっていくことだろう。それはすなわちその先にある海外トップリーグでのプレーという目標への資金石となる重要なシーズンであることを意味する。同時に、4年後にバスケットボールの本場であるアメリカで開催されるロサンゼルス2028大会での日本代表選出へと続く道でもあり、さらにそのロスでの活躍はNBAという夢への扉を開ける第一歩になるかもしれない。